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Bataさんぽ

路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

旧東海道を歩く9(川崎~鶴見)

旧東海道を歩く8(多摩川~川崎)」からの続きです

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川崎も中心部、映画館チネチッタから2つ南にある通りを進んで行きます。少し裏通りっぽい感じがします

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川崎宿観光ガイド』の表示が嬉しいです。川崎は東海道を歩く人に優しい案内がなされています

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せっかく案内していただいたので、「教安寺」もお詣りさせていただきました。目の前にある交差点の白が印象的でした

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先ほどの交差点に戻ってくると、『川崎宿観光ガイド』があります。街道に沿っての案内のみでなく、街道に入るところにも気配りされているのは、嬉しいです

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ちょっと歩くと駐車場の角に3つの説明があります(ガイドブックでは「京口土居跡」)。川崎宿の京都側の出入り口があった場所のようです。関札はその日宿場に泊まる大名の名前を掲げた札とのこと。川崎宿は外国人遊歩区域だったとのことで外国人警護のための最初の関門番所もあったとのこと(保土ヶ谷宿までに19カ所もあったそうなので、かなり外国人警護に気をつかっていたということでしょうか?)

ここにあった灯籠が教安寺の山門前にあると書かれています(先に知っていれば、探したのに・・・。見逃しました。残念。ちゃんとガイドブックにも書いてあったのに・・・)

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「川崎警察署東側入口交差点」を渡り先へ進んでいきます。少し雰囲気が変わった感じがします

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馬嶋病院」の一角にある「芭蕉ポケットパーク」(公園のような場所を想像していたので、通り過ぎてしまい、戻って来ました)

ちょっとした休憩スペース。ニュース表示のある自動販売機もあります。しかしながら自動販売機の上に場所の名前が掲げられているのも、かなり珍しいと思います。イスのところには(多分)芭蕉のお弟子さん達の句を彫ったタイルも埋められていました

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まっすぐ歩いて行き、線路(京急線)とぶつかる直前にある「芭蕉の句碑」。達筆すぎて読めませんが『麦の穂をたよりにつかむ別れかな』とあり、弟子達との別れの句のようです

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京急八丁畷駅」前に到着。ここで右側にある踏切を渡ります。
東海道かわさき宿交流館」の説明員の方に『昔はこの通りを「南部線」が通っていて、今でも名残り(赤レンガ?)が見られる』と聞いたのですが、見つけられませんでした

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踏切を渡ってすぐの場所に「無縁塚」があります。昔の災害で亡くなった身元不明の人を埋葬したのではないかとのこと。今も地元の方々により供養が続けられているようです

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「無縁塚」の隣には大きなタイル画が掲げられています。川崎中学校美術部の製作で歌川広重の「六郷渡舟」を模したものとのこと。なごみます

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道を渡って反対側には『東海道川崎宿史跡めぐり』の案内があります(たぶん、ここが最後)。名主や問屋の役人は幕府の役人や大名を市場村との境までお迎えしたとあります。本陣からここまでかなりの距離があると思うので、かなりきちんとしたお出迎えだったんでしょうか

ここで初めて気がつきましたが川崎宿400年に向けて『東海道川崎宿2023』という活動が進められているようです。頑張ってください。期待しています!

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京急八丁畷駅」を過ぎると、完全に住宅地という感じになりました。まだ歩道があるので安心して歩けます

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「市場上町交差点」、ここまでが川崎市川崎区、ここから先は横浜市鶴見区になります

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横浜市に入ったら(そのせいではないと思いますが)、歩道がなくなりました

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道路一面の横断歩道(スクランブル交差点)まで来れば、「熊野神社」はすぐそこです

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熊野神社」、前回(6/1)もお詣りさせていただきましたが、今回もきっちりお詣りさせていただきました

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狭いですが、スーパーもコンビニもあり、バスも通っています。バスは本数は少ないようですが、後ろから近づいて来たら、少し注意が必要かも

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少し歩くと「市場村一里塚跡」に到着(前の道路が工事中で正面から写真撮れませんでした。残念)。ここまで歩いてきて初めて目にした一里塚跡(日本橋から五里目)です

※写真撮り直してきました→記事:「閑歩:旧東海道を歩く 復習(川崎~鶴見)

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前回はシャッターが閉まっていたのですが、16時前になると開店していた「寿湯」さん。綺麗な暖簾が誘っていますが、先を急ぎます

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普通の住宅の一角に立てられた「庚申塔」。地蔵様のようです。
ガイドブックだと、この辺りに「馬頭観音」と書かれているのですが、見つけることはできませんでした

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すぐ隣には「下町稲荷」があります。お詣りさせていただきました

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鶴見川橋」の手前を右に曲がると「金剛寺」があります。感じの良いお庭がありました

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鶴見川橋」に到着。前回は左側を渡ったので、今回は右側を渡ってみます。橋の入口の文字ですが、左は『つるみがわはし』とあるのに、右は『鶴見川』、少し不思議です

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橋を渡って街道の左側に移動、「鶴見橋関門旧跡碑」。川崎 京口土居跡から保土ヶ谷宿までに外国人警護のための見張り番所ができたのは、『生麦事件』の影響だったとは・・・。鶴見橋関門はそれより3年も前に作られていたという歴史を今理解しました。警戒していたけど起きてしまったのが『生麦事件』だったんですね

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少し進んでから街道の右側に戻れば、「寺尾稲荷道 道標」があります。これはレプリカなので、本物は鶴見神社にあります。本物よりかなり新しくてきれいです(今日は鶴見神社に行きませんでしたので、前回の記事「横浜鶴見~旧東海道と鶴見川~3(佃野公園~京急鶴見駅)」を参考にしてください)

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横浜市鶴見図書館」にも寄っていこうと思ったんですが、臨時休館でした(ちょっと残念)

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鶴見駅が近くなってきました。通りの雰囲気が街らしくなりました

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信楽茶屋跡」の説明です。鶴見村一番の茶店だったとのこと

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すぐ後ろには『信楽茶屋』という名前のラーメン屋さんがあります。なぜかタヌキが飾れていますね(信楽焼?)

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ここから先の5つの説明は各説明の下にある地図がわかりやすいです(写真は「名主・佐久間家」のところで記録したものです)。でも街道の右や左へ行ったり来たりが必要

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昔の鶴見神社にむかう参道を「身禄道」と呼んだとのことです。富士山信仰の『富士塚』、鶴見神社境内にあると書かれていますが、前回はわかりませんでした(入れなくなっていた部分なのかもしれません)

富士塚は確かに鶴見神社にありました→記事「閑歩:旧東海道を歩く 復習(川崎~鶴見)

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旧東海道」の説明です。名物「よねまんじゅう」が気になります。今でも売っているお菓子屋さんがあるようなんですが、まだ調べていません

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花屋さんの少し手前にある「名主・佐久間家」の説明。村の世話役で鶴見川の氾濫時にも尽力されたようです。

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街道の反対側に渡って「鶴居堂」の説明。『せきの特効薬「苦楽丸」』、どんな薬だったのでしょうか。「梅屋敷跡」で書かれていた「和中散」もですが、昔の薬ってどんな成分だったのか気になります

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最後(最初?)の「旧東海道」の説明。4番目と内容は同じようなので、改めて読まなくても良いでしょう

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6つの説明を確認して、ようやく「京急鶴見駅」に到着

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本日のウォーキングはここまでですが、次回のスタートポイントをわかりやすくするため、「ベルロード鶴見商店街」の入口まで移動してきました。次の旧東海道を歩くときはここからスタートしたいと思います


蒲田(京急蒲田駅)から鶴見(京急鶴見駅)まで約8Kmの距離ですが、iPhoneのヘルスケアアプリによると、15,054歩 9.9Kmでした

かなり歩いてきた感じはありますが、まだ日本橋から23Km程度、全体の5%も歩いていません。京は果てしなく遠いです

しかしながら、帰宅してからブログを書くためにいろいろと説明の内容を振り返ってみると新しい発見があります。かなり勉強になっているのは事実なので、ここから先も歩いてみたいと思います

今回の『旧東海道を歩く』はここまで

長い記事にお付き合いいただき、本当にありがとうございました

※2016/6/19追記
続きを歩き始めました、次の記事「旧東海道を歩く10(鶴見~神奈川[新子安])」に続きます

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