横須賀 公園巡り2(猿島[猿島桟橋~ヨネノ根])
「横須賀 公園巡り1(横須賀中央駅~記念艦三笠)」からの続きです
待ちに待った出航! 2Fデッキの先頭に陣取って、既にはしゃぐ子供状態(「記念艦三笠」の辺りから、完全に意識は子供化してます・・・(;^^)ヘ..)
日射しは強いけど、船が進むことでできる、優しい潮風が心地よかったです
入手した『無人島 猿島』のパンフレットによると
猿島の由来
1253(建長5)年5月、日蓮上人が房総から戻る途中で嵐に遭い、船の進む方向さえわからなくなったといいます。その時、近くの島に避難したところ一匹の白猿が現れ、島の奥に案内したという言い伝えから、「猿島」という名前がついたという説があります
と書かれています。『白猿』、神の使いでしょうか
「猿島」(猿島公園)が近づいてきました。予想していたより、かなり大きい
係留されるのを待ってから下船。折り返し「三笠桟橋」行きになるようで、船の到着に合わせて、人が並び始め、桟橋には長い行列ができています
桟橋を渡って、まずは「ボードデッキ」へ。島内ここにしかないトイレを済ませてから、案内図を確認。初上陸なのでパンフレットにあった『オススメ散策路』の通りに歩いてみることにします(歩いている時は気がつかなかったんですが、案内板の『ここは地図番号・・・』って、パンフレットと連動しています)
観光名所として整備されていますし、人もたくさんいるので思った以上に『無人島』感はありません
歩き始めて最初に目にとまるのは『発電所』、『明治時代に造られた蒸気機関による発電所』とのこと。時代の流れを感じます
日射しは強いけど、木陰はそれほど暑くありません。『切通し』はやっぱり好きです(トンネルに近いからでしょうか)
『猿島要塞』と書かれた説明板によると、ここは『露天掘り幹道』で『兵舎』と『弾薬庫』が交互に並んでいます
多分、これが『兵舎』。窓みたいなものがあります
こっちが『弾薬庫』(おそらく金網は最近付けられたと思います=史跡保護?)
それにしてもやっぱり『弾薬』の隣りでは寝たくないです・・・
板張りになっている切通しを進んで行きます。途中、島の東側に出る階段がありますが、登りませんでした
この『弾薬庫』の前には説明がありました。結構奥は広いです。『縦穴を使って砲台に弾薬を運んだ』と書かれているので、いろいろと考えられた施設だったようです
『レンガ造りのトンネル』に到着。横の説明には『フランス積レンガ』が解説されています。日本全国で4カ所しか残っていない珍しいものなのですね
中は真っ暗です。レンガ積みを含めて何も見えません。あまりに暗いのでカップルが手をつなぐ→『愛のトンネル』と呼ばれているみたいです。遠くに出口が見えますが、そこは階段の下にあります
トンネル内あまりに暗いので手ぶれになってしまいました(私のせいなんですが・・・)。説明板は『砲台地下施設』と書かれています
トンネルの先にもトンネルが見えます
出てから右側を見てもトンネルがあります。考えてみると明治時代に離島にこのような施設を造るのはすごい労力だったように感じます(それだけ重要な戦略拠点だったのでしょうね)
最初に見たトンネルへ直進します。ここは短いです(かなり明るい)
突き当たりを左にまがると『砲台跡』。円形のコンクリート跡だけが残っていました。既に木の根が侵食していて、人間の愚かな行為よりも植物は強し、という感じがします
少し薄暗い広場のところに出てきました。ここには『砲台跡』の説明が置かれています。明治時代にコンクリートは違和感があったのですが、『コンクリート化されたのは第二次世界大戦』の頃のようです
たぶん、この方角が「横浜」方面ではないかと思うのですが、街らしき影は見えません(もう少し左側なのかもしれません)
長い狭い階段(本当に長いです)を下りていくと、『日蓮洞穴』があります。説明によると『弥生時代~古墳時代の住居』でかなり奥深いようです。『江戸時代の貝塚もあった』ようなので、昔は無人島じゃなかったんですね。パンフレットによると『現在は立入禁止』だそうです(重要な遺跡ですから)
「ヨネノ根」に到着。釣りを楽しんでいる二人組がいました。パンフレットによると大物が狙える釣りポイントのようです
なんとか島の西側半分を歩きました(船の時間を気にしすぎて、かなり急ぎ足だったような気がします)
記事も少し長くなってしまったので、一旦終わります(歩いている距離は短いのですが、撮っている写真の枚数が多いので・・・。猿島編は次で完結)
次の記事「横須賀 公園巡り3(猿島[オイモノ鼻~猿島桟橋])」に続きます