東京駅周辺 文化財[+α]巡り2(日本銀行本店本館~日本橋)
「東京駅周辺 文化財[+α]巡り 1(東京駅~貨幣博物館)」からの続きです
「貨幣博物館」で少し涼んだので、再び歩き始めますが、次のスポット「日本銀行本店本館」は目の前です。「日本銀行本店本館 | 八重洲散策コース | 東京都文化財めぐり」によると
着工翌年に岐阜県南部を中心に発生した濃尾大地震を教訓に、外壁の内側に煉瓦を積み上げ、外側に石を積み上げた石積み煉瓦造りにすることで耐震性を向上させました。結果として大正12年(1923)に起きた関東大震災では、建物自体はびくともしませんでした。
(中略)
昭和7年(1932)に手榴弾が投げ込まれた五・一五事件、昭和20 年の東京大空襲などでも大きな被害はなく、ほぼオリジナルに近い姿を現在に残しています。
災害の知恵を活かした堅牢な建物のようです
看板を見ていたら、内部を見学できるようです。日本銀号のHP「見学・ビデオ貸出サービス :日本銀行 Bank of Japan」によると、電話予約で1時間の見学ができると書かれていました。次に来るときには申し込んでおきたいです(1週間以上先の予定は私には難しい・・・)
周囲を廻って、いろいろと写真を撮ってみましたが、建物の写真撮るのは難しいです(これからスキルアップが必要・・・)
ああ
上から見ると『円』の字に見えるというのでGoogleマップを貼り付けてみました。確かに『円』の字に見えます。「日本銀行本店本館 | 八重洲散策コース | 東京都文化財めぐり」によると『当時は旧字体の「圓」を使っていたので、偶然ではないか』とのこと
先日『林修の今でしょ!講座』で見ましたが、ここが「金座」でした。「貨幣博物館」で説明資料『お金の豆知識 金座の歴史』も貰えるので是非入手を!
せっかくなので、「新館」側も見てみたくなったので、ぐるっと廻ってみます
車が入れないようにガードされている入口でした。警備員が認めないと通れないようです。さすが「日本銀行」、ガードもすごい(あらゆる入口の外に警備員さんがいます)
次は「三井本館」に向かいます。「日本銀行本店新館」横の道は工事中でした
この付近で見かけた中央区のカラフルなマンホール、中央区の花『つつじ』と木『やなぎ』をデザインしていると思います。でも「灯」って何でしょう?
おお、ここが「三井本館」と思っていたんですが、「三井タワー」でした(しばらく勘違いしてました・・・)
目の前の敷地は再開発中(日本橋は再開発している箇所が多いので、しばらくすると全く違う風景になっているような気がします)
工事現場付近で見つけた『チョッパー』。以前、蒲田付近で『キティちゃん』を見かけましたが、いろいろな種類があるようです(「旧東海道を歩く7(蒲田~多摩川)」参照)
「三井タワー」の前にあった大きな暖簾。マークが格好いいのですが、何のマークなのでしょうか?
ここが「三井記念美術館」の入口のようです。またいつかゆっくり来たいと思います
ここが「三井本館」でした(雨が降り始めただけでなく、風も強く吹いてきたので、この写真のみになってしまいました)。「三井本館 | 八重洲散策コース | 東京都文化財めぐり」の説明によると『関東大震災の教訓からその2倍の地震にも耐えられる造りになっています』とのこと、残存している建物は丈夫な造りになっています
続いて「三越本館」にやってきました
「三越本店 | 八重洲散策コース | 東京都文化財めぐり」の説明には
正面玄関に一対の青銅製のライオン像が鎮座しています。
(中略)
このライオン像には「必勝祈願の像」として、誰にも見られずに背にまたがると願いがかなうという言い伝えがあり、特に受験生に人気があります
と書かれています。さすがに日中誰にも見られずまたがるのは無理そうなので、皆さん夜に来るのでしょうか?
入口には素敵な提灯が展示されています(何かのお祭り?)
1F中央ホールにある『天女像』、背中側も凝った彫りになっています(豪華絢爛)
『天女像』の後ろに見える『パイプオルガン』、説明には『今日も美しい音色を奏で続けています 午前10時30分~/正午~/午後3時~』と書かれていました
大理石の中にアンモナイトが見えるということだったので、探してみました(なかなか難しかったです)
「三越本店」を後にして先に進みます
道路の反対側に移動して、少し進むと、あれ?『せんとくん』? と思ったら「奈良まほろば館」の前でした(団扇に『ECO EDO 日本橋 2016 ゆかた着て、日本橋で会いましょう』と書かれています。調べたら日本橋全体でイベント中のようで、さっきの提灯もその1つみたいでした)
三越の尖った?部分。個人的には三越というと、このアングルで見たイメージが印象に残っています
少しだけ行きすぎてしまいましたので、ちょっとだけ戻って、路地に入っていきます
ビルとビルの間にちょこんと建っている『三浦按針遺跡』。説明には『日本名三浦按針は相模國三浦逸見に領地を有し、またもと航海長であったことに由来し、この地を昭和初期まで安針町と呼ばれた』と書かれています。1620年に渡来してから没するまで20年間も日本で暮らしたのか。ホームシックとかにはならなかったのでしょうか?
蛇足ですが、この通りからは三越の尖端?はちょうど見えます(迷った場合の目印になると思います)
「日本橋」までやってきました。旧東海道を歩き始めた場所です(記事「旧東海道を歩く1(日本橋~京橋)」参照)
橋の北東(「乙姫広場」)に『日本橋魚河岸跡』を偶然見つけました! 『ここにあった魚河岸が関東大震災以後、現在の築地に移り、東京卸売市場に発展した』そうです
「日本橋」を渡って行きます。映画『麒麟の翼』の影響なのか、個人的には『日本橋=この麒麟像』という印象が強いです(来る度に写真を撮っているような気がします)
「日本橋 | 八重洲散策コース | 東京都文化財めぐり」の説明にある『北東と南東の橋詰には、工事について記した銘板があります』を探してみました。「滝の広場(南東)」から見えるようですが、コンパクトデジカメではここまでが限界でした(残念)
いろいろと橋の構造を見ていたにもかかわらず、すっかり構造物としての橋の写真を撮るのを忘れてしまいました・・・(かなりの大失敗(>_<)、ごめんなさい)
少し長くなってきたので、一旦終わります
次の記事「東京駅周辺 文化財[+α]巡り3(名水白木屋の井戸の碑~銀座通り)」に続きます