Bataさんぽ+

路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

鎌倉駅周辺散策2(宇都宮辻子幕府跡~御成通り)

鎌倉駅周辺散策1(鎌倉駅~妙隆寺)」からの続きです

「妙隆寺」を出て「宇都宮辻子幕府跡」に向かおうと、ガイドブックの地図を参考に歩き始めましたが、それらしい道が見つかりません(Googleマップだと近くの清川病院の横を通る道しかないように見えますが、ガイドブックだと「妙隆寺」をぐるっと廻る道があるように書かれています)

付近を7~8分歩いている途中、たまたま歩いていた別の人を追いかけた結果、意外なルートを発見しました(ガイドブックのルートなのですが、これはきちんと説明がないと、わからないルートだと思いますが、皆さんわかるのかな?)

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「妙隆寺」境内で本堂右側と墓地との間に狭い道があります

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墓地のところにある『丸山定夫の碑』、顔の像も付いている立派な記念碑です。説明によると『「新劇の団十郎」とまで言われた人だったが、広島で原爆に遭い誰にも看取られずお亡くなりになった。その後埋められた場所はわからなかったが、この地に墓標を発見し、友人知人たちの協力で新しく記念碑を建てた』とあります。原爆の悲惨さを感じます

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狭い路地を道なりに進んでいくと、普通の道に出ることができました(確かにガイドブックの通り、ぐるっと「妙隆寺」を廻っています)

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稲荷神社のような場所が見えるので、お詣りしていこうと、近寄って見ると

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この場所が「宇都宮辻子幕府跡」でした(ガイドブックの印の位置は間違っているので要注意。「鎌倉彫資料館」と同じブロック内にあります)

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まず最初に「宇都宮稲荷大明神」にお詣り

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鎌倉八十八箇所」ホームページによると

鎌倉幕府は初め大蔵にありましたが、嘉禄元年(1225)に政子が亡くなって幕府の地を他に変えようとの意見が起こり、北条時房、泰時等が巡検評議の結果、同年11月にこの場所に造営する事に決定しました。12月には将軍藤原頼経が移り住む事になりました。その後、嘉禎2年(1236)に頼経が再び幕府を若宮大路に移すまでの12年間、ココが政治の中心地でありました

と書かれているようです。何故幕府の場所を移そうと考えたのか気になります(大蔵幕府跡から距離にして1Kmと近いのでご近所へのプチ引っ越しみたいな印象があります)

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「宇都宮稲荷大明神」の前の道を真っ直ぐ進んで、『若宮大路』へ

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角を左に曲がったところが「鎌倉彫資料館」の入口でした。資料館へはエレベーターで3Fへ

写真撮影不可でしたので、以下、文章のみになります(一部の展示品はHPからご確認ください)

それほど広くなく、さくっと廻れてしまいます。入口側が現代に近いので、一旦奥まで行き、『室町~安土桃山時代』から見た方が良いと思います(きっと混雑時や繁忙日は奥側のドアから入って時代順に見るように作られているように感じました)

個人的には『明治時代の神仏分離令がきかっけで、仏師が大きく転換し、現在よく見る鎌倉彫を確立した』との説明に、時代の流れへの対応が新しい産業を生み出していると感じました(環境に適応していくものが生き残る、みたいな感想です)

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ガイドブックによると「鎌倉彫資料館」の前の小さな階段を上って、「鶴岡八幡宮」の参道に入るように書かれていましたが、せっかくなので「二の鳥居」まで寄り道していくことにしました

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鳥居のすぐ後ろにも『段葛』と書かれた史跡がありました。「鎌倉八十八箇所」ホームページによると

段葛は別称を置石といいます。寿永元年(1182)3月、頼朝は夫人の政子の安産祈祷の為、鶴岡八幡宮の社頭より由比ヶ浜の大鳥居に渡り、この段葛の参道を築きました。北条時政を始め、源家の諸将達が土石運びました。
 明治の初めに二ノ鳥居から南方のそれは、その姿を失ってしまいました

と書かれているそうです。昔は「一の鳥居」の場所まで置石の参道が続いていたようです。確かに「一の鳥居」と「二の鳥居」の間は違和感がありました(何故、明治の初めに失われてしまったのでしょうか? 気になります)

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このまま、真っ直ぐ「鶴岡八幡宮」の方に歩きそうになりましたが、「鎌倉彫資料館」を過ぎて、すぐの場所にある階段を下りて『小町通り』の方に向かいます

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小町通り』との交差点ですが、このまま直進します。やはり『小町通り』は人通りが多いです

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小町通り』を過ぎて、すぐに横須賀線の線路に突き当たりました

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線路沿いを南下していくと『小町通り』のゲートを発見。こんなところに入口があるんだと思っていたら

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すぐ横の踏切のところは「JR鎌倉駅」のホームでした(多分、駅のホーム(横浜寄り)からゲートが見えます(未確認です。今度確認します。宿題2つ目))

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踏切の途中で立ち止まり、思わず写真を撮ってしまいました(川とかトンネルとか、こういう構図が好きです(;^^)ヘ..)

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線路沿いにある駐輪場のところは、今朝通った、鎌倉駅の西口から東口に抜ける通り道の上でした(上に見えた道はここだったんです)

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突き当たりを右に曲がると、そこは「鎌倉駅西口」でした(戻って来た~♪、という感じ)

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駅前を移動して、いよいよ『御成通り』に入ります

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昔一度歩いたことはあるのですが、やはり『小町通り』に比べると、人が、特に観光客が少ないように感じます

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本日の第二目的地「お菓子の家 鎌倉小川軒」さん前の交差点までやってきました

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かなり印象に残るシーンなので映画を観た方は忘れていないと思うのですが、記事「閑歩:鎌倉散策その前に、扇ヶ谷ガードへ行ってみました」に貼り付けたYouTubeの「シン・ゴジラ予告」と比較してもらえば、この上を『ゴジラの尻尾が通っていった』で間違いないと思います(お店も開店しているので、少し雰囲気は違います)

この位置で尻尾が見えると考えると、ゴジラ鎌倉駅東口のロータリー辺りにいたのではないかと推測します(やっぱり進行ルートは『小町通り』を闊歩でしょうか?)

シン・ゴジラ』ロケ地でテンションが上がり、同じ交差点にある「旧安保小児科医院」を見忘れてしまいました(>_<) 

帰りに『レーズンウィッチ』を買いに、もう一度「鎌倉小川軒」さんに戻ってくるのですが、その時も忘れています・・・汗; また鎌倉に行った時に訪れてみたいと思います。(しめ縄、小町通りのゲートに続いて宿題3つ目)

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『御成通り』も出口に近づいてきました(ゲートを背景にして自撮りしている外国人観光客らしき人がいました。やっぱりゲートは記念撮影の対象になるようです)

時刻はまもなく11時、予定のコースの80%ぐらいを歩き終わりました。あともう少し歩いてランチにします

本コースも残り僅かですが、記事も少し長くなってしまったので、一旦終わります

次の記事「鎌倉駅周辺散策3(六地蔵~和田塚駅)」に続きます

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 ものすごく励みになっております。これからもよろしくお願いします

※お詫び
 ブログのコメント、ブックマークのコメント両方読ませていただいております
 はてなブックマークのコメント爛は返事しづらいので記事の下からは外しました
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