鎌倉 七里ヶ浜から稲村ヶ崎へ1(七里ヶ浜駅~西田幾多朗博士記念歌碑)
※記事としては「鎌倉駅周辺散策3(六地蔵~和田塚駅)」から続いています
江ノ電に乗って、「七里ヶ浜駅」へ移動中です。たまたま乗車した位置が連結部分だったので、後ろの車両の行き先掲示部分を見ていたら、絵柄が朝顔と向日葵に交互に変わります。細かいですが、あまり見られない部分での工夫に感心してしまいました
駅の出入口で『津波避難経路』を発見。鎌倉市と江ノ島電鉄の協力によるもののようです。各地でいろいろと工夫が進んでいます
次に歩くコースはガイドブック「ぶらっと散歩コース 鎌倉」から
ここ「七里ヶ浜駅」を起点とする「コース15 七里ガ浜・稲村ヶ崎」を選択しました(推測されている通り『シン・ゴジラ』上陸地点が「稲村ヶ崎」とあるTV番組中の特集で見たからです→それ以外は真面目に?歩いています(今日は迷っています、かも))
「七里ヶ浜駅」前にある橋の上から、海の方を向いて写真を撮ってみました。ウィンドサーフィンらしき影と海に向かう人達が見えます
海の方に歩きたい衝動を抑えながら、まずは線路を越えて「霊光寺」に向かいます
線路を渡ってすぐの場所に石碑が見えます。「行合橋 | 史跡 | 鎌倉タイム」の説明によると
日蓮伝説の橋
龍ノ口刑場で処刑寸前の日蓮、江ノ島方面から光が飛び来た光により役人が恐れおののき刑が執行不能となりました。それを幕府に知らせる使者と、赦免を伝える幕府からの使者がこの橋で行き合ったことから行合橋と名付けられたと伝わります
と書かれており、さきほどの駅前の橋が「行合橋」と呼ばれ、川も「行合川」となったようです
しばらく歩くと道が分かれますが、左側(上らない方)の道を進みます
少し進むと橋のような場所にでました。そばにあった石碑には『日蓮聖人雨乞霊跡道』と書かれています。この場所が「雨乞橋」のようです
左に曲がって真っ直ぐ歩き、交差点も真っ直ぐ(左側)に進むと
道の右側に大きな池がありました。中には入れないようになっていましたが、ここが「日蓮上人雨乞いの池」でした(あとで「霊光寺」側からも見ることができないか探したのですが、池はこちら側からでないと見えないようでした)
ガイドブックの地図と見比べると「霊光寺」に行く道を通り過ぎてしまったようなので、少しだけ戻ってみると
ここにも『日蓮聖人雨乞霊跡道』と書かれた石碑が立っています
道を左に曲がって(駅の方から見ると右に曲がって)ちょっと進むと『日蓮上人祈雨旧跡』と書かれた史跡を発見。「鎌倉八十八箇所」ホームページによると、
古い呼名の金洗沢とはこの池の辺りです。文永8年(1271)6月、大干ばつに見舞われ、幕府は良観房忍性に命じて雨乞いを行わせましたが効果はありませんでした。その時、日蓮がこの池のほとりで雨乞いすると、たちまち雨が降り出し、大地を潤したと世に伝えられています。その日蓮上人祈雨の霊跡はココであります。
と書かれているそうです。雨乞いに破れた良観様が日蓮上人の処刑を企てるという流れになるようです(さきほどの「行合橋」の話につながります)
すぐに「霊光寺」の門が見えました。門は閉ざされていますが、右側から迂回して、中に入ることができます
石段を上っていくと、途中に石仏と『疫神塔』と書かれた石造物もあります(『疫神』=疫病をはやらせる神だと思うので鎮めるためのものなのでしょうか?)
踊り場のような場所に『日蓮上人像』が池の方を向いて建てられています。ガイドブックによると、この場所が日蓮上人が雨乞いの祈祷を行った場所として伝えられているとのこと
手水舎のところに石仏が置かれていました。お水をかけて祈願するように見えたので、お水をかけさせていただきました(間違っていたらごめんなさい)
石段を上りきったところにある本堂にお詣りさせていただきました。蚊取り線香が置いてあり、参拝する方への配慮を感じました
「雨乞橋」まで戻って来ました。5分ほど周囲を探したのですが、ガイドブックの地図にある道がみつかりません
マップの通りとすると、この金網が破れたところをくぐって先に進むように見えるのですが、何かが間違っているような気がしたので、Googleマップでルート検索して歩くことにしました(5年前に発行されたガイドブックなのでもしかすると以前はここから歩けたのかもしれません)
「雨乞橋」を渡って、まっすぐに進み、
突き当たりを右に曲がり、細い坂道を上っていきます
途中、公園の入口がありましたが、下りませんでした
さらに上ると道路に出てきました。どうやら迂回は成功したようです
右に曲がって、ゴリラのオブジェ?の横を通り過ぎて、進むと信号が見えました
でも、ここで大きな勘違いをしてしまいます。ガイドブックに従った正しい道は、このまま真っ直ぐに進むのですが、左側にバス停が見えたので、左に曲がると思ってしまいました
写真は省きますが、『田辺広町』とか『夕陽ヶ丘通り』とか『アカシア並木』とか、ガイドブックにはないバス停が続きます。なんか違うと気がついた時には500mほど北東に坂道を上っていました・・・汗だく;;
汗避けのため、ポケットでなくバッグにしまってあったiPhoneを取り出し、Googleマップを確認した結果、間違いに気づき、道を引き返しました(暑さと失敗でかなりの精神的ダメージ・・・)
20分ぐらい無駄に歩いた後、さきほどの交差点に戻ってきました。この道は平坦なのようです
まっすぐ歩くと、すぐに「七里ガ浜東台」のバス停に到着(マップにあるバス停が見つかり安堵)
近くにある「珊瑚礁 本店」を覗いてみましたが、暑い中店の外で待っている方がたくさんいます(13時30分を過ぎています、やっぱり人気店)
駅からここまでルート変更したり、迷ったりしたので、この部分だけGoogle My Mapsで補正ルートを作成してみました(迷わなければ、さほど距離はありません・・・)
右に曲がって少し進むと、交番ではなく駐在所がありました。赤ランプと大きな入口がなければ、普通の住宅です(駐在所は珍しいですね)
「霊光寺」の後、なぜこんな何もない道を歩いているのか疑問でしたが、目の前に広がる海を見て、少し報われた感じがしました(写真だと伝わりづらいですが、遠くに海が見えてきて、爽快な感じがしました)
海沿いの道の手前まで来ましたが、踏切を含めて、人が歩いて渡れる場所がないようです。でも右横に入って進むと地下道の入口がありました。きっとここに違いないと思い、
地下道を通り抜けた先は、眩しいくらいの、
海でした(^-^) 遠くに「江ノ島」が見えます
駐車場の中を進んでいくと、遠くには三浦半島が見えてきます
駐車場の出口を出て、国道134号沿いの歩道を東に向かって進みます。潮風は気持ちいいですが、海からの反射光もあり、暑いです
少し歩くと『西田幾多朗博士記念歌碑』がありました。説明によると『西田哲学を樹立した西田幾多朗博士は、昭和八年から稲村ガ崎に仮寓を求め昭和二十年に没するまで十二年余りを主に夏と冬を過ごした』そうです。少し調べたのですが、なぜ歌碑なのかはわかりませんでした(なぜこの場所なのかも謎です)
時刻は13時45分、日中で一番暑い時間帯になってきました。ガイドブックだと「七里ヶ浜駅」から2.5Kmほどの位置ですが、きっともっとたくさん歩いていると思います
記事も少し長くなってしまったので、一旦終わります
次の記事「鎌倉 七里ヶ浜から稲村ヶ崎へ2(鎌倉海浜公園[稲村ガ崎地区]~稲村ヶ崎駅)」に続きます
あともう少しお付き合いください
※御礼
いつも読んでくださり、はてなスターやコメントなどありがとうございます
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