Bataさんぽ

路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

台東区橋めぐり[上流]+ご利益少々2(白鬚橋~お化け地蔵)

からの続きです

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横断歩道を渡り、真っ直ぐに歩いて行くと、木の隙間から「白鬚橋」が見えてきました

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「白鬚橋」、アーチ状の部分から伸びている鉄骨の部分が妙に格好いいです

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親柱を撮影していると、通りかかった方が『橋を渡ったところに天皇がいらっしゃった石碑が立っているから写真撮っていくと良いよ』と教えてくれました。直接御礼も言いましたが、改めてありがとうございます。ご親切痛み入ります(道を歩いていて、ご近所の方が声をかけてくれるのは嬉しいですね)

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「桜橋」の方を向いて写真を撮ってみましたが、二つの橋は離れているせいか、あまり良く見えませんでした(少し先の話(本記事の後半)につながりますが、写真で見ると左岸は工事していないみたいです。こちら側からなら、「白鬚橋」を下から見れたかも・・・)

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鉄骨が格好いいので、もう1枚(笑)

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よく見ると橋の鉄骨の上には外灯が付いています。橋の向こうには、ガスタンクが見えます。

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橋を渡ったところに、教えていただいた『明治天皇行幸對鷗荘遺蹟』が立っていました。近くにあった茶色の石碑に何か書かれていたようなのですが、判読できません

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近くにあった『対鷗荘跡』の説明によると

隅田川畔の橋場一帯は、風光明媚な地であり、かつては著名人の屋敷が軒を連ねていたという。対鷗荘もその一つで、明治時代の政治家三条実美(一八三七~九一)の別邸であった。「征韓論」をめぐって、政府内に対立が続いていた明治六年(一八七三)の十月、太政大臣の要職にあった実美は心労のあまり病に倒れ、この別邸で静養していたが、同年十二月十九日明治天皇は病床の実美を気使い、この邸を訪れている

と書かれています。明治天皇自らがお見舞いに来られるほどの明治政府の最高首脳人物の一人だったようです。しかしながら、それで石碑が立ってしまう明治天皇の凄さ

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橋を渡って最初の横断歩道のところに『台東区』の標識があります。隅田川が墨田区との境界なのですが、この道も荒川区との境になっています

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少し歩いて行くと石碑を見つけました。車が来ないのを確認して車道側から見ると『史蹟 平賀源内先生之墓』と書かれています。道端に墓があるのもおかしいと思い、帰宅してから確認したら、付近にある昔「総泉寺」があった場所に『平賀源内先生之墓』が残されているようです

 

Googleマップで見たら、石碑から徒歩1分の距離でした。知らなかったので、そのまま先を急いでしまいました。残念(その場でGoogle検索してみれば良かったです)

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街角に可愛い絵が描かれていました。角だけでなく、壁一面でもいい

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少し歩いて『玉姫稲荷神社通り』のところで左に曲がります

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通りの反対側に渡って進むと、素敵なデザインの公衆トイレがありました。入口に植えてある木がオシャレです

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すぐに「玉姫稲荷神社」に到着しました(一旦道路の反対側に渡って写真撮影)

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手水舎でひしゃくを手に取ってみたら、かなり大きい(通常の倍以上)。作法通りに水を使っても、半分以上水が余ってしまいました・・・(何故このサイズなのかは謎です)

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まずは「玉姫稲荷神社」にお詣りさせていただきました

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拝殿の前には『あしたのジョーのふるさと』と書かれたパネルが置かれています。ネット検索で調べてみたら『丹下段平と矢吹ジョーが初めてあったのが玉姫公園だった』とか『丹下ジムのあった泪橋が近くだから』などと書かれています。『あしたのジョー』ゆかりの地のようです。でも神社の前にアニメのパネル(しかもかなりキレイ)があるのは、個人的には少し違和感があります

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続いて「台東ぶらり散歩 ご利益・パワースポットを巡る」に掲載されている「口入稲荷」にお詣りさせていただきました。同パンフレットによると

【開運就職・結婚・商売繁盛】
"口入れ"とは、仕事を斡旋するという意味。口入稲荷にお参りすれば、狐(お稲荷さん)が良い働き口を探してきてくれるといわれ、就職、結婚、商売繁盛などの祈願に多くの人が訪れています。祈願する際は、狐の人形を持ち帰り、願いが叶ったら一対の夫婦にして神社に奉納します

と書かれています

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たくさんのお稲荷様の人形が置かれていましたが、祈願成就で奉納されたものなのかな?

それにしても一ヶ所に大きな稲荷神社が二つ隣接しているのは、かなり珍しいと思います(まだまだお稲荷様に関する知識が不足しているようです)

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「口入稲荷(玉姫稲荷神社)」を後にして、隅田川の方に戻ります。神社を出て『アサヒ会通り』との交差点で左に曲がり、東方向に進みます

お盆休みなのか、ほとんどのお店がシャッターが閉まっていました

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路上に『歩きたばこは、やめよう』の別バージョンを発見(煙バージョンは以前浅草を歩いた時に見ています→記事「下を向いて歩こう~路上のアート1 」のNo.8)。煙バージョンはカワイイお化けという感じでしたが、こっちは性格の悪い不良タバコが歩いている感じがします(ちょっとホラー)

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「松吟寺」がお寺のように見えなくて、一度通り過ぎてしまったのですが、戻って来て、少し道を入ると『お化け地蔵』様がいらっしゃいました

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『お化け地蔵』様、通常お地蔵様と言われてる石仏としては度を超えて大きいです。説明によると

「おばけ地蔵」の名には、かつて大きな笠をかぶり、その笠が向きをかえたから、あるいは高さ三メートル余の並はずれて大きいからなど、いくつかの伝承がある。
この辺りは室町時代以来、禅宗の名刹総泉寺の境内地であった。門前一帯を浅芽ヶ原といい、明治四十年刊「東京名所図会」には「浅芽ヶ原の松並木の道の傍らに大いなる石地蔵ありしを維新の際並木の松を伐りとり、石地蔵は総泉寺入口に移したり」とあり、「当寺入口に常夜灯あり、東畔に大地蔵を安置す」とも記している

と書かれています。一度は移されているようですが、総泉寺の入口がここだったのか、それとも総泉寺移設時にここに移されたのかは判読できませんでした。『関東大震災で二つに折れたが補修され、頭部も取りかえられてる』とも書かれており、いろいろと苦労されているお地蔵様のようです

英訳が『OBAKE(BOGY) JIZO』と書かれていたのが、ちょっと新鮮でした

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道をまっすぐ歩いて、「橋場二丁目交差点」のところまでやってきました

事前の確認では、この交差点から少し北に移動した場所、

地図の場所から、隅田川の川辺に入れるようだったので行ってみると、

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工事のため通行止めでした。『平成28年10月31日』までと書かれています

工事中では仕方がないので、かなり南になりますが、もう一つの通路「桜橋中学校」手前のところ、

から川沿いに入ろうと思い、

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通りを南下し始めました

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途中「台東区産業研修センター 浅草ものづくり工房」の看板が見えたので、施設の前まで来てみましたが、

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扉は閉ざされており、中には入れませんでした。施設公開日以外は気軽に入れる場所ではないようです

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扉の前にあったので『子育厄除地蔵尊』にお詣りさせていただきました(『昔この地で児童10名が焼死した事件から始まり、供養のため地蔵尊建立に至るまで』の少し恐い話が由来には書かれていました)

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さらに道を南に進んでいくと工事現場の前に『シーサー』(もしくは狛犬)らしき工事の柵を発見(いろんなタイプがあるようです)

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「待乳保育園」の前にはかわいい絵が描かれていました

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隅田川沿いに出れるはずの「桜橋中学校」の辺りまでやってきました(正確には柱に「安昌寺」と書かれた角)

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嫌な感じはあったのですが、やっぱり、ここも工事中で通行止めでした。『隅田公園』からは川沿いに行けると思うので、もう少し先の『隅田公園』入口を目指します

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「桜橋中学校」の『隅田公園』よりの場所に石碑を見つけました。『昭和22年から平成14年蓬莱中学校と統合して桜橋中学校となるまでの55年間、隅田川のほとりにあった今戸中学校を偲んで同窓生により建てられた記念碑』とのこと。平成27年12月と書かれているので、つい最近建てられたばかりのようです。少子化などの影響で学校の統廃合は進むと思うのですが、やっぱり母校がなくなってしまうのは寂しいです

隅田公園』の入口が見えてきましたが、記事も長くなってしまったので、一旦終わります(本来なら隅田川沿いを気持ち良く歩いているところだったんですが、大幅な予定変更になってしまいました)

次の記事

に続きます

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