Bataさんぽ

路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

台東区橋めぐり[上流]+ご利益少々4(待乳山聖天~今戸神社)

からの続きです(せっかくなので本記事も、今週のお題特別編「はてなブログ フォトコンテスト 2016夏」にもエントリーします。一連の写真全体が散策の想い出です)

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少し南側に移動すると「待乳山聖天」と書かれた石柱がありました。矢印の通りに進むと「待乳山聖天」のようです

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石段を上っていくと、たくさんの石仏が並んでいます

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階段を上っていって、本堂でお詣り。「台東ぶらり散歩 ご利益・パワースポットを巡る」によると

【夫婦円満・良縁】
本尊の大聖歓喜天秘仏)は、象頭人身の男女の神が抱擁している姿をしており、その姿から特に夫婦和合のご利益があるとされ、子授け、良縁、富貴を与えてくれるといわれています。毎年1月7日に行われる「大根まつり」では、本尊に供えられた大根が調理してふるまわれます。これをいただくことで聖天のご神徳である夫婦円満、開運招福、身体健全の功徳が授かるといわれています

と書かれています。『象頭人身』の神って、『ガネーシャ神』なのでしょうか?(男女というのが気になります)

 

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帰宅してからインターネットで検索したら、大根と巾着を探しましょうと書かれていたので本堂をアップにしてみたら、見つかりました(他にもいろいろと隠れているそうです)

貰ってきた『待乳山聖天』のパンフレットによると

大根は深い迷いの心、瞋の毒を表し、大根をお供えすることにより聖天様が心の毒を清めてくださいます。その功徳によって、心身を健康にしていただき、良縁を成就し、夫婦仲良く末永く一家の和合をご加護いただけます
巾着は財宝を表し、商売繁盛、事業繁栄のご利益を示しています

と書かれています。大根が『迷いや瞋(いかり=煩悩1つらしいです)』を表しているということに驚きました(美味しいのに・・・)

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本堂に入ってお詣りしてみると、大量の大根が供えられていました(すっかり忘れてしまいましたが『毘沙門天』様は本堂にいらっしゃったのかな?)

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天井には立派な水墨画の龍も見ることができました

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本堂を廻ってみると、まず左奥に石造りのお稲荷様を発見。こちらもお詣りさせていただきました

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さらに『百度石』もありました(反対側にもう1つ)。御百度参りができるようになっているようです

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ぐるっと廻って戻ってくると目に入ったのは『心願成就』と書かれた石柱。ここでお祈りすると『心願成就』できるのかも・・・

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入口のところに戻ってくるとたくさんのお地蔵様が安置されています。『歓喜地蔵尊』とあり、

数度の火災に遭い、その尊容とどめていないが古来より子育地蔵として伝承され、霊顕あらたかな尊として信仰されている

と書かれています。今は大切に置かれているようで安心です

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反対側に安置されているのは『出世観音像』、

昭和十一年境内整地のおり御頭のみが出土され足利末期(一六00年頃)の柵と鑑定された学業芸道を志す者の尊信をあつめている

とあり、御身体は後から作られたもののようです。『学業芸道』と書かれていたので、いつもより時間をかけてお詣りしてしまいました

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石段を下りたところには『池波正太郎 生誕の地』の碑がありました。『関東大震災で焼失してしまったそうですが、生家は待乳山聖天公園(この場所)の南側にあった』そうです

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公園の横をまっすぐ歩いて、三叉路は右側の道を行けば、再び『山谷堀公園』に出てきました。橋の名前は『聖天橋』、きっと「待乳山聖天」に因んだ名前だと思います(憶測)

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『浅草名所七福神コース』の道案内も立っていました。この道を歩く人は少ないと思っていたら、散策コースになっていた様子(全体がどういうコースなのかはインターネット検索ではわかりませんでした^^;)

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近くにあった石碑。立派なので確認してみたら『東京都立台東商業高等学校同窓の碑』でした。調べてみたら、『2007~9年に東京都立浅草高等学校に統合された高校の一つ』のようです。碑を建てて母校の名前を残しています(先ほども今戸中学校のものを見かけましたが、最近は多いのでしょうか?)

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道をまっすぐ歩いていたら、「今戸神社」の裏口に出てしまったので、引き返して、この角を曲がりました(神社は表からお詣りしたい)

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大きな通りに出て、左に曲がると「今戸神社」の鳥居が見えました

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今戸神社」、鳥居の手前には、仲良く並んだ猫の絵と『沖田総司 終焉の地』と書かれています。御由緒によると

 当社は元今戸八幡宮と称し、後冷泉天皇の時代康平六年(一〇六三)源頼義、義家父子は勅命に依り奥州の夷賊安太夫安倍貞任、宗任を討伐の折今戸の地に到り、京都の石清水八幡を鎌倉鶴ヶ岡と浅草今津村(現今戸)に勧請しました。
(中略)
 伊弉諾尊伊弉冉尊御夫婦の神は加賀の白山比呼神社の御祭神にして、嘉吉元年(一四四一)千葉介胤直が自分の城内に勧請しました。
(中略)
 昭和十二年今戸八幡と合祀され今戸神社と改称されました

と書かれており、鎌倉の「鶴ヶ岡八幡宮」とも縁のある神社のようです

『御祭神の『應神天皇』は安産子育ての神、『伊弉諾尊イザナギノミコト)・伊弉冉尊イザナミノミコト)』子孫繁栄と縁結びの神として崇敬されている』とあり、【縁結び】の神様です

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大きなイチョウの木の廻りには、びっしりと絵馬が掛けられていました(「待乳山聖天」でも見かけた人力車ですが、人力車に案内されてお詣りする方を数名見かけました)

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広い境内を通って参道を進み、拝殿にお詣りさせていただきました

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並んだ招き猫の前で猿が招いています(笑)。招き猿初めて見ましたが、申年だからですね。横にいらっしゃるのが浅草七福神の『福禄壽』様のようです

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拝殿の前には『招き猫発祥の地』を表していると思うのですが、『お江戸は浅草 今戸で生まれ 愛され続ける 招き猫』と刻まれたカップルの招き猫が置かれています

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左側『今戸焼発祥之地』の説明には

 今戸焼の起源は定かではないが、伝承では天正年間(一五七三~九一)に千葉家氏の家臣が今戸辺りで焼き物を始めたとか、徳川家康入府後三河の陶工が今戸に移ってきた来たともいわれる。
(中略)
 関東大震災東京大空襲により職人が次々に区外へ移り、現在今戸には一軒のみが残り、伝統を伝える「口入れ狐」や「招き猫」などの人形が今でも製作されている

と書かれています。既に途絶えてしまいそうな『今戸焼』の現状を知りました。その発端が関東大震災東京大空襲という未曽有の災害の影響というのは悲しい史実です(戦争は文化にまで影響しています)

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もう一つは『沖田総司終焉之地』、『御典医松本良順にも拘わらず、その甲斐もなく当地にて没したと伝えられている』そうです(検索しましたがお墓はこの辺にはないようです)

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手水舎が見当たらないと思っていたら、びっしり絵馬に囲まれて見えないだけでした

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その横には可愛い犬がいました(招き猫の神社でも笑顔です)。『皆様 ようこそ 奥浅草に』と歓迎してくれています(この辺は『奥浅草』と呼ばれているようです)

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可愛かったので授与所で招き猫の小さな置物を買ってしまいました。帰宅してから気がついたのですが、禁断の両招き猫でした(笑顔でバランス取っていれば、両方招けるかも笑笑笑。現在、はてなTwitterのアイコンはこの子になっています)

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今戸神社」の目の前にある「飴細工 アメシン」さん。中に入ってみましたが、体験工房が主のようで、展示なども少ないように感じました(人気があるようでお客さんは数組いました)

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ようやく「桜橋」を渡るため、「台東リバーサイドスポーツセンター」のところに戻って来ました

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入口を探して、少し北側へ移動

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野球場と陸上競技場の間の道を通って、隅田川近くの道に戻って来ました(この道をまっすぐ行くと先ほど『台東区古川市姉妹都市宣言』の石碑を見つけた場所になるはず)

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色々と盛りだくさんで、すっかり忘れていましたが、GTS環境アート作品の1つ、『桜橋北詰はらっぱ』を発見。『桜橋のたもとに、足を止めて一息つける場所を作りたい』と考えて作られたそうです

時刻は12時40分すぎ、お腹も空いていますが、先に「桜橋」を渡り「三囲神社」をお詣りします。これからというところなんですが、記事が長くなってしまったので、一旦終わります

次の記事

に続きます。引き続きよろしくお願いします

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