駅からハイキング:名所&グルメスポットで上野を「感じる」1(上野駅~上野大仏)
少し前になりますが、9/21 天気が持ちそうだったので、JR東日本のウォーキングイベント『駅からハイキング』
www.jreast.co.jp「見て・触れて・感じる 上野」の第3回『名所&グルメスポットで上野を「感じる」』に参加してきました(2016/9/20~26開催なので既に終了しています)
いつも通り、上野東京ラインで「上野駅」へ
「品川駅」までは、ほぼ満員だったのですが、徐々に人が降り、「東京駅」を過ぎると、がらがらになってしました
「上野駅」ホームに降りてみると、駅名表示が新しくなっています。『UEN JU 02』という記号と(多分)中国語と韓国語の駅名表示が付いています(気になる方は前回の上野訪問記事「駅からハイキング:上野の歴史を「見る」1(上野駅~西郷隆盛銅像)」を見てください)
今まで同じく入谷改札のところに案内が出ています
以前も撮ったのですが「警視庁鉄道警察隊 上野分駐所」。ここは鉄道隊なので分駐所となっているようです(「分駐とは - Weblio辞書」によると『本隊と分かれて駐在・駐屯すること』と書かれています)。いろいろと名前も難しいです
受付開始15分前ですが、既にたくさん人が並んでいます
予定より10分ぐらい前(9時50分頃)に受付が開始され、マップと
記念の缶バッチと
「見て・触れて・感じる 上野」全3回参加記念のペットボトルホルダーを頂きました
今来た道を戻って、入谷改札前から「パンダ橋」へ(前回と同じコース)
「パンダ橋」を「上野恩賜公園」側へ移動します。マップだと横の階段を上がるように指示されているのですが、前回と同じなのも芸がないので、左横のスロープから攻めてみます
アメ横側を向いて写真を一枚。ここってホームを上から眺められます(京浜東北線の電車が停車中です)
『パンダ橋』の石碑のところを通って、マップに従い、上野駅公園口の前をまっすぐ歩いて行きます
「上野動物園」の案内板、パンダだと思って撮ったのですが、よく見ると細長い尻尾があり、象のようです(尻尾がなければパンダにしたのに^^;)
バス停のところには「めぐりん」キャラクターのタイルを発見。台東区ホームページ「キャラクター紹介 台東区ホームページ」によると『チャキチャキ従兄妹 東西めぐりん』です(プロフィールでは『デンマークに交換留学していた』となっています^^)
公園の入口を過ぎると、観光バスの駐車場なのか、一列にバスが並んでいます
「国立科学博物館」の裏側には『ラムダ・ロケット用ランチャ』が展示されています(かなり大きい)。説明によると『昭和49年まで一連のラムダ・ロケットの実験に使用された』実物のようです
横の観光バスの1台が綺麗でした。『YUMEJI ART MUSEUM』と書かれているのですが、検索すると「夢二郷土美術館 」は岡山県にありました(岡山からのバス? ちょっと気になります)
まっすぐ進んだ後、最初の角を左に曲がり、「日本学士院」の前を通り過ぎます
通りの反対側には「両大師」が見えますが、今日は寄り道しません^^;
マップに従って「上野恩賜公園」に入ると、目の前に「国立科学博物館」が見えます(先にウォーキングを済ませてから、と考えたのでここでは入館しません。実は時間見積もりを誤っていたので、今日は入館できていません。また今度^^ノ)
『シロナガスクジラ』がデカいです。結局フレームに入りきりませんでした
館の横には『D51機関車』も展示されています
今日は先を急ぎます。マップに従って、大噴水の方へ
今回の水の出方は控えめでした^^(本当にいろいろなパターンがありそうです)
前回記憶が定かではなかったのですが、この『動力電灯イベント盤』を目印に右に入ると
『ボードワン博士像』があります(説明については記事「駅からハイキング:上野の歴史を「見る」2(国立西洋美術館~芸術の散歩道)」を見てください)
この道を通るのは3回目ですが、初めて、この2つに気がつきました^^;
1つは『寛永寺根本中堂跡』。説明を抜粋すると『寛永寺の中心的堂宇で、堂内に本尊の薬師如来が泰安してあった』そうですが、『慶応四年(一八六八)五月十五日、彰義隊の戦争がこの地で起こり、寛永寺堂塔伽藍はほとんどが焼けた』と書かれています(抜粋しすぎかもしれません)
もう1つは『初代歌川広重 東都名所上野東叡山全図』のレリーフ。燃えてしまう前はこのような場所だったようです
今回も「STARBUCKS COFFEE」の前を通り過ぎて、マップ従い、「上野動物園」入口へ(囲いに漢字で動物の名前が書いてあるのが面白かったです。写真は『象』のみ)
「上野動物園」は駅からハイキングの全コースを踏破してから、戻って来ます
「上野動物園」前の大きな道を進み(横に『小松宮彰仁親王銅像』も見えます)、マップ従って右に曲がりますが、大きな道の横にある遊歩道のような道を歩くことにしました(こういうところが「上野恩賜公園」の魅力です)
道端には『上野ライオンズクラブの作ったトーテムポール(鉄筋コンクリート造り)』が立っています。横にあった説明によると『上野恩賜公園に緑の森と動物と人間生活の結びつきを強調し交通標として都民の平和と繁栄を願って』いるそうです
少し歩くと『寛永寺 上野大仏』の看板が立っています(ずっと気になっていた「上野大仏」に今日はお逢いできそうです)
階段の横に『上野大仏とパゴダ』との説明があります。長いので整理すると
最初の大仏:
寛永八年(一六三一) 二メートル八十センチ前後 粘土を漆喰で固めたもの
正保四年(一六四七)の地震で倒壊
その後:
明暦~万治年間(一六五五~一六六〇) 三メートル六十センチ超 青銅製
天保十二年(一八四一)の火事で被害→一年後修復
安政二年(一八五五)の大地震で頭部が倒壊→間もなく修復
大正十二年の大震災で面部が落下
第二次世界大戦の金属供出令により大仏の体・脚部を供出
現在:
昭和四七年壁面を設け「上野大仏」の顔をレリーフ状に奉安
と書かれています。いろいろなことがあった大仏様のようです
丘陵の正面ある建物は「パゴダ」(仏塔)
上野観光連盟が上野公園の名所のひとつとするために建設(昭和四二年六月完成)
内部には中央に薬師如来、左に月光菩薩、右側に日光菩薩を安置
と続いており、作られた観光名所?のようです
階段を上がって正面にあるのが「パゴダ」、まずはこちらにお詣り(中は写真撮影禁止でした)
こちらが「上野大仏」。考えてみると関東大震災で面部が落下しなかったら、今はこれもなかったかもしれません
絵馬も大仏様の面部です。ちょっと不思議な雰囲気
ここの授与所にあった『んのお守り』授けていただきました^^
黒と赤の2色がありましたが、どちらでも同じだそうです
階段を下りて、先に進もうとすると道の横に石垣に乗った灯籠のようなものがあったので撮影してみました(後ろに「精養軒」が見えます)
すぐ先には「上野大仏」からの「精養軒」側に降りる階段があり、横にはお地蔵様が安置されていました
マップによると残り3.2Km(現在約1.8Km)でまだまだこれからですが、記事も長くなってしまったので一旦終わります
次の記事
に続きます
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