Bataさんぽ

路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

旧東海道を歩く35(小田原[薮原稲荷~なりわい交流館])

本日もブログ訪問ありがとうございます!

記事としては旧東海道を「小田原宿」を目指して歩き続けています(もうすぐ小田原宿です)

前の記事「旧東海道を歩く34(小田原[二宮尊徳表彰の地~山王神社])」

から続いています

『ローストビーフ丼』を満喫してエネルギー充填100%となったので、先を急ぎます(今回はランチ難民になりませんでした^^)

 

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山王神社」前で海側を撮影。本当に海の近くを歩いています。旧東海道は割と海沿いだったようなので、昔もこのくらいの近さだったのかもしれません(そういう意味では埋め立てられている横浜近辺が異常?)

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橋を渡りきったところにある、どらやき屋さんの看板(あとで買って食べようと思ったんですが、お店に立ち寄るのを忘れました。残念)

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橋を渡って、すぐの場所にある鳥居の先にあるのが「薮原稲荷」。小さいのに鳥居が3つもあります(神域深い?)。しっかりお詣りさせていただきました

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日本橋から83Km』の標識。見つけると『ここまで歩いてきた』という感じする素敵な標識

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小田原城』と書かれた標識も発見! 小田原の街はもうすぐのようです

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東海道 小田原宿』と書かれた街灯?らしきモノがあります。横に廻ってみると『山王口は「江戸口見附」とも呼ばれ、小田原城から江戸に向かう出入り口であるとされています』と書かれています。ここから小田原宿です

ちなみに小田原宿の史跡ですが、いままで見かけた宿場としての史跡名(江戸見附とか本陣とか)が前面に出てきていません。説明を読むとわかるものが多かったように感じます

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すこし歩いた後、歩道橋の横にあったのは『江戸口見附並びに一里塚』
あれ?ここにも『江戸口見附』跡と思いましたが、一里塚があり見附もあった珍しい場所のようです

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歩道橋の反対側にも何かあるようなので、行ってみることにしました

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こっちにあったのも『江戸口見附跡』の史跡でした^^;(過剰設置?)
こちらには大正時代初期の写真があり、街道の両側に土塁跡があったようです(だから両サイドに史跡があるようです)

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歩道橋を渡って街道の左側に戻り、先に進みます

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いろんな場所への案内が立っていました

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『蛙石』があるという「北条稲荷」に行ってみたいので、一旦旧東海道を離れて、左に曲がります

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曲がってすぐ、住居の横にあった小さな神社(「北條稲荷」ではありません)。こちらでもお詣りさせていただきました

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ウォークマップに従って道を歩いて行くと、鳥居が見えてきました

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まずは「北條稲荷」の本殿にお詣りさせていただきました

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お賽銭箱がお社内にある神社は多いのですが、お賽銭を入れやすくしている、この仕組みにちょっと感動(なかなか小さな隙間からお賽銭を入れるのは難しいのです)

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『蛙石』です(『かわずいし』と読むようです。ずっと『かえるいし』だと思っていました^^;)。説明を読むと

今から四百年以前北條稲荷が当地に建立せられて以来蛙石は稲荷末社の一として蛙石明神と崇められ永い由緒をもった小田原の名蹟である。その蛙石という名称は形状の蛙に似たところよりいつしか唱えられるに至ったものであろう。もと小田原城内の庭上にあったものを北條稲荷勧請の際ともに城中よりここに移されたと伝えられているが明治三十五年の大津波にも大正十二年の大地震にも少しの異動もなかったので試みに掘り出そうとしたところ一丈の深さに及んでも下部に達しなかったので然らば地下岩盤の露出の先端ではないかという。
都路往来の文中に「蛙鳴くなる小田原の里」とあるのはこの蛙石が小田原に異変があるときには必ず鳴声を発するためだと伝えられ特に北條宇時代小田原落城の際は夜なゝ盛んに鳴いたというのは名高い伝説である

と書かれています。先端は蛙のようですが、地中深く(少なくとも3m以上)に埋められた由緒ある御神石です。面白い伝説が残っています(怪獣映画なんかに使えそうですね)

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街道に戻り、先に進みます

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小田原市内、街の至る所に町名の史跡が立っています(横には昔どんな場所だったのか説明が書かれています)

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ここで『国道1号線』を離れて、左に曲がります

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ウォークマップにも記載されている『鍋町』の石柱を目印に

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右に曲がると、

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小田原かまぼこ通り』の看板が立っています(この通り、名前のとおり、かまぼこ屋さんが多いです)

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少し歩いて行くと『万町』の石柱がありました。少し手前で通りの右側にも同じく『万町』の石柱を発見したので、1つずつではないようです(どういう基準で立っているのかまでは推測できませんでした)

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立ち寄りませんでしたが、お店による『小田原 街かど博物館』も行われているようです

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以前、テレビ(たしか『歴史の道歩き旅』だったと思う)で紹介されていた、『小田原おでん』のお店もこの通りにありました(さすがにまだお腹は減っていなかったので、前を通りすぎました)

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次に見つけたのは『高梨町』の石柱

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「小田原宿 脇本陣小清水旅館」の看板の上に、『8月15日の小田原空襲』の説明があります

1945(昭和20)年8月15日、まさに敗戦当日、深夜1時か2時頃、小田原市はアメリカ軍の戦略爆撃機B29一機による焼夷弾空襲を受けました。
 小田原空襲の直前には、埼玉県熊谷市群馬県伊勢崎市が空襲を受けており、その二都市を攻撃した編隊の内の一機が、マリアナ諸島の米軍基地へ帰還する途中に小田原を空襲したものと考えられます。アメリカ軍のその日の作戦任務報告書には、小田原空襲の記載は一切なく、計画されたものではありませんでした

と書かれています。タイミング的にも、戦争行為としても悲惨な状況が感じられます(なんかドラマにできそうな物語です)。戦争の悲惨さは薄れてきているような気がするので、こういう話を伝えていくことは大切だと感じます

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『宮前町』の石柱を過ぎたところで

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明治天皇聖跡』と書かれた石柱を発見、奥に何かあるようなので、行ってみます

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明治天皇宮ノ前行在所跡』と書かれた説明には

明治天皇宮ノ前行在所跡は、明治天皇が宿泊した清水金左衛門本陣のあった場所です。正碑は高さ二.七三mの小松石の総磨で、碑面に「明治天皇小田原行在所址」と刻んであります。副碑には由来が刻まれています
 清水金左衛門本陣は、小田原宿に四軒あった本陣のうちの筆頭で、清水金左衛門家は江戸時代に町年寄も勤め、宿場町全体の掌握を行っていました。本陣の敷地面積は、およそ二四〇坪で、大名、宮家などの宿泊にあてられました。
 明治天皇が宿泊したのは、明治元年(一八六八)一〇月八日の御東行の際を初めとして五回を数えます。明治天皇聖跡小田原町保存会は、この土地を買収して、昭和一五年二月に整備工事を着手し、昭和一五年一〇月に落成しました

と書かれています。ここが4つあった本陣の一つのようです(あくまでも明治天皇の史跡で方が強調されています)。なんとか判読できた副碑の方には明治天皇がいつ宿泊されたのかが書かれていました

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少し先に見覚えのある柳の木が見えてきました

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「小田原宿なりわい交流館」に到着しました(小田原七福神巡りの時も来ているので2回目になります。興味のある方は記事「小田原七福神巡り5(大蓮寺~小田原城)」をみてください)

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「なりわい交流館」の前には『小田原宿』の説明があります

冒頭に『小田原宿は、東海道起点の江戸日本橋からおよそ80Kmの距離にあり、第一宿の品川宿から数えて九番目の宿場で、通常は途中一泊してここに到着します』と書かれています

戸塚宿でも驚きましたが、昔の人はやっぱり1日40km(十里)歩いて旅をしていたようです(時速4kmとしても10時間、途中で休憩したことを考えると、朝早くから日のあるうちはずっと歩いていたようです)

中に入り、今回も麦茶いただき、少し休憩させていただきました

ようやく「小田原宿」に到着ですが、記事も長くなってきたので、一旦終わります

次の記事

に続きます

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