隅田川七福神めぐり2(向島百花園~多聞寺)
本日もブログ訪問ありがとうございます!
隅田川七福神めぐりも後半に入ります
前の記事「隅田川七福神めぐり1(三囲神社~長命寺)」
から続いています
ようやく目の前に見覚えのある「向島百花園」が見えてきました
写真等は省きますが、「向島百花園」の前に『隅田川七福神めぐり』の由来が書かれている説明があります。少しだけ過去記事から引用すると
文化元年(一八〇四)向島百花園が開園してからここに集まる文人墨客たちが、園主佐原鞠塢が福禄寿を祭っているのを知り、この隅田川の東岸にも七福神をそろわないものかと考え、七福神にそれぞれ縁故をもつ神社仏閣を探し出した。そして、初春七草の間に寿福を祝い、家門繁栄、家業隆盛を願う初参りの行事を創始したのが、隅田川七福神のはじまりである
台東区橋めぐり[上流]+ご利益少々1(東向島駅~白鬚神社) - Bataさんぽ
七福神の「七」という数は、陽を表わす奇数であって、古くから、めでたい数字とされている。七難即滅、七福即生、万姓安楽という語句は七福神の語源ともいわれ、寿命、有福、清廉、愛敬、威光、大量の七つの神々を象徴するもので、心新たな年頭にあたって参拝し、その年の至福を祈念するならわしが七福神初詣でのいわれである
台東区橋めぐり[上流]+ご利益少々1(東向島駅~白鬚神社) - Bataさんぽ
と書かれています(説明板の写真については引用元の記事を参照お願いします)。寺社ではないのですが、ここ「向島百花園」が『隅田川七福神めぐり』の始まりの地です
この説明を以前読んでいたので、『隅田川七福神』を知り、今回めぐってみようと思い立つに至ります
入口で入園料を支払おうとすると、本日(1/3)まで入園料無料とのこと(ラッキー^^)
受付が閉まっているので『御分体の授与はどちらになりますか?』と入口にいた若い方(おそらく高校生ぐらい)に訊くと『御分体? よくわからないので中で訊いて下さい』とのこと
バイトだから仕方ないのかなとも思いつつ、もう少し『隅田川七福神めぐり』についてきちんと説明しておいてあげてもよいのかなとも思います
御朱印を受ける方はまず先に御朱印帳を預けてくださいというありがたいご忠告。確かにその方が効率的に廻れます
入口を入ると素敵な灯籠が立っています(以前はなかったような・・・)。お正月だからなのかもしれません。書かれている文字は『無欲にはいまだにたれず去年今年』でしょうか(そんな境地には当分到達できそうもありません)
今までの3寺社は並んでいる人がいなかったのですが、行列が出来ています(『福禄寿』様は(記憶に間違いがなければ)お正月のみの開帳だからかもしれません)
それに外でバスガイドさんや地元のガイドさんに連れられた人達を見かけたので、どうやら『隅田川七福神めぐり』のツアーの人達とも合流してしまったようです(時間も11時近くなり、外出する人も増えてきたせいもありますね、たぶん)
それほど待つことなく『福禄寿』様のご尊顔を拝観させていただきお詣り完了
園内にあった授与所?(販売所?)で『福禄寿』様の御分体を授与していただきました
ここで園内に奉納に来られた『浅草雑芸団』に遭遇(きっと、この方達と出会うために、出掛けにばたついたり、寄り道したり、道を戻ったり、遠回りしてきたような気がします。もう少し早く移動していたら、『奉納演芸』を見れなかったでしょう)
※ちなみに『奉納園芸』は1/3のみです(毎年行われているようです)
まず最初は俵を3回投げて戻す芸を見せていただき、三千両を頂きました(笑)
笑いを促されて、最初はぎこちなく笑っていたのですが、段々本当に笑えるようになってきました。笑っていると高揚して気分も良くなってきます
金貨を授けてくれると言うので貰ってきました(チョコでした^^)。後で使うというので、溶けてしまわないようにポケットに収納
続いては『春駒』という芸を見せていただきました(2箇所のものを見せていただいたのですが、どことどこだったか忘れました^^;)
鈴を頭の上で振っていただき、今年一年を祝っていただきました(確か繁栄か安泰と健康だったように記憶^^; 記憶が定かでないのはきっと気分が高揚していたせい。なぜかずっと楽しかったです)
最後はサイコロの傘廻しで抽選会。最初に貰った金貨と同じ色が出たら、景品をくれるそうです。黄色(6)が出ろと祈りましたが、出たのは黒(1)でした。残念
最後に干支の酉か七福神の縁起物(初穂料 300円)を授けてくれるそうなので、
これも縁と考えて、1つ『大國神』を授与していただきました
それにしても新春から笑うっていいことなんですね。笑う門には福来たる
『浅草雑芸団』の『奉納演芸』を見れて本当に幸運でした^^
(『浅草雑芸団』の皆さんはまた梅の季節に「向島百花園」を訪れるそうです。また来てみようかな→公園に行こうホームページ「お知らせ|向島百花園|公園へ行こう!」によると『②江戸大道芸 平成29年2月12日(日)、2月25日(土)各日11時30分、13時30分、15時 (各回約30分)*雨天中止』となっていましたよ)
せっかくなので園内を見ていこうと思ったら、『制限公開』ということで奥にはいけませんでした(ちょっと残念)
『浅草雑芸団』の皆さんの後ろをついて、「向島百花園」を出ます(『浅草雑芸団』はこれから「長命寺」に向かうようでした(つまり北から南に下っているようです))
ここでトイレに行きたくなったので、外にある仮説トイレへ。すっきりして戻ってくると
墨田区のゆるキャラ『向島言問姐さん』にも出会えました(手を振ったら、手を振り返してくれましたよ)。隅田川七福神めぐりのホームページに『長命寺で待ってるニャン(=^・^=) 』と書かれていたけど逢えなかったので残念に思っていたのですが、人力車で巡回していたのですね。ついてました^^
前回も歩いている「向島百花園」から「白鬚神社」へ向かう道。この日は『参拝順路』の案内板もありました(同じ電柱に『白鬚神社↑』の案内もあるので迷いません)
それほど歩かずに『白鬚神社』に到着
ここも本殿前の鳥居まで行列が出来ています(段々人が増えてきました)
無事「白鬚神社」にお詣りさせていただきました
前回も見ている『隅田川七福神めぐりコース案内図』ですが、
白鬚神社は住吉の寺島村の鎮守であって、祭神を昔風に平たく申し上げると白鬚大明神である。江戸時代の終りに近く、町人文化が全盛の時期、当村の百花園に集っては風流を楽しんでいた文人たちが、隅田川の東岸で初春の七福神詣を始めようとしたとき、どうしても近隣の寺社に寿老人が見つからない。そこで機智を働かせ、鎮守の白鬚大明神は、白いお髭の御老体であろうから、まさに寿老神としてたたえるのにふさわしいということになり、めでたく七福神が誕生したわけである。
寿老神は、人びとの安全と健康を守る長寿の神として崇敬されている。
と書かれています。このブログでは3回目になりますが、「白鬚神社」には『寿老人』様の像などはなく、神社そのものが『寿老神』様となっています
そう言えば「向島百花園」の『隅田川七福神めぐりコース案内図』はどこにあったんだろう?(確認してくるのを忘れました^^; 宿題2つ目)
授与所で『寿老神』様の御分体を授けていただきました
ふと目に入ったので『招福茄子』のお守りも授けていただきました(「白鬚神社」と言えば『寺島ナス』ですから^^)
「白鬚神社」を出て、最後の「多聞寺」を目指します
上の写真のちょうど向かい側に『歴史と文化の散歩道』の道標を発見。先ほど横を通った「子育地蔵尊」を経由してくるコースになっているので、いろいろと史跡を廻る、ちょっと遠回りなコースになっているみたいです
『墨堤通り』に出て、北上します。このビル懐かしいなぁ
『隅田川七福神巡り』の看板を手がかりに直進していきます。行けども行けども直進の矢印が続きます。「多聞寺」、予想以上に離れています
「堤通駐在所」のところで、ようやく右に曲がる看板を発見^^;(ここまで「白鬚神社」を出て約20分)
看板に従って歩きましたが、まだまだ先がありました
狭い路地を抜けて、最後の左に曲がる看板の通りに移動して
ようやく「多聞寺」に到着(「白鬚神社」から約25分でした。ここだけかなり遠いです)
立派な山門の隣に
『隅田川七福神めぐりコース案内図』がありました。説明には
多聞寺はその昔、墨田堤の外側、水神森近くにあったが、四百年ほど前、徳川氏が江戸に移った直後、今の場所に移された。本尊の毘沙門天は、弘法大師の作と伝えられる。
毘沙門天は佛法の守護神のひとりで、世界の中心に聳える須弥山の北方を巌然として守っていたとされる。またの名を多聞天とも申し上げる。しかし、その反面、三界に余るほどの財宝を保有していて、善行を施した人びとには、それを分け与えたといわれる。強い威力を持つ一方で富裕でもあるという神格が福徳の理想として、七福神に含められ、信仰された理由である。
と書かれています。『多聞天』様が御本尊なので「多聞寺」なのですね、きっと。それにしても弘法大師様の作とは驚きです(「三囲神社」も弘法大師様が祀った「田中稲荷」が始まりとなっていたので、やはりこの辺りにいらっしゃたようです)
行列に20分ほど並びましたが、無事お詣りすることができました。本堂の奥に『毘沙門天』様も拝むことができました
授与所で『毘沙門天』様の御分体を授けていただき、『隅田川七福神めぐり』は無事完了です
授与所で気になったので授与していただいた『福たぬき』。授与していただく時に『本寺はたぬきにもご縁のある場所なのですよ』と教えていただきました
教えていただいた場所にあった説明紙にある『狸塚のいわれ』を要約すると
昔、大きな池のそばに牛松と呼ばれる、大人五人でかかえるほどの松の大木の根元に大きな穴があり、妖怪狸がすみつき人びとをたぶらかしていた。
和尚と村人たちは、妖怪狸を追い払うため、まず松を切り倒し、穴を塞ぎ、それから池を埋めてしまった。しかし狸のいたずらはひどくなるばかり。
和尚さんは一心にご本尊を拝むと毘沙門天様の使いが現れて妖怪狸に
「おまえの悪さは、いつかおまえをほろぼすことになるぞ」と話しました。
次の朝、二匹の狸がお堂の前で死んでいました。これを見つけた和尚さんと村人たちは狸がかわいそうになりました。切り倒した松の木や埋めてしまった池の供養のためにもと、塚を築いた
とのこと。反省する時間もなく、死んでしまうとは確かに可哀想な感じがします
山門入ってすぐ横にあったのが、現在の『狸塚』のようでした。中には小さな狸の人形が2体祀られていました(合掌)
他にも『映画人の墓碑』があるとのことで、見に行きました(裏にはびっしりと人の名前が書かれていました)
無事「多聞寺」のお詣りも済んだので、この後隅田川の反対側で「浅草名所七福神めぐり」に挑戦しましたが、あえなく敗退
普段でさえ人が多い「今戸神社」「浅草神社」で30~40分待ちでかなりげんなりしていましたが、「浅草寺」と「鷲神社」は1時間はお詣りできないくらいの長蛇の列で参拝を断念しました。気が向いたら、どこかでその様子を記事にするかもしれませんが、一旦これにて七福神めぐりは終了
帰宅してから授けていただいた御分体を宝船に安置して
無事『宝船』が完成しました^^
家の中心に舳先を向けるとよいとのことだったので、家の中心を向くように飾っています
これで今年は安泰&繁栄&健康です^^(きっと他にもご利益いっぱい)
これにて『隅田川七福神めぐり』の記事はお終いです。長い記事にお付き合いくださりありがとうございました
明日からまた金沢・高山旅行の記事を再開します。よろしくお願いします
※御礼
いつも読んでくださり、はてなスターやコメントなどありがとうございます
ものすごく励みになっております。これからもよろしくお願いします