Bataさんぽ

路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

旅行:金沢・高山に行ってきました12(奈良井宿2・松本駅)

本日もブログ訪問ありがとうございます!

長々と続いた11月の旅行記事も本記事でラスト! 「奈良井宿」の宿場町を散策が続いています

前の記事「旅行:金沢・高山に行ってきました11(奈良井宿1)」

からの続きです

 

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基本一本道な宿場町なので、来た道を戻っていきます。素敵な土産物がたくさんあったのですが、時間の関係もあり素通り

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奈良井宿 町並み建築てくてくマップ』によると、二階の部分も特徴的なようなので二階も眺めながら歩きます(今一つ、違いがよくわからない私です)

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郵便受け、これはいいデザインですね

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昔ながらのお店の雰囲気が残っているような感じがしたので撮影

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行きには気がつかなかった、「鍵の手」のところにある「荒沢不動尊」、お詣りさせていただきました

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さきほど通りすぎた「上問屋資料館」、見学していくことしました。入口横の説明には

この家は慶長七年(一六〇二)から明治維新に宿場制度が廃止されるまで凡そ二百七十年間継続して奈良井宿の問屋をつとめてきました
天保年間からは庄屋も兼務して明治維新に至りました

現在の建物は天保十一年の建築でその当時の記録が残されています

明治十三年六月二十六日明治天皇が御巡幸の際御在社となったそのお部屋は一番奥の上段の間であった。今でもその当時のまゝ保存されております

 と書かれていました。中で確認したのですが、『問屋』は東海道で言う『問屋場』のことです(『問屋場』も内覧できるところがないので、観ておきたかったのです)

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なかなか広いです。廊下には展示物も置かれています

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小さいけれど庭もあり、折れ曲がった廊下が素敵です

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明治天皇が御在されたという居間。小さいけれど神棚が置かれていました

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木の年輪ではなく『深山の老木に自然に出来た「猿の腰かけ」という茸を額にしたもの』だそうです。珍しいです

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(確か)台所です

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2階に上がって、通りを眺めて見ました。映画やドラマなどで観る、2階から通りを眺める雰囲気を少し味わってみました

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『舌代』と書かれた説明。『天井は鉋を使ってない「ちょうな」削りで釘は使ってない』そうです(初めて知りましたが、釘は貴重なものだったそうです)。天井の写真撮影したのですが、あまりに暗くて、全部ピンぼけでした。ごめんなさい(もし奈良井宿に行かれることがあれば、天井も眺めてみてください)

『問屋(問屋場)』と言う人足の人が出入りする場所というイメージだったのですが、全然違っていて、昔の役所だったということがわかりました

通常、明治天皇が御在所にするのは本陣のような気がしますが、なぜだろう?と思い、再度観光案内所で訊いてみたのですが、『(奈良井宿の)本陣は昔の火災で焼失してしまった』とのことでした(ちょうど観光案内所の向かい側の建物の辺り)。『図面などの資料も一切残っておらず、再建は出来ない』とのことでした(ちょっと残念)

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「徳利屋」まで戻って来ました。実はここ市指定有形文化財になっているお店で、食事も美味しいそうなので、ここで食べたかったんですが、この日はお休みでした(超残念)

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「マリア地蔵尊」を見たいので、「大宝寺」へ

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中に入ると無人の参拝受付がありました

お参りありがとうございます
○パンフレットをお取り下さい
○一人百円箱にお入れください
○マリア地蔵は外に出て、右に、すぐ左にお廻り下さい(以下略)

と書かれています。指示通りに参拝料をおいて、手書きの地図に従って歩いて行くと

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柵で囲われた小さな祠が確かにあります

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説明には

この石像は、昭和七年(一九三二)の夏に、地元の人が藪のなかになかば埋もれているところを掘り出したと伝える。抱かれる嬰児が手にも蓮華の先が十字状になっているところから、隠れキリシタンが観音像をよそおってひそかにまつったものではないかと言われている

と書かれていました

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アップにしてみました。確かに十字に見えなくもないです。どんなお顔をしていたのでしょうか、ものすごい優しいお顔だったのではないかと想像してしまいました

さてお詣りを済ませて「大宝寺」を出ようとすると、一人の観光客の方が道を訊ねたさそうな顔をして近づいてきます。対応するために近づくと外国の方で、いきなり英語で質問されました(うぅ英語苦手なのに^^;)
どうやら「マリア地蔵尊」を探しているようです。あとは身振り手振りで先ほどの無人参拝受付まで行き、地図を指し示して説明しました(なんとかわかってもらえたようです。良かった^^)

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スタートした地点近くまで戻って来ました。まだもう少しだけ時間があるようなので、せっかくだから「奈良井駅」まで行ってみようと思います

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奈良井宿」の入口には宿場の説明が出ていました

 奈良井は、戦国時代に武田氏の定めた宿駅となっており、集落の成立はさらに古いと考えられる。慶長7年(1602)江戸幕府によって伝馬制度が設けられて中山道六十七宿が定められ、奈良井宿もその宿場の1つとなった。
(中略)
奈良井宿は、中山道最大の難所といわれた鳥居峠をひかえ、峠越えにそなえて宿をとる旅人が多く「奈良井千軒」とよばれるほどの賑わいをみせた(以下略)

とあり、江戸時代になる前から宿場町だったようです。かなり古い。双六の「一回止まれ」みたいな場所だったのですね(だから賑わった)

一心に説明を見ていたら、後ろから声をかけられます。また外人さん?と思って、振り返ると同じツアーの方で、バスに戻る道がわからなくなったとのこと^^;(一本道なのに・・・)。『すぐそこを曲がるとバスですよ』と教えてあげると、なんだぁという顔で先に戻って行かれました

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こんな立派な石碑も立っています

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奈良井駅」、木造のいい雰囲気の駅です

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中に入ると面白い説明が^^ 『奈良井駅の海抜 九三四m 東京スカイツリー 六三四m 奈良井駅海抜の勝』だそうです(そんな場所いっぱいあるやろ、と思わすつっこみたくなる内容)

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せっかくなので、駅のスタンプ押してきました^^(今年はスタンプ帳を作りたいなぁ)

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入口の外には『中山道六十九次 どまん中』と書いた幟が立っています。でも奈良井宿中山道日本橋から34番目の宿場町だから、次の薮原宿が35番目で真ん中のような気がしますが・・・。距離的に真ん中なのでしょうか?

そろそろ時間なので、急いでバスに戻ります。が、まだもうちょっと時間がありそうなので、駆け足で

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「木曽の大橋」まで来ちゃいました(せっかくだから見たいですし^^)

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ちょっと歩きにくかったですが、階段状になっています

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橋の上から『奈良井川』を眺めてみました。もう少しゆっくり眺めていたかったのですが、時間なので、駆け足でバスに戻ります(ずっとトイレも我慢していたのでトイレにも寄ります)

今回も一番最後でしたが、なんとか集合時間ぎりぎりで戻ることができました^^v(やっぱりツアーだと時間が足りないなぁ)

いつかもう一度ゆっくり来たい場所です

全ての観光地を廻り終えて、バスは「松本駅」へ

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バスが停車した時にふと横を見ると面白い看板が見えました。理髪店の廻るアレがキャノン砲みたいです

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松本駅」に到着、ここで3日間お世話になったバスガイドさん、運転手さんにお礼を言ってお別れ。添乗員さんの案内で駅改札へ

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『ようこそ 松本へ』(でも、すぐ帰っちゃうんだよ、今回は^^)

改札前で帰りの切符を渡され、列車の時間まで一時解散となりました

早速、駅の表口へ

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松本市のマンホール発見^^v

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防火水槽のマンホール(フタ)はやっぱりカラーですね

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駅前に『播隆上人像』が立っています。何をした人と思って読んでみると『文政11年(1828年)7月20日、槍ヶ岳の山頂を極めた人』だそうです。『まさに近代アルピニズムの黎明を開く不滅の業績を遺した』とありました。なるほど

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駅改札に戻る階段の手前には『旧松本駅表札』がありました。『昭和22年に火事で焼失後、昭和23年に再建された駅舎に掲出したもので、昭和52年9月の旧駅舎取り壊し時に外されたが、市民の要望により駅シンボルとして復活した』そうです。なかなか歴史があります

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なんとカラーマンホールもありました(駅にはある可能性が高いですね)

この後、駅ビルの1Fで『おやき』を1つ、4Fで『山賊焼きハーフサイズ』を1つ購入しました(いずれも写真撮る前にお腹に消えました^^;)

いろいろと廻っているうちに時間になったので、改札の中へ

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この『スーパーあずさ28号』で新宿まで帰ります

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晩ご飯は添乗員さんオススメの『地鶏めし』、駅弁なのにフレッシュなサラダも付いてなかなか美味しかったです

ということで無事新宿まで帰りつき、あとはいつもの湘南新宿ラインを使って、帰宅できました

長々と12記事に渡って書いてきました、金沢・高山旅行もこれにて完結です

こうやってブログ書きながら、振り返ってみると、なかなか面白い旅行でした

ツアーだと効率よく廻れますが、やっぱり1箇所1箇所十分時間をかけたいという欲求とは矛盾してしまいます。次に行くときは自分でプランニングして思う存分ゆっくり廻りたいなぁ

一連の長い記事に最後までお付き合いくださり、大変ありがとうございました

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