閑歩:静岡あれこれアフターフォロー
本日もブログ訪問ありがとうございます!
谷津山紀行
で少し頑張りすぎたので、本日はライトな記事を目指したいと思います
今回の帰省で思いがけず前回までのアフターフォローを行ってしまいました
まずは静岡駅前から
前回中断してしまった横断歩道の先には何があったのか
横断歩道を渡ってみるとまだまだ続きがありました
『安倍川もちの名づけ親は家康公』と話してくれるのは、静岡市のお茶ナビゲーター『茶吉・茶助』
取りを務めるのは『家康公は五カ国統治時代には駿府を拠点としていた』と教えてくれる静岡まつり公式キャラクター『駿府の竹千代くん』(桜がモチーフですね、可愛い)
竹千代像で始まり、竹千代くんで終わった先に
五カ国統治時代の『徳川家康公像』があります。ここから撮るとバックに葵の御紋が入って格好いいです。説明には『「本能寺の変」以降の五カ国統治が幕藩制の基礎になった』と書かれています
なぜかここにある『久能山東照宮 国宝指定記念之碑』(謎です)
つづいては横田町へ
前回丹念に歩いたつもりだったのですが、今回谷津山からの帰りに歩いて見ると、もう1つ発見しました
今までの二つ分のサイズです。纏を持っているようなので大名行列でしょうか?
残りは史跡と神社関連です
まずは神社関連
葵区一番町にある「中津神社」[Google マップ](Googleマップだと「住吉神社」になってます)。今までも数回歩いていたのですが、初めてここに神社があるのに気がつきました
手水舎がちょっと変わっています
賽銭泥棒を警戒しているのか、賽銭箱は厳重に鍵留めされてます(側面だけ新しいように見えるのはここだけ作り直したからでしょうか?)
続いては「静岡浅間神社」へ
『大歳御祖神社が生まれ変わりました』と書かれています。『十二月三日の夜に新しくなった本殿にお戻りになった』そうです
立派な拝殿の右横に廻ると
大きな矢印で本殿を指しています(本殿を指し示す矢印があるのは珍しいです)
この後、「浅間神社」に向かったのですが
こんな撮影スポットを示すものが置かれていました(至れり尽くせりの説明)
人は立っていませんが、こんな形の素敵な写真が撮れます
この日の夜、静岡駅前の地下街を散歩していたら、こんな宣伝も見つけました。神社もいろいろと大変ですね
次の日、お堀端を歩いていたら、
『弥次喜多像』を見つけました[Google マップ]。『十返舎一九は駿河の府中の出身』と書かれています(初めて知った)。『東海道中膝栗毛は21年も続いた大ロングセラー』であったことも初めて知りました。いろいろと知らないこと多いです(やっぱり子供の頃に静岡についてあまり教わっていないような気がします)
『静岡市とカンヌ市の姉妹都市』の碑を見つけました。またも理由は書かれていないのですが、カンヌと姉妹都市というのは吃驚です
前回提案させていただいた『静岡三塔』
ですが、三塔が同時に見える場所をまた1つ発見しました
パノラマでないとつながって撮影できないのですが、『教導石』[Google マップ]から少し西に行った場所から見ると三塔を見ることができます(これで二つ目^^)
同じ場所でも何回も歩くとやはり新しい発見があります
【オマケ】
静岡駅前地下街をぶらぶらしていたら、こんな看板見つけました
『静岡おでんカレー』(*゚Д゚) Comng Soonで東海大学とのコラボらしいです。ちょっと楽しみですね(しかしながら、未だインターネット検索でも情報が見つかりません。もしかしてジョーク?!)
※御礼
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