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路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

「ほの国」豊橋・豊川は魅どころいっぱい1(二川宿1[本陣資料館])

本日もブログ訪問ありがとうございます!

前の記事「序章・「ほの国」東三河へ行ってきます」

から続いています

今回から『東三河いいじゃん!豊橋・豊川モニターツアー』の本編に入ります。うまく豊橋・豊川の魅力を伝えることができるか、かなり技量不足が心配ですが、精一杯頑張ります

タイトルは『魅どころいっぱい』としてみました。『みどころ』にすると前の『は』と重なってしまい『はみどころ』にも読めてしまいますし、『見』だと月並みな感じなので、『不思議な魅力がある』という意味で『魅』を採用してみました^^


では『東三河いいじゃん!豊橋・豊川モニターツアー』の始まり始まり~~♪

 

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最初の目的地「二川宿本陣資料館」に向かうため、出発したバスの中では最初に2日間お世話になるモニターツアー事務局の皆様の紹介に続き、東三河県庁 原部長のお話が始まっています

間違いがあっていはいけないので、本ツアーの概要と目的については、東三河県庁ホームページ「東三河県庁ニュース | 東三河県庁のポータルサイト | 穂っとネット東三河」から引用させていただきます(2016/12/22の「東三河「新しい人の流れ」創出事業(第3報)」から引用)

東三河県庁では、県内で先行して人口の減少局面を迎えている東三河地域の持続的発展と地域活力の向上を図るため、東三河地域の知名度・ブランド力を高め、地域の魅力を県内外(特に東京圏)に発信する「東三河『新しい人の流れ』創出事業」を実施します

その中の一つに『東三河魅力体験ツアーの実施』があり

東京圏在住者を対象に、東三河の豊かな地域資源を、参加・体験できる域内観光を組み合わせた1泊2日のモニターツアーを3回実施し、東三河の観光への関心を高めていただくとともに、東三河の魅力を幅広く発信(SNSなど)していただきます

この3回目が今回の「東三河いいじゃん!豊橋・豊川モニターツアー『食と伝統・文化を満喫、天下の奇祭「豊橋鬼祭」と手筒花火の実演』」になっています

私の理解はSNS発信は『興味を持ってもらう→観光などで訪れてもらう→定着(移住)してもらうという一連の流れの最初「興味を持ってもらう」の役目を担ってる』と思っています(なので私が興味を持った部分を積極的に発信してみます)

手に持たれているのは「タンキリ飴」、午後に行く「安久美神戸神明社」の『鬼祭』で授与していただけるそうです(2/10の宵祭に行かれて授与していただいたとのこと)

 

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午後に行く豊橋市役所が見えてきました。高い建物だけなのかと思ったら、手前の白い建物も豊橋市役所のようです(帰宅して写真整理するまで気がついていませんでした)

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ツアー本編とも本記事の内容とも全く関係ありませんが、道路工事現場で『ルフィの単管バリケード』を発見(なかなか可愛いです。まとめ記事「柵を守る可愛いキャラたち」に登録済です)
※この写真にだけコメントが集中したら、この記事による東三河の発信は失敗です^^;(この写真にコメントしたい方はまとめ記事の方へ)

道中、バスガイドさんが豊橋の説明をしてくださったのですが、その中で面白かったのが『お月見泥棒』。二川をあそぶ会のホームページから記事「商家駒屋 9月11日(日)お月見どろぼう募集中 - 二川をあそぶ会のホームページへようこそ」を見つけましたので引用させていただくと

お月見どろぼうは、豊作祈願や収穫祝いとされる中秋の名月(旧暦8月15日、2016年は9月15日)に、お月見のお供えもののお菓子や団子を、月からの使者として子どもがそっと盗っていく風習です。愛知県の奥三河地方・豊根村にはその風習が残り、新聞などで紹介されています。

だそうです。なかなか「初めてのおつかい」ならぬ「初めてのどろぼう」面白そうですね(こういう風習が今も残っているのは東三河の魅力ですね)

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車内では豊橋の紹介ビデオ上映が始まりました(YouTubeにありました^^)

前回も思ったのですが、ビデオ見つつ、風景見つつで、この時間は忙しいです^^;

このビデオの途中で『夢』という字を書かれている人がいる(2:50のあたり)のですが、カッコいいなぁと思って調べてみたら、多分この方ではないかと思います→ホームページ「AI SUZUKI | 鈴木 愛 | デザイン書道作家」。ご依頼作品の中に『豊橋カレーうどん』のロゴもありますね^^

 

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バスは「二川宿本陣資料館」近くの駐車場へ。『梅田川』に架かる橋を渡ります。親柱かなと思ったんですが、灯籠は橋の横に立てられているようです

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「二川宿大駐車場」のところにある説明板、

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説明によると『慶長六年(1601)からの宿場町』(江戸幕府による街道整備の最初からある宿場です)、『東海道五十三次中三十三番目』で『天保十四年には本陣・脇本陣が各一軒、旅籠屋が三十八軒、人口一四六八人』だったとのこと

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宿場町全体の様子もこの説明板に書かれています。『中央部に街道を屈曲させて見通しを妨げる桝形』があったようです(見通し良すぎるのは良くなかったのでしょうか?)。『中心部は瓦葺き、東西の入口付近は草葺き屋根』と書かれています

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ミニチュアモデルの写真もあったのですが、どこに展示されていたのかな?(もしかすると時間の都合で廻れなかった本陣資料館の2Fの展示室かもしれません)

 

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バスを降りて、「本陣資料館」へは徒歩で向かいます(大型バスが近くまで入れないそうです)

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振り返って撮影してみましたが、この川沿いの道、なかなか素敵です。植えられているのは桜の木だそうで、春になると素敵な散策路になりそうです(できることなら歩道(路側帯)は川沿いにも欲しかったです)

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ここで豊橋のマンホールを発見! 船を中心にした、すっきりと素敵なデザインです
豊橋市上下水道局のホームページから引用させていただくと

豊橋市制90周年を記念して1996年に製作したデザインマンホール蓋の1つです。豊橋市が世界に誇る国際貿易港「三河港」を中心に、人・緑・港・街をデザインしました。三河港は日本の中心に位置する海上輸送の拠点であり、自動車の輸入台数・金額はともに日本一(2015年時点)です。(中略)下水道には汚水と雨水を別々に流す分流式と、その両方を流す合流式がありますが、本マンホール蓋は分流式の汚水用と合流式に使用しています

とのこと

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もう1つ雨水用のマンホールも車道上に見つけました。こちらも引用させていただくと

豊橋市制90周年を記念して1996年に製作したデザインマンホール蓋の1つです。豊橋市が発祥の地といわれる「手筒花火」を前面に描き、背景には市民の水源である「豊川」、市の木「クスノキ」、市のシンボル「吉田城」をデザインしました。(中略)本マンホール蓋は汚水と雨水を別々に流す分流式の雨水用に使用しています。

だそうです。手筒花火と吉田城しかわからなかったです(う~ん盛りだくさん)。この2種類はいろいろなところでみかけました(あともう1種類見かけるのですが、それは後ほど別の記事で)

きちんとデザインマンホールについて解説があるのは嬉しいです(都市の代表的なものを入れていることが多いので、こういう解説が公示されていることはとっても大事だと思います)


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途中、地元のスーパー(だと思う)を見かけたのですが、横にある白い建物はカラオケでした。こういう風景を見ると、その地域の生活に少しだけ触れた気がします

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電柱にあった道案内。矢印が線路を横切っているのは珍しいかも・・・

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新幹線の高架の向こう側に在来線の踏切が見えます。こういう風景はレアだと思います(在来線と新幹線が並行に走っていて、新幹線側だけが高架です)

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線路の向こう側に見える白い建物が「二川宿本陣資料館」です(新幹線から見えたのと同じ建物ですって、当たり前です)

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線路沿いの素敵な石畳の路を歩いて行きます(『本陣小路』という名前がありました)

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「二川宿本陣資料館」へ到着、こちら側は旧東海道ではないので、裏口から入ったことになるのかな?(ホームページはこちら→「トップページ|二川宿本陣資料館」)

後ほど説明していただきますが、東海道で本陣の建物が現存しているのは、ここ二川宿と草津宿の2箇所のみです(都市の中心部から少し離れていることもあり空襲の被害にも会わなかったのが大きいようです)

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古い建物なのかと思っていたのですが、外装はかなり綺麗です。でも雰囲気があります

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入ってすぐの場所に『高札場』が再現されていました。ここにあったのではなく『二川大岩境の街道南側』にあったそうです。奈良井宿で見たのに比べると一段低いですが、やはりこのくらいの高さじゃないと上の方の文字が読めません(気になる方はこちらの記事まで→「旅行:金沢・高山に行ってきました11(奈良井宿1)」)

 

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入口で小冊子を貰って中へ。本陣資料館の全体図が載っています

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個人的には中に置いてある、この小学生向け(らしい)『本陣資料館ワークシート』がわかりやすいように思います(来館の際は是非入手を。裏側の問題はかなり難しいですよ。ホームページにはカラー版があるので興味のある方はどうぞ→「二川宿本陣|二川宿本陣資料館」)

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建物の間にある広い場所を通り抜けて、本陣の建物の中へ

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手前にあった『井戸館』は自動販売機コーナーでした

中に入り、複数の部屋を通り抜けた後、『上段の間』の前で1/21の豊川稲荷 東京別院セミナーでも説明してくださった和田実氏から本陣についての説明を受けます

 

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最初に説明してくださったのは『上段の間』、大名などが宿泊する部屋です。中央部に二畳台と呼ばれる部分があり、一段高くなっているのが特徴とのこと。二畳台を置く/置かない等を含めて、先触(先行する役人)が来て、コーディネート可能だったようです(一国一城の主、いろいろなこだわりがあったのかもしれません)

セミナーの時にもおっしゃっていましたが、『旅籠は値段が決まっていたが、本陣は個別交渉で値段を決めていた』とのこと。『取り損ねたら、次の宿場まで追いかけて回収していた』そうです

本陣は儲かっていたわけではなく、『自分の財産を減らしながらやっていた』とのこと(質問し忘れましたが、本陣を運営するメリットってあったのでしょうか? それとも完全な義務だったのでしょうか?)

本陣という名前は『合戦の時、主がいる場所=本陣』からきているそうです(戦場の本陣と同じだそうです)

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ここからは素敵な庭が見えます

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「旅籠屋 清明屋」の方を向くと梅が咲いています。低い塀越に見えていい眺めです

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こちらが大名のお風呂『上湯殿』、お湯を沸かすところがないので、外から持ってきて使ったのではないかとのこと。もう少し広い場所を想像していたのですが、予想よりは狭かったです。場所の『上段の間』のすぐ後ろとコンパクトにまとまっていたのには驚きました(実は離れのような場所にあると思ってました)

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雪隠(トイレ)です。上が小用だと思います。下の取っ手の部分を持って使うのではなく、取っ手に見える部分にお尻を向け、着物を載せて使用するそうです(*゚Д゚)

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やはり建物の構造が気になってしまうので撮影してしまいます。板や柱や梁などは年代ものという感じがしますが、割と華奢な作りのような気もします(雪が積もらない地方だからでしょうか?)

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釜戸、復元して作った後使っていないので白いままだそうです(何か意味があって白いのかと思い、質問してしまいました^^;)

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玄関を見学するために通りの手前にある狭い通路へ。この道が旧東海道です

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各住居(建物)の前には木の表札が出ていて、昔は何だったか示しています(旅籠屋が非常に多いです)。二川宿は町を挙げて、旧東海道で盛り上げていこうとしている感じがします(やはり各宿場で取り組みが異なります)

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狭い通路に立っている『二川宿御本陣』の石碑(確かにここなら「本陣資料館」に入館しなくても外から確認できます)

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表門です。大名などの宿泊の際には大名の定紋入りの幔幕をかけたそうです

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玄関です。ここにも宿泊している大名の定紋入りの幔幕を張り、高張提灯を掲げるそうです。幔幕や提灯は先触の役人が先に到着し、準備したそうです(きっと出発は最後だと思うので、なかなか大変なお役目です)

和田氏から『表門、玄関、上段の間が許されたのは本陣のみ』との説明がありました。これらは他の宿泊施設にはなかったそうです

写真の右側は番所になっていて、宿泊時は不寝番が置かれたそうです

いろいろと調べながら、記事を書いていたら、予想以上に盛りだくさんで長くなってしまいましたので、一旦終わります

次の記事

に続きます

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