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路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

亀戸散策3(普門院~天祖神社)

本日もブログ訪問ありがとうございます!

前の記事「亀戸散策2(東覚寺~香取神社)」

から続いています

亀戸七福神のひとつ「香取神社」へのお詣りも済み、散策も後半に入ります

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鳥居の横の道を西に移動しますが、この日は工事中でした

ふと工事現場横の地図を見てみると(写真撮ったのですが、横から来た自転車を避けたせいか、うまく撮れていませんでした^^;)

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付近のマップに七福神様が描かれています。可愛い^^

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少しクランクするように直進します

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住宅地を抜けて、突き当たりの横断歩道を渡ってから、左側に曲がり、「普門院」を目指します

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少し歩いた先に『普門院』の説明を発見!

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『大永2年(1522) 三股(隅田川・荒川・綾瀬川が落ち合うあたり、現・足立区千住)城中に創建され、元和2年(1616)に現在地に移りました。その時、謝って梵鐘を隅田川に沈め、鐘ヶ淵(墨田区)の地名の由来になったといわれています』と書かれていました。いろいろと勉強になります

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まず本堂にお詣りさせていただきました。七福神めぐりの1寺としては、すこし寂れている感じがしました。七福神めぐりが行われる1月初から1ヵ月ぐらいでここまでにはならないような気がします

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参道左側にある『毘沙門天堂』、亀戸七福神の幟がありましたが扉は固く閉ざされていました

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さきほどの説明にあった写真によると御開帳時はこんな感じらしいです

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道を戻り、先ほど横断歩道を渡ったところも過ぎて、少し歩くとY字路に出るので、左側に弓なりに曲がっていきます

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まっすぐ歩いて行くと、何か説明版のようなものがあります

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『入神明宮跡』と書かれています。素敵な神社だったようで、明治に入り『天祖神社』と改称された後、昭和62年に「香取神社」に合祀されたとあります。確かに先ほど並んだ社の中『天祖神社』と書かれた社がありました

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直進して狭い路地に入るとこんな看板が・・・。『天祖神社 近道 →』と書かれています。ちょっと興味があったんですが、今回はガイドブックのコースを歩くことにしました

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ガイドブックに従って、少し先を右に曲がり、

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少し歩くと、さきほど近道と書かれた道と合流しました(確かに近道)

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それにしてもドッキリする看板が立っています。変質者じゃなくて『変態者』って凄い表現だと思いませんか

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そのまま道を進んでいきます。ここでも前方にスカイツリーがくっきり見えます

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天祖神社」はどこかなと探しながら歩いていると鳥居が見えてきました

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説明は光で少し読みにくいのですが、『創建は推古天皇の治世(593~628)で、その後衰退していたのを応永10年(1403)に復興した』とあり、かなり歴史のある神社のようです。そして『天正年間(1573~91)に疫病が流行し、この時織田信長の使者が参向して流鏑馬を献じたところ疫病は治まった』ともあります。意外な場所で織田信長公のお名前を発見して吃驚です

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一礼をして鳥居をくぐった先には『感謝』と書かれた道祖神様が置かれていました(境内には他にもたくさんの道祖神様が安置されていました)

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鳥居の先には写真で作られた境内の案内の上に『下乗 これより先、境内に付、乗り物から降りて頂きます』と書かれています

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でも、その少し先には車が駐まっていたりして・・・(しばらくいましたが自動車で帰る参拝客はいなかったので、神社の方の車ではないかと思っています(違っていたらごめんなさい<(_ _)>)。そうじゃなくても駐車させちゃダメでしょ)

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二ノ鳥居の手前にある手水舎には童の像が置かれていました。子供の健康を祈願する神社ということなのか、境内の中は童の像がいっぱい置かれていました

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ものすごく立派な社殿にお詣りさせていただきました。ガイドブックによると『日本初のコンクリート造の社殿』だそうです

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社殿の前にどんと置かれていた『遙拝碑』

全国のいろいろな神社の方位が書かれています。遥拝する(遠くにある神社を拝む)時にその方位がわかるようにしているようです。有名な神社が多いのですが、どういう基準で神社が選ばれているのかは謎でした

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境内にある赤い鳥居、石の鳥居をくぐりぬけて、境内社『太郎稲荷神社』へお詣りさせていただきました

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お社の扉に上に御由緒があるという珍しさに少し驚きます。『伏見稲荷分祀徳川時代立花家の守護神だったものを江戸末期天祖神社境内社とし奉祀今日に至ったもの』と書かれています
続けて『電気化学本所工場廃止に伴い同工場の守護神であった福寿稲荷子安稲荷及玉垣灯籠鳥居等を境内社の神域の一部とし移動配祀したもの』と書かれています。合祀ではなく配祀という形式もあるのですね。いろいろと勉強になります

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手水舎の後ろにある『福禄寿』様のお社。こちらも御開帳は終わっているようでした。お詣りさせていただきました(神社にある福禄寿様はどうお詣りすればよいか悩みます)

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授与所の前にあった『木化石』。説明がなかったのでわからないのですが、木の化石なのでしょうか?

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そろそろ神社を出て次に向かおうとしていたのですが、東側に鳥居が見えるので行ってみることにしました

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そのあったのは『招魂碑』でした。『東京大空襲で亡くなられた方の御魂を祀っている』そうです。合掌

『鳥居の柱を用いて建てられたのが、この石碑です。もう一本は復興記念の碑として平和の祈りと共に再び建立されました』と続いています

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境内に戻り『復興記念之碑』を改めて確認させていただきました。合掌

本当に『このような史実を忘れず後世に伝え、未来の為に感謝の心と平和の祈りを絶やさずにいたいものです』

ガイドブック最初スポットである「天祖神社」のお詣りもようやく完了し、先へ進みますが、少し長くなってしまったので、一旦終わります

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