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路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

横浜西区 新旧東海道の温故知新のみち[南側おてがるコース]2

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7/24に歩いた『新旧東海道の温故知新のみち』の散策記事を続けます

ようやく「西横浜駅」にたどり着き、最初ポイント『袖ケ浦から工場・鉄道・水道道へ』を確認し、2番目のポイント『東海道線旧鉄道敷』まで確認しました(前の記事「横浜西区 新旧東海道の温故知新のみち[南側おてがるコース]1」

から続いています)

 

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マップによると『東海道線旧鉄道敷』横の道を歩いて行くようなので、そのまま右側の路地に入って移動

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以前歩いた時も思ったのですが、この電柱、道の方に傾いていて、なんか恐いです(写真だと構図の関係で傾いているように見えませんが、実際には下を歩くと少し迫ってくる感じがあります)

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マップを見ていて、変な形に迂回するので、不思議に思っていたのですが、

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現地に来て納得です。川を越える道が上に向かっています(立体交差)

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近くに学校があるのでしょうか? かなり狭い道なのですが『スクールゾーン』の表記があります

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下側にも道が続いていて、「扇田橋」と書かれていました

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川を越えていく道路を下から眺めてみました。縦横に細かく支えがあり、がっしりしています。電車の高架とは全く違った感じです

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マップに従って迂回して、国道1号線の方に戻っていきますが、

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やっぱり1号線には戻らず、その手前の狭い路地へ(左に曲がります)

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何もないと思うのですが、狭い路地を歩いて行きます

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大きな道路に出てきたところで、

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左に曲がって、川の方へ移動します(マップによると「石崎川口」とあります)

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かなり立派な「西平沼橋」の親柱。かなり古いものみたいです

マップのコースとしては右に曲がり、川沿いの「横浜駅」方面に向かうのですが、コース上にないポイントが2つ、相鉄線の「平沼橋駅」付近にあるようなので、それを確認するため、直進します

 

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今度は相鉄線の線路を超えるため、立体交差する道路の横を歩いていきます(やっぱりスクールゾーンだし、同じような風景)

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横を走る道が高くなったせいなのか、横を歩いていたのが、高架の下を歩くようになります(道幅は同じくらいかな?)

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やっぱりここでも上を眺めてしまいましたが、さっきよりはかなりシンプルな構造です。黒い格子上のものが謎です(ビニールテープみたいに見えてしまいます)

 

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さらに歩いて行くと線路の手前で鳥居が見えてきました

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横須賀線」や「相鉄線」に乗っていると見える神社はここ「水天宮 平沼神社」でした

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『平沼新田と平沼神社(水天宮)の由来』を読んでみると、途中に

言い伝えによると、この新田の住民の多くは製造業に従事していたが、或る日その一人が海水取り入れの水路に水天宮の御札(御霊)が流れ着いているのを拾い挙げ、これを地主の九兵衛が神の啓示とその場所(今の元平沼橋のあたり)に祠を作って水天宮を祭ったのが初めである

と書かれています。海に流れ着いたものを祀るという昔話はどこかでも見かけた気がします。『その後三度位置を変え、大正二年に今の境内に社殿を移して現在に至っている』とありました

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まずは拝殿(本殿?)にお詣りさせていただきます

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境内にはたくさんの神社が合祀されているようなので、そちらにもお詣りさせていただきます

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『安産・子育て河童』様、可愛い^^

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『願就牛石』、多分これだと思うのですが、どちらが頭なのかわかりませんでした^^; もしかするとお尻を撫でてからお詣りしてしまったかも・・・

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台座に『水天さん』とあります。説明には『水天さんは九つの龍を操って水を自在に司る女神です』と書かれていました(星型の紙に書いてお願い事をする場所のようです)

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最初に使わせていただきましたが、写真は最後になった手水舎。龍は珍しくないのですが、手がこんな形で出ているのはものすごく面白い^^

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お詣りを済ませて、先へ進もうとしたのですが、鳥居の横にある立派な建物が気になって再び境内へ。なんだろうと思って、周囲を回ってみると

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『女性専用トイレ』と書かれていました(男性トイレは別の建物一部を使った設けられていました)。水天宮様だからなのでしょうか?

平沼橋駅」はすぐ近くですが、少し長くなってしまった&写真の整理がまだ終わっていないので、一旦終わります。次の記事「横浜西区 新旧東海道の温故知新のみち[南側おてがるコース]3」

に続きます

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