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路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

旧東海道を歩く14(保土ヶ谷~東戸塚)

旧東海道を歩く13(横浜西区~保土ヶ谷)」の続きです

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松並木の歩道を進んで行きます。既に16時を過ぎており、西日がかなり眩しい

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少し先まで行ってみましたが、この歩道橋を渡るのが良さそうなので、歩道橋を渡って街道の右側に移動(この付近にあるとガイドブックに書かれている「出羽三山供養塔」ですが見つけることができませんでした。もしかすると川の向こう側の細い道沿いかもしれません)

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歩道橋を渡った先で見つけたカラフルなマンホールのフタ! 箱根駅伝の様子を描いているようです

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分かれ道にやってきました。横断歩道を渡った先にある案内板のよると右側が旧東海道のようです

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国道1号線を離れたので、少し車も減りました。住宅地を進んで行きます

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バス停の少し先に「樹源寺」がありました(間違ってバス停前の脇道を進んでしまうと踏切があり、渡っても先にあるのはお墓だけなので要注意です。というか踏切の先に行ってしまいました)

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境内には水のあふれ出る池もあり、なかなか綺麗でした

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ウォークマップだと郵便局の前になっている「鳥居」ですが、郵便局よりかなり先にありました。草がボウボウで、ほとんどお詣りされていない感じはしましたが、きちんとお詣りしました

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鳥居のところには「庚申塔」もあります

ここまでに「元町橋跡」があったようなのですが、すっかり忘れて先に歩いてきてしまいました(かなり疲れています・・・)

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突き当たり(「元町ガード交差点」)の角、コンビニ(セブンイレブン)の前に案内板を発見。あともう少しで「権太坂」です

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そのまま進んでみたのですが、道路を横断できるところがなかったので、「元町ガード交差点」まで戻って街道の右側に移動(最初から渡っておくのがいいです)

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坂の入口に案内板が置かれています。ここから江戸からの最初の難所「権太坂」が始まります

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今までにない登り坂。街道の左側、鳥居のある場所に「権太坂改修記念碑」が置かれています(素通りしてしまい、横浜新道のところから引き返してきました)

帰宅してから調べてみたら、昭和30年に改修工事が行われ、昔ほどの難所ではなくなっているそうです。やっぱりそうなんだ(このくらいの登り坂は横浜では珍しくないので・・・)

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横浜新道の上にかかる「権太坂陸橋」を渡って、

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少し歩くと「権太坂石柱」を発見。権太坂の名前の由来として『老齢の農民が坂の名前を尋ねられて自分の名前を答えた』というエピソードが載っています

Wikipediaによると『1660年 坂の改修を手がけた、藤田権左衛門の名から由来する』と書かれていました。老人のエピソードの方が微笑ましいですね

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坂を延々と登っていきます。ウォークマップによると下の写真辺り(赤い看板のある「三喜亭」さんの前)が坂のピークのようです

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坂をくだって「境木中学校」手前にある「保土ヶ谷消防団第一分団」の保管庫?のシャッターに書かれた浮世絵。境木立場から鎌倉山を望んだ絵のようです

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境木中学校」前にある案内板によると「投込塚の碑」はここから160m先にあるようです。保土ケ谷区の案内はかなりわかりやすいです

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コンビニ(ローソン100)を過ぎて少し行ったところに「投込塚の碑」がありました
厳しい道中、昔は無縁仏として埋葬された方がたくさんいらっしゃたのようです。今は旅で命を落とすことはまずないので、良い時代になったと思います(坂もなだらかになっていますし・・・)

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「境木商店街」です。かなり疲れていたので、そのまま横を通り過ぎました

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少し歩いて「境木立場跡」までやってきました。宿場と宿場の間にあるのが『立場』で、ここは富士山と江戸湾が見える高台の名所だったようです(眺めて見たかったです)。境木立場名物『牡丹餅』も食べてみたかった

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「境木地蔵尊前交差点」にある『武相国境之木』。ここが武蔵国相模国の境だったようです。東海道もここから相模国なんでしょうか

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階段を上がって「境木地蔵尊」にお詣り。夕方にもかかわらず、二人ほど他のお詣りの方をお見かけしました

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すぐ近くには『戸塚宿周辺散策案内図』があります。戸塚区に入ったようです

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旧東海道の案内も戸塚区バージョンに変わっています

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間違って今まで来た道の方向真っ直ぐに進んでしまうところでしたが、横断歩道を渡って北側に向かうのが正しいです

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横断歩道を渡ってすぐの植え込みの中には『旧東海道』と『焼餅坂』の説明がありました。別名『牡丹餅坂』とも書かれているので、牡丹餅=焼餅だったのでしょうか?

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「焼餅坂」を下っていくと、こんな説明も発見!

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「品平橋」を渡り、少し歩いたところで左側に「庚申塔」を見つけました。庚申塔っていろんな形があります

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ほどなく「品濃一里塚(九里目)」に到着

今まで勘違いしていましたが、塚とは約9m四方でエノキやマツを植えた場所だったとのこと(道標の石碑のようなものが立っていると思っていました)

両側ともに昔のまま残っているのは神奈川県でも唯一とのことで非常に珍しい史跡でした

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街道を進んで行くと大きなマンションが建ち並ぶ場所に出ました。ここを真っ直ぐ行くとイオン(旧ダイエー)の4Fを経由して「東戸塚駅」まで行けます

でも右脇の小さな道を入っていくと

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「福寿観音」。本日最後のお詣り

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東戸塚駅」に向かいリタイアというのも考えたのですが、もう少し先(環状2号線を越える辺り)まで行ってみることにしました

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ようやく「品濃坂上説明板」に到着。写真を見ると明治の頃は木が茂る難所だったみたいです

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小さな階段を下りると左側に「品濃坂」とかかれた石碑もあります。屋根の部分には何か書かれていたようなんですが、既にかすれており判読不能でした

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「品濃坂歩道橋」を渡って環状2号線を越えます。歩道橋の最後にはカワイイ道案内が貼られていました(だいぶ日焼けしています)

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歩道橋を渡ったすぐの場所に「品濃坂」の説明板を発見。結局、どこまでが「焼餅坂」で、どこからが「品濃坂」だったのか、よくわりませんでした(それだけ今は道が整備されてなだらかになっているせいだと思います)

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この坂、たぶん「権太坂」より急勾配じゃないかな?

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坂道をくだって、「坂下」のバス停(県道218号線の高架の下)のところまでやってきました。『「東戸塚駅」からあまり離れないところ&坂を下りきった感じ』っだったので、今日はここまでとしました(次回歩くときはここからスタート)


時刻は18時過ぎ、ランチ休憩もありましたが約9時間歩いています

ウォークマップによると日本橋から38.7Kmぐらい(今日の鶴見からは15km強)、しかしながらiPhoneのヘルスケアアプリによると39,958歩 30.16Kmとなっています

いろいろと観て廻ると楽しいし、勉強にもなるのですが、それなりに細かく距離を積み重ねるようで、少し(かなり?)歩きすぎのような気がします。次回からは、あまり欲張らず、街道を外れることが少なくなるように、事前に決めた厳選ポイントのみを廻って行くように方針変更してみます(日帰りの現在は良いですが、1日20km以下にしていかないと、今後2~3日連続で歩くような旅はできないと思うため)

なにはともあれ、今回はここまで(自分でも本当によく歩いたと思います)

長い記事にお付き合いいただき本当にありがとうございました

※2016/7/5追記
続きを歩きました、次の記事「旧東海道を歩く15(東戸塚~戸塚[不動坂])」に続きます


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