備忘録:TVで視聴、気になっていた『浜降祭』はこんなお祭りでした
先週、茅ヶ崎付近を歩いた時から気になっていた『浜降祭(はまおりさい)』(記事:「旧東海道を歩く22(茅ヶ崎[一里塚~神明神社])」参照)
7/18朝J:COMで生放送をしていたので、録画して昨晩観てみました
由緒について、TVでは絵付きで解説してくれたのですが、
茅ヶ崎海岸浜降祭保存会のHP(http://www.chigasaki-cci.or.jp/hamaori/)によると
浜降祭の起源については、諸説がありますが、古老のみなさんの話をまとめてみると、次のような説に集約されます。
今から170年ほど前の天保9年(1838)、寒川神社の神輿が、例年春に行われる国府祭(こうのまち)【大磯町国府本郷】に渡御した帰途、相模川の渡し場で寒川の氏子と地元の氏子が争いを起こし、川に落ちて行方不明になってしまいました。その数日後、南湖の網元である孫七さんが漁の最中にこのご神体を発見し、寒川神社に届けたことを契機に、毎年同神社の神輿が、そのお礼のため南湖の浜に赴き、「禊(みそぎ)」をするようになったと言い伝えられています。
一方、江戸時代後期に幕府がまとめた『新編相模国風土記稿』によると、鶴嶺八幡宮では、寒川神社のお礼参りよりずっと古い時代から、心身の罪やけがれを清める「みそぎ」の神事を行うため、毎年、浜辺への渡御が行われていたとあります。
寒川神社のHP(http://samukawajinjya.jp/info/in05_08.html)には
浜降祭の起源由緒は、定かではありませんが、江戸時代安永9年(1780年)の古記録が寒川神社に残っています。又、これには三つの説が知られています。
(1)寒川神社と鶴嶺八幡社が、江戸時代にそれぞれに「みそぎ神事」を行っていた
(2)南湖浜が、寒川大神降臨の故地との伝承
(3)寒川神社の神輿が、天保年間の国府祭(現在も5月5日斎行)の帰路、相模川に流失し南湖の浜に打ち上げられ、戻ってきた故事。
と、もう1つ説が追加されていました
寒川神社の御神輿が見つかる辺りが神がかっています。なかなか興味深い
全て伝承の域を出ないようですが、この喧嘩の結末として死罪を言い渡された16名の丁髷を切って納めたというのが、この間立ち寄らなかった「蓮光寺」にある『丁髷塚』だそうです(少し時間を取って見てくればよかった、残念)
TVで観ていただけですが、たくさんの神主さん達?による神事の時、34の御神輿が並んでいる様は壮観でした
寒川神社の権禰宜(ごんねぎ)による解説、『祓戸大神(はらえどのおおかみ)』や『茅の輪の由来(須佐之男命の故事)』『鳥居=ご神域への入口』も大変勉強になりました
権禰宜が最後におっしゃっていた
来年も元気でお会いできることがお祭りをやる最大の目的。また来年も会おうが地域のつながり
続けないことは簡単。何かを守ってずーっと伝えていくのはとてつもなく難しい
は心に響きました
浜降祭保存会会長 山口氏の『ユネスコの無形文化財を目指す』にも感動(頑張ってください)
この祭りの醍醐味は海に御神輿を担いではいる禊(みそぎ)ですが、文章だけだとライブ感が伝わらないので、YouTube検索してみました(一番上は浜への入場で禊ではありません)
早朝から、人手は8万人、とすごいお祭りです。『祭りの間はとてつもないパワースポットになる』とも言っていたので、来年は行ってみようかな・・・(でも早朝に起きれないかな・・・)
という個人的な備忘録でした
(忘れないように新カテゴリ「備忘録」を新設しました^^;)