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路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

閑歩:鎌倉散策その前に、扇ヶ谷ガードへ行ってみました

まだまだ『シン・ゴジラ』熱が冷め切っていません。で、昨日(8/4)は、やっぱりロケ地 鎌倉に行ってしまいました


ガイドブック「ぶらっと散歩コース 鎌倉」から『コース4 鎌倉駅周辺』と『コース15 七里ヶ浜稲村ヶ崎』を選択して歩きますが、その前に「扇ヶ谷ガード」(歩き始める前は地名は知りませんでした)に行ってみました

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朝早く、といっても8時半すぎに「JR鎌倉駅」に到着。やっぱり鎌倉は降車する人が多いです

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鎌倉駅」って東口側と西口側の両方にトイレがあるんですね。並んだトイレマークに感心してしまいました

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Googleマップによると「扇ヶ谷ガード」は西口側からが近いようです

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西口を出て真っ直ぐ歩いて、最初の大きな通りで右に曲がります。あとはひたすら真っ直ぐ進むだけ

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少し歩くと緑化してしまった電柱を発見! 大丈夫なのかな?

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しばらく歩くと、「巽神社」に到着。予定にはありませんでしたが、お詣りさせていただきました。「巽神社。鎌倉市扇ガ谷の神社、巽荒神、旧村社」(猫のあしあとHP)によると

巽神社は、延暦20年(801)蝦夷征伐に向う途中の坂上田村麻呂が葛原岡に勧請、永承4年(1049)に源頼義が改築したと伝えられます。壽福寺の南東(巽)に位置することから壽福寺の鎮守として崇められ、巽荒神と呼ばれていたといいます。

とあり、かなり歴史のある神社です

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境内には写真の石碑もありました。インターネットで調べてみましたが、何の石碑かわかりませんでした

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横須賀線の踏切のそばに、素敵な感じのアンティークショップを発見! 素敵なランプがウィンドウから見えました

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今度は道沿いに「八坂大神」を見つけたので、お詣りさせていただくことにしました

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参道に覆いかぶさる木が鳥居のように見えます。木の鳥居をくぐって、お詣りさせていただきました

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「八坂大神」の近くには『庚申塔』がありました。『市指定有形文化財』と書かれています

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少し欠けてしまっていますが、三猿が彫られているようです

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この石柱には『弘法大師』と書かれていました(謎です)

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すぐ横には『源氏山』と書かれた史跡が見えます。こちらのHP「鎌倉八十八箇所」によると

源氏山は以前は武庫山といい、亀ヶ谷の中央にあって、形勝の地であるので亀谷山ともいっておりました。源頼義、義家父子が奥州征伐に赴く時、この山に旗を立てた事に因み旗立山とも名付けられていました。山の麓の寿福寺境内付近は以後、源氏代々の邸宅であったと伝わります。源氏山の名称はその事に起因するものだと思われます。旗竿を建てたと伝わる旧跡は現存しています。

と書かれているようです。「源氏山公園」は少し先ですが、「寿福寺」の場所ということでここに建てられているのではないかと思われます。このタイプの史跡は今日たくさん見かけますが、80箇所以上もあるようです

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先へ進むと横須賀線沿いの道に出てきました(もうすぐ目的地)

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道端の掘り込まれた場所には小さな塔が建っています。『阿仏尼を偲ぶ会』と書かれています。インターネットを検索してみたら、HP「鎌倉ぶらぶら(鎌倉の観光ポータルサイト)」に「阿仏尼の墓所」を見つけました。説明によると『「十六日記」の著者で知られた阿仏尼の墓』とのことです

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すぐ隣には小さな「お稲荷様」がありました。お詣りさせていただいた後で説明を読むと

世にお稲荷様と申上げている稲荷神社は倉稲魂神をお祭りしたもので今から約千三百年の昔 和銅四年の二月の初午の日に京都の伏見に稲荷神社が鎮座したのが始まりです
この神は稲がなるイナリの別名が示すように五穀の生育やすべての産業を育成する広大な御神徳のある神ですからあらゆる人の信仰をうけ全国各地の神社や邸内に祭られています
鎌倉で由緒ある稲荷は隠里稲荷で鎌倉風土記によると源頼朝が伊豆の姪が小島にいたとき病の床につき三晩続けて同じ白ひげの老人の夢をみました その老人の言うとおりに薬を飲みますと病はなおり これが縁で幕府を開くことが出来たということです この白ひげ老人が隠里稲荷の化身であったということです
お稲荷様は大切にお祭りしましょう 英勝寺

と書かれており、今までなんとなくお詣りしていたお稲荷様に対する理解が深まりました。それしても鎌倉幕府を開くのにお稲荷様が関係していたという伝承は初めて知りました

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とうとう目的地につきました

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このアングルで写真を撮りたいために、ここまで来てしまいました


『シン・ゴジラ』予告


シン・ゴジラ』予告(13秒目ぐらい)にあるゴジラが線路沿いを歩くシーンはこの場所からではないかと思います(Googleストリートビュー鎌倉駅から横須賀線沿いに移動して見つけました^^v←暇人)

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ガード下に入ってみると『扇ヶ谷ガード』と書かれていました

改めて地図でゴジラの位置を考えると、「鶴岡八幡宮」の横辺りを闊歩してきたように見えます。映画の世界では「鶴岡八幡宮」は大丈夫だったのでしょうか?(神域安全説で大丈夫だったと信じたいです)

今日の第一目的は達成したので、コースに沿ったウォーキングを開始するために「鎌倉駅」に戻ります(同じ道が近いので、来た道を戻ります)

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帰り道は精神的に余裕が出ていたのか、いろんなものが見つかります。神奈川県シンボルマーク満載みたいなマンホールを発見(県の木イチョウ、県の花ハマユウ、県の鳥カモメ)。神奈川県いろいろと散策していますが、このタイプは初めてみました

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さきほどのお稲荷様の少し鎌倉駅よりに安置されている石を発見。何かの史跡なのでしょうか?(今日この後『十一人塚』で同じようなものを見たので、もしかするとお墓かもしれません)

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横断歩道の手前で発見、可愛い

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『Pets OK!!』のアイコンが可愛いので写真に撮ってしまいました(当たり前ですが、Petsと複数形になっています)

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鎌倉市のシンボルマーク「ササリンドウ」。個人的には、この方が格好いいと思うのですが、実は上下が逆でした

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鎌倉駅西口に戻ってきました。往復で35分ちょっと、お詣りしたりしたこともあり、少し時間がかかってしまいました(晴れてきて、段々暑くなってきたので、かなり汗もかいています)

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西口広場にある『時計塔』。説明によると『大正5年に建った鎌倉駅に昭和のはじめ時計がついた。駅の改築が決まった時に時計台だけでも残したいと市民活動があり、残された』ようです(時計台のある駅舎として改築して欲しかったような気がします)

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『時計塔』の横にある『ラングドン・ウォーナー顕彰碑』。『文化は戦争に優先する』と大きく刻まれています。『博士の意思を永く伝え、古都鎌倉を保存していこう意思を現した』という記念碑のようです

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西口広場の裏側にある線路下を通る通路を使って、駅の東口へ向かう途中、『鎌倉今昔写真展』を見つけました。昔の鎌倉の風景を写真で紹介しています

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さっき行ってきた「扇ヶ谷ガード」付近もありました。舗装されていない以外は大きく景色が変わっていないように感じたのは私だけでしょうか?

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通り道にはこんな絵もありました(『鎌倉カーニバル』という題名が付いていました)

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東口側にやってきました。目の前に見える鳥居は『小町通り』の入口です(多くの方はここから「鶴岡八幡宮」に向かいます)。もしかするとゴジラも『若宮大路』でなく、『小町通り』を通って移動したのかも・・・(小町通りを闊歩する姿を妄想・・・)

iPhoneヘルスケアアプリによると、ここまで3,427歩 2.21Kmでした


さて、ここから本格的にウォーキング開始です

次の記事「鎌倉駅周辺散策1(鎌倉駅~妙隆寺)」に続きます

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