Bataさんぽ+

路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

台東区橋めぐり[上流]+ご利益少々1(東向島駅~白鬚神社)

台東区橋めぐり[上流]を歩き始めます

コース説明などは前の記事

 を参照してください


いろいろと検索した結果、横浜方面から「東向島駅」に向かうには、最安ではないけれど新橋乗換で『東京メトロ銀座線』→浅草乗換で『東武スカイツリーライン』で行くのが良さそうだったので、久しぶりに『銀座線』に乗ってみることにしました

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久しぶりに『東京メトロ』乗りましたが、電車内の到着表示が便利でした。乗っている車両から乗換に便利な階段の位置がわかります(何番線に着くかも表示されている。知らないうちに世の中進んでます←かなり時代遅れになり始めている?)

乗換時間がほとんどなかったので、駅改札などの写真撮っている暇がありませんでした(ちょっと残念・・・。新橋も浅草も人が多かったですし、立ち止まれませんでした・・・)

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初めて乗る『東武スカイツリーライン』、車窓から「東京スカイツリー」が見えるので、写真に撮ろうとしたら、駅ホームの屋根に阻まれて、撮影できず(超残念)

写真は車内にあった『東武鉄道』の注意喚起。バックにポケットが付いているディテールが気に入ってしました(思わすシャッター)

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予定より少し遅くなってしまいましたが、無事「東向島駅」に到着。駅すぐ近くには「東武博物館」もあるようです(月曜なので休館のようでした)

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駅の改札口を出て、「向島百花園」の方へ歩き始めます

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学校の前に貼ってあった『夏季ラジオ体操会』の案内。懐かしい感じがします

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すぐそばにあった「向島中学校」の掲示板。校訓『元気 根気 勇気』がいい感じです(『三気』というのかな?)

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突き当たりを左に曲がり、まっすぐ進むと大きな通り(『明治通り』)に出ました。「向島百花園」への案内表示があります

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信号を渡って、すぐの場所にあった案内板。付近の地図だけでなく、『おもな行事』が書かれているのは珍しいです

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梅の花がデザインされた柱が続いており、「向島百花園」への道案内をしてくれているようです

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この竹柵の向こう側が「向島百花園」だと思うのですが、なかなか入口に着きません

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途中にある素敵なデザインのベンチ。なかなかたどり着けず、やっぱり疲れてしまう人がいるのかも(笑)

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ベンチの横にあった消化器入れの上では雀がお座りしていました。可愛い(^-^)

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ようやく入口かなと思ったら、まだ矢印が付いた案内があります

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さらに進むと「向島百花園」と書かれていますが、ここも入口ではなく付近の案内図でした

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ようやく「向島百花園」に到着

受付で確認したら、『写真は個人で楽しむ範囲に留めてください』とのことでしたので、以下、文章になります(大変申し訳ありません)

・小さいながら、落ち着いた雰囲気のある庭園です
・園内至る所に石碑が立っています(パンフレットによると29ヶ所)
・池の北端に立つと「東京スカイツリー」がいい感じで眺められます
・隅田川七福神『福禄寿』の御堂がありますが、扉は閉ざされてました

花の見頃など、園内の様子はこちらのホームページ「向島百花園|公園へ行こう!」から確認ください。見たい花の時期を選んで来園するとかなり楽しめそうです

園内にある「ハギのトンネル」の見頃は、9月20日過ぎから10月初だそうです(今年は9/17~10/2まで『萩まつり』が開催される予定)。他にも9/14~16は『月見の会』などの行事もあるようです。通常は17時閉園ですが、『月見の会』の時は夜も入場できるようです

9月下旬にも『駅からハイキング』参加で上野に来る予定なので、時間があれば、萩の花が咲いた時に来たいと思います

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外に出ると『隅田川七福神』の説明がありました。説明には

文化元年(一八〇四)向島百花園が開園してからここに集まる文人墨客たちが、園主佐原鞠塢が福禄寿を祭っているのを知り、この隅田川の東岸にも七福神をそろわないものかと考え、七福神にそれぞれ縁故をもつ神社仏閣を探し出した。そして、初春七草の間に寿福を祝い、家門繁栄、家業隆盛を願う初参りの行事を創始したのが、隅田川七福神のはじまりである

とあり、隅田川七福神の始まりが書かれています。文人墨客たちにより創始されたというのが意外でした(各地にある七福神の始まりが気になってきました)

七福神の「七」という数は、陽を表わす奇数であって、古くから、めでたい数字とされている。七難即滅、七福即生、万姓安楽という語句は七福神の語源ともいわれ、寿命、有福、清廉、愛敬、威光、大量の七つの神々を象徴するもので、心新たな年頭にあたって参拝し、その年の至福を祈念するならわしが七福神初詣でのいわれである

七福神巡りが新春の行事であることの意味を初めて理解しました(でも個人的には各地の七福神を廻りたいので年中行事にして欲しい気がします)

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次の「白鬚神社」を目指して歩き始めると、電柱に案内を見つけました。迷子症なので、こういう配慮は本当に嬉しい

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突き当たりにある階段手前に『寿老神』と書かれた看板と大きな石柱が見えてきました。「白鬚神社」の入口に着きました

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少し曲がっている参道を通って「白鬚神社」にお詣りさせていただきました

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珍しい石造りの立派なご由緒によると

由緒
天暦五年(西暦九五一年)に慈恵大師が関東に下った時に、近江国比良山麓に鎮座する白鬚大明神の御分霊をここにまつったと、社伝の記録には伝えている
(中略)
当社の御祭神猿田彦大神が、天孫降臨の際に道案内にたたれたという神話より、後世お客様をわが店に案内して下さる神としての信仰が生れた。社前の狛犬は山谷の料亭八百善として有名な八尾善四郎、吉原の松葉屋半左衛門が文化十二年に奉納したもので、その信仰のほどがしのばれる

と書かれています。猿田彦大神は『みちびきの神』だと思っていたのですが、お客様を導いてくれる神というのは今まで知らなかった解釈です

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境内には「諏訪社(諏訪神社)」「水神社」もありました(こちらにもお詣り)。やはり川の近くなので、水禍難除けに「水神社」があるのだと思います

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境内内にはたくさんの石碑が立っています(いくつかの石碑は説明が付いていました)

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さらに『江戸・東京の農業 寺島ナス』と書かれた説明もありました。

かつて、白鬚神社の周辺は寺島村といいました。元禄郷帳(1688~1704)によれば、この地域一帯は、水田を主とする近郊農村でしたが、隅田川上流から運ばれてきた肥沃な土はナス作りにも適し、ナスの産地として、その名も「寺島ナス」と呼ばれていました。
(中略)
江戸時代、悠々と流れる隅田川の東岸。田園地帯であった寺島に、後世に伝えるに値するナスの銘品があったのです

 と書かれています。『寺島ナス』初めて知りましたが、この辺りが江戸時代は水田だったというのも吃驚しました


一通り境内を廻ってみたのですが、『寿老人』が見当たりません。そこで社務所(授与所)の前で『寺島ナス』と書かれた鉢植えの世話をしていた方(たぶん神社の方)に訊ねてみたら、『白鬚神社には寿老人自体をお祀りしておらず、白鬚という名前から神社自体が寿老人であると見なしています』とのこと(これにも吃驚)

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御礼を言ってから、付近にあった『隅田川七福神 白鬚神社 寿老神』を改めて見ると

(前略)文人たちが、隅田川の東岸で初春の七福神詣を始めようとしたとき、どうしても近隣の寺社に寿老人が見つからない。そこで機智を働かせ、鎮守の白鬚大明神は、白いお髭の御老体であろうから、まさに寿老神としてたたえるのにふさわしいということになり、めでたく七福神が誕生したわけである

とあり、文人たちの機転に感動しました(笑)。それで『寿老人』ではなく、入口に『寿老神』と書かれていたのですね

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境内には『山玉向島講社の碑』も置かれていました。説明には

山玉向島講社は、かつて向島地域にあった富士講の一つで、山玉深川元講の枝講だったと考えられています。明治八年(一八七五年)七月頃には既に存在し、構成員は主に寺島・中ノ郷・須崎の三地域に居住していました。専用の祭祀具をあつらえて月拝みを行い、夏季には二十名前後の人数で富士山を登拝していたようです

と書かれています。この辺りにも『富士信仰』はあったようです。富士塚を拝むのではなく、実際には富士山に登っていたようです

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七福神についての雑学が増えてしまった「白鬚神社」を後にして、「白鬚橋」を目指します。入口前の階段を上り、右に曲がって「白鬚神社」の横を歩いていきます

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途中、素敵なデザインのタイルを発見。上は墨田区の花『つつじ』、下は『桜橋』と『隅田川花火』ではないかと思われます(「白鬚橋」近くなのに・・・)

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すぐに『墨堤通り』に出てきました(「多門寺」(毘沙門天様)の案内がありますが、今日は行きません)

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セイコーミュージアム」の前を通り過ぎます(今日はは休館のようでした)。時計が本物ではなくて印刷物なのが少し残念

セイコーミュージアム」ホームページによると来館する場合は事前に電話連絡が必要なようです(ご参考まで)

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「白鬚橋」に向かう交差点のところまでやってきました。角にコンビニ(セブンイレブン)があったので、これからに備えて水分補給(ペットボトルを購入)

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通りの反対側にはアートしているビルを発見(ビルのシャッターには『中央株式会社』と書かれていました)。何を表現しているのかわかりませんでしたが、素敵です

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この横断歩道を渡って直進すれば「白鬚橋」です

橋めぐりもこれからというところですが、記事が長くなってきたので一旦終わります

次の記事

に続きます

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