Bataさんぽ+

路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

駅からハイキング:上野の歴史を「見る」1(上野駅~西郷隆盛銅像)

時系列的には、次は8/31の「馬車道散策」なのですが、期間の短い『駅からハイキング』のウォーキング記事には『旬』がある(笑)ので、優先度を上げて記事にしてみます(目指せ! 駅からハイキングが1.2倍面白くなるブログ!!( 20%アップが奥ゆかしい。でも、いつから、そんな大それたこと思っていたんだ^^;)

まだまだ残暑厳しい中(ほとんど真夏)、駅からハイキング「【見て・触れて・感じる上野】~上野の歴史を「見る」~」に昨日(9/6)参加してきました

先日(9/4)のブログ記事

で概要やコースなどは紹介しているので、今回は割愛させていただきます

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ちょうど2ヵ月ぶりでやってきました「JR上野駅」(前回は7/6でした→記事「駅からハイキング:上野 かっぱ橋 下町七夕まつりと下町文化1」、その次は銀座線で「浅草駅」直行だったし・・・)


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「入谷改札」まで来ると、前回と同じく案内が出ています(ここからは案内に従って行けば受付に行けます)

 

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まだ受付時間(10:00)まで5分以上あるのに、既に受付が始まっています(今回もたくさんの方が参加されるようです)

早速カード読み込ませて、受付完了(参加にはカードが必要です。初回参加の場合は受付で即発行してもらえますので、ご安心を)

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マップと一緒にもらったのは電車ではなく、青森県マスコットキャラクター「いくべえ」くんのバッチでした(今回からキャラバッチに変わった? 次回確認)

 

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早速マップに従って歩き始めます。マップに従うと受付に向かう道を逆にたどり、結局「入谷改札」まで戻ってきてしまいました^^;

 

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「パンダ橋」に出て、「上野恩賜公園」側へ向かいます

 

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前回(7/6)に来た時にはなかったと思うのですが、「パンダ橋」に花壇が出来ています。『 世界文化遺産登録 国立西洋美術館』\(^O^)/ 盛り上がっています、上野

 

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空を見上げると、雲はあるけれど快晴、既にかなり暑くなってきました

 

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マップに従って、階段を上がり、階段を下ります。つい癖でマップを見て写真に撮ってしまいました(今日はマップがあるから問題ないんですけどね^^;)

 

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階段を下りて、すぐの場所にある『パンダ橋』の碑。『上野駅東西自由通路建設地点の遺跡』と書かれた説明には

 東京都立上野公園内は上野不忍池岡遺跡群として縄文時代~近世の遺跡が広がり、江戸時代には寛永寺境内地であった。
(中略)
 当地は平成十年(一九九八)に東西自由通路(現パンダ橋)建設に伴い調査を実施した。調査地の北東に十七世紀頃の「段切状遺構(雛壇状の区画)が検出され、また「地下室」等も見られ常照院に関係するものと推測される。その後北半分は整地されて墓所となっており、十九世紀頃の板石組の石槨墓(五基)や墓所を区画する石組が発見され、一橋家の墓所と推測される。遺物では「地下室」から中国製磁器、銅製灯明具、松竹・鶴亀文印刻の土師質(素焼き)皿などが出土した
 近世以前では縄文時代前期、弥生時代末期頃、古墳時代後期、奈良・平安時代の住居跡が調査されており、古墳時代の住居跡は焼失して屋根材が炭化したまま残っていた。その他に道路状遺構や縄文時代の集石などが発見されている。火災住居跡からは完全な
形の土師器坏、金環(金銀貼の銅製耳環)が出土し、付近の摺鉢山古墳等に関連した集落とも推測される。
 一九九八年発掘調査での出土造物は平成十二年度台東区有形文化財(考古資料)に登録されている

とあり、かなり重要な歴史が積み重なった遺跡群だったような感じがします(上野の歴史 古代編の総集編のような説明^^;)。結局、出土したものはどこにあるのかな?

 

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東京文化会館」前(「JR上野駅」公園口前)でUターンします

 

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お約束です! 「パンダ橋」の下を撮ってみました^^
階段になっているので、裏から見ても階段状に見えます。平らな部分には格子状に強化しているのが見えますね

 

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横には「上野駅」のホームが見えます(山手線のホームのようです)

 

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道端には大きな松の木が生えています(元々、ここに植えられていたのでしょうか? 存在感あります)

 

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「上野パーキングセンター」の看板です。『Web予約受付中』とあるので、きっとそこまでするほど駐車場のニーズがあるんですね、上野駅近辺

 

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階段を下りたところにあったのは、謎のタイル画。デザインなのか、汚れが何かに見えているのか、はたまた描かれていたものが剥がれおちてしまったのか? 謎です(いずれにしても私にはアートに見えます)

 

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最初の角を右に曲がります。遠くに「上野恩賜公園」に戻る階段が見えます

 

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曲がったところに立っていた看板にあったのは、台東区ご当地キャラクター『台東くん』。西郷さんがモチーフで、『台』の字の頭巾を被っているキャラかな?! 残念なことにここだけでしか見ませんでした^^;

 

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階段を上った先には壁のような噴水が見えます

 

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『黒門』とタイトルの付いた説明には

 この壁泉は、かつてこの地にあった「黒門」の姿を表現しています。
 「黒門」は、寛永寺の総門です。かつては現在の上野公園のほぼ全域が寛永寺の境内でした。公園入口付近には「御橋」または「三橋」と呼ばれる橋があって寺の正面入口となっており、その先に「黒門」がありました。
 幕末の上野戦争で、最も激しい戦闘が行われたのが、黒門付近です。戦いは主として銃撃戦でした。そのため、黒門にも多くの銃弾が当たり、門にはその痕が無数に残りました。
 焼け残った黒門は明治40年(1907年)、東京都荒川区円通寺に移築されました。円通寺には彰義隊墓所があり、黒門とともに幕末の歴史を今に伝えています

と書かれています。「円通寺」にある『黒門』には今も上野戦争の弾痕が残っているのでしょうか? いつか確認に行ってみたいです(これも上野の歴史ですね)

 

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西郷隆盛銅像」へ向かう階段の途中には、『祝 国立西洋美術館 世界文化遺産登録!』と書かれた幟が立っています(風があると幟の撮影はやっぱり難しい^^;)

 

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上りきったところにある親柱のようなもの。なんのでしょうか? かなり気になりましたが、付近には説明は見当たりませんでした(単なる柱なのかも・・・)

 

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マップにある最初の観光スポット「西郷隆盛銅像」にようやく到着。銅像下の漢文のような説明も横にあった『敬天愛人』と書かれた由来も光の反射で読めなかったので、マップに書かれていた説明を引用します(西郷さんはあまりにも有名ですし・・・)

西郷隆盛の旧友らにより、明治31年に建立された。彫刻家・高村光雲作の銅像。高さ約3.7m、胸囲約2.6m。連れている犬は西郷の愛犬「ツン」で、こちらは高村貞行作

「ツン」は作者違うのですね^^;

 

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西郷隆盛銅像」の少し先、工事などで使うコーンでつくられた柵の向こう側に石碑が見えます。近づけなかったので、帰宅してから写真を確認。全文が読み切れていないのですが(漢字変換が誤っているかもしれません)

大正十二年九月十五日 攝政殿下大震災ノ惨状御視察ニ際シ畏クモ此地ヨリ御展望サレ被害ノ情況ヲ聞召サル越エテ七歳昭和五年三月二十四日天皇陛下此ニ臨御アラセラレ親シク街衢ノ復興ヲ矕ハセ給フ乃テ石ヲ此處ニ?テ以テ 聖思ヲ不朽ニ傳ヘントス 

と書かれているように思います。個人的な解釈ですが、『昭和天皇陛下がこの地で関東大震災の直後と7年後に視察され、街の復興状況をご覧になった』という記念碑ではないかと思っています(これもまた上野の歴史です)

 

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コーンでつくられた柵の向こうにありました。錦絵を描いているように見えるのですが、具体的にはわかりません。いつ近寄れるようになるのかな?

 

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すぐ近くには「彰義隊の墓」があります。説明によると

 十五代将軍徳川慶喜の一橋藩主時代の側近家来であった小川興郷らは、慶応四年(一八六八年)、大政奉還をして上野寛永寺に蟄居した慶喜の助命嘆願のために同志をつのった。そこには徳川政権を支持する各藩士をはじめ、新政府への不満武士、変革期に世に出ようとする人々が集まり、「彰義隊」と名乗り、やがて上野の山を拠点として新政府軍と対峙した。旧暦五月十五日の上野戦争は、武力に勝る新政府軍が半日で彰義隊を壊滅させた。
 生き残った小川ら隊士は、明治七年(一八七四年)にようやく新政府の許可を得て、激戦地であり隊士の遺体の火葬場となった当地に彰義隊戦死の墓を建立した。なお、遺骨の一部は南千住円通寺内に合葬されている。以後、百二十年余りに渡り、小川一族により墓所が守られてきた。現在、歴史的記念碑としてその管理は東京都に移されている

書かれています。それにしても半日で壊滅させられたんですね。鉄砲の威力は当時絶大だったようです。思わず合掌してしまいました

 

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『彰義』と書かれた石碑。鎌倉で見た史跡説明(記事「鎌倉駅周辺散策1(鎌倉駅~妙隆寺)」など参照)に似ています(これも同じようなものではないのかな? どこかで調べてみたいです。たくさんありそう)

 

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「清水観音堂」、素敵な建物です。午前中はスルーさせていただきました

「清水観音堂」の境内にある石碑もいくつか写真を撮ったのですが、うまく写っていませんでした(残念)。またの機会に確認したいと思います

『秋色桜』『鶴の檻 さくら吹雪の中にあり』などの石碑があったので、近くを通る場合はお忘れなく

 

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マップのコースを歩いていると、右側に見えたのは、

 

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『博士王仁碑』、説明には

古事記」などによると、王仁博士は古墳時代前半に百済国から渡来し、「論語」・「千字文」を伝えた学者であり、後に帰化したとされる。また、その子孫は文筆をもって朝廷に仕えたといわれる。
 この「博士王仁碑」二基は、王仁博士顕彰会により、昭和十五(一九四〇)年及び昭和一六(一九四一)年に建立された

と書かれています。『王仁博士』初めて知りました(もしかすると昔習ったのかな?)。遠い昔、日本の発展に貢献してくださった方の顕彰碑でした(本当にいろんな歴史に触れられます。でもこれは上野の歴史とは違うかな^^;)

 

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遠くに石像が見えるので、コースから少し外れますが、見に行ってしまいました

子供を抱えたお母さんと小さな女の子の『時忘れじの塔』。帰宅してからインターネットで検索したところ、『関東大震災東京大空襲などの悲惨な出来事を忘れないように』と建てられたようです。裏側に碑文があったようです(見てきませんでした^^;)

寄り道が多くて、なかなか先に進めません。でも、いろいろな上野の歴史に触れてられて、なかなか楽しい(^-^)

まだちょっとしか歩いていないのですが、少し記事も長くなってしまったので、一旦終わります

次の記事

に続きます

※御礼
 いつも読んでくださり、はてなスターやコメントなどありがとうございます
 ものすごく励みになっております。これからもよろしくお願いします

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