旧東海道を歩く27(大磯[化粧井戸~大磯駅入口])
からの続きです
道が分かれているところまでやってきましたが、ガイドブックによると右側の道に入るようです
ウォークマップにもガイドブックにも載っているそば屋さん。ここにも入りませんでした。水車が印象的なお店です
裏通りなのか車もほとんど通らない並木道を少し歩くと、左側に「化粧井戸」があります。説明には『伝説によると鎌倉時代の大磯の中心は化粧坂の付近にあった』とあり、『当時の大磯の代表的女性「虎御前」もこの近くに住み、朝な夕なこの井戸水を汲んで化粧をしたのでこの名がついたといわれている』と書かれています
少し歩くと右側に「化粧坂の一里塚」跡がありました(日本橋から十六里目)。説明によると『高さ約三米程の上に海側は榎を山側はせんだんを植え』てあったそうです
近くにはこんな道標も立っていました。頂上に『明治天皇観漁の碑』がある王城山はここから登るようです(あまりに遠いので登りませんでした)
少し先には、『初代歌川広重の「東海道五拾三次の内大磯虎ヶ雨』の絵が大きく掲示されていました
少し進むと『大磯八景碑 化粧坂の夜雨』がありました。今回は解説付きです。
大磯八景は、明治四十年頃、大磯町第五代町長・宮代謙吉が大磯の名所八景を選んで絵葉書を出版したのが始まりです
その後、大正十二年に大磯小学校第二代校長・朝倉敬之が自作の歌を刻んだ記念碑をそれぞれ八景の位置に建立しました
と書かれています。町長と校長という地元の名士による、かなり私的な八景みたいですが、大事にされているようです
東海道線の線路の手前には休憩所がありました。ここで水分補給して一休み
線路の反対側には地下道を使って移動します
完全に雰囲気はトンネルですが、場所の標記は『竹縄架道端』と橋の下を通っていることになるようです。途中、光の加減で全体が緑がかって綺麗でした
地下道を抜けると、街道に覆いかぶさるように木が茂っています
ちょうど車が駐車していたのですが、運転手さんにお願いして、数メートル移動してもらいました(運転手さんありがとうございます)
ここが大磯宿の「江戸見附跡」でした。説明の最後に『宿境には傍示杭と呼ばれる木製の標柱が建てられていた』と書かれていました。初めて知ったのですが、大磯宿の特色なのか、それとも他の宿場もあったのかは現時点では謎です
大磯町に入ってから、約1時間かかって、ようやく大磯宿に到達しました^^;
少し先にはこんなベンチもありました
並木道が終わり、住宅地のような場所になってきました(もうすぐ大磯駅?)
店の看板が可愛いので撮影してしまいました。2匹の上げている手が違うのが、またいい感じです
国道1号線に戻って来ました
右に行くと「大磯駅入口」なのですが、左に移動して近くにある「日枝神社」にお詣りしていきます
少し路地に入りましたが、すぐに「日枝神社」は見つかりました。鳥居をくぐり、しっかりとした造りの拝殿にお詣りさせていただきました
木彫りが竜神ではなく、竜を成敗している構図になっています。珍しいので撮影
なんか気になってしまったので、両サイドにある狛犬の彫物も撮影してしまいました。今までこのような部分を撮影してこなかったのですが、なかなか面白いですね(また撮影対象が増えてしまった^^;)
ガイドブックにあるように、境内にはたくさんの庚申塔が建てられていました。近くにあった説明によると『銘文年代なし』のようです
国道1号線に戻って、先に進みます。既に松並木が終わった後に松をデザインしたタイルがありました(この辺りではたくさん見かけました)
かなり小さいですが、「三澤橋」と書かれた橋がありました。細いですが、Googleマップにも川として載っています(ちなみにこの場所は「三沢橋交差点」と交差点の名前になっていました)
ようやく「大磯駅入口交差点」までやってきました(この歩道橋も下から1枚
^^)
本日の旧東海道を歩くはここまで、となります(午前中遅い時間の出発だったため)
次回はここからスタートです
iPhoneヘルスケアアプリによると、11,856歩 7.99Kmでした(旧東海道としては4Kmぐらいの距離のはずなので、やっぱり寄り道で倍歩いています)
まだランチを食べていないので、お昼と大磯をぶらぶらしたいと思います
なので、次の記事「閑歩:大磯駅周辺をぶらぶら」に続きます
よろしければ、もう少しお付き合いください
※2016/10/28追記
「旧東海道を歩く」としては次の記事
に続きます
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