旧東海道を歩く31(二宮[松屋本陣の跡]~小田原[国府津駅前])
「旧東海道を歩く30(大磯[座問答の石]~二宮[一里塚])」
からの続きです
『国道1号線』を離れ、住宅地の中、旧東海道を進んで行きます
『松屋本陣の跡』は完全に一般住居の庭に立っていました^^; 説明によると『宿場と宿場の間の宿(あいのしゅく)として賑わっていた「梅沢の立場」の中心的存在が「松屋本陣」』だったようです
少し歩くと下り坂で、すぐに『国道1号線』に戻って来ました。目の前に見えるのが「押切橋」です
「押切橋」の手前から海側を見てみました。すぐそこに海が見えます
「押切橋」を渡ると「小田原市」に入りました^^(段々と「小田原」が近くなってきた感じがします)
あれれ? 少し歩いたら、また「二宮町」の標識。境界が複雑なのか、再び「二宮町」です(マンホールも「小田原」から「二宮町」にしっかり戻るので、下も向いて歩くと面白いです)
さらに歩くと、再び「小田原市」へ。ここからは完全に「小田原市」でした
『日本橋まで76Km』の標識。歩いてきたなぁという感じがします(励みになるんです)
「浅間神社入口交差点」で右を見ると、鳥居が見えます。ここもお詣りしていくことにしました
鳥居の先にある大きな二本の樹が二つ目の鳥居のように見えました
立派なお社をお詣りさせていただきました
木彫りの龍神様がこちらを見ておられるような気がしたので、お写真を頂きました
近くには『震災復興記念碑』と
字は読めませんでしたが、最初の二文字が『富士』で横に『登山』の文字が見えるので、富士信仰の石碑ではないかと思っています(推測です)
写真だと少しわかりづらくて申し訳ないのですが、道の右側すぐに海岸線が見えます。海のそばを歩いています(昔の東海道は海沿いというイメージがあるので、昔ながらの場所なのかもしれません)
少し歩くと「史跡 車坂」がありました。よくわかっていないのですが、いろいろな方がここで句を詠んだということのように見えます
少し先には『従是大山道』と書かれた石仏(不動尊様?)が載った道標。縦一列に並んだ石造物は珍しいです
小さなお稲荷様の社(個人所有?)の横には『道祖神』も置かれていました。花が添えられており、大切にされているようです
『近戸神社』と書かれた碑もありましたが、ウォークマップで見ると、かなり先にあるようだったので、お詣りしませんでした
『日本橋まで77Km』の標識も見つけ、どんどん歩いて行きます
おっ、ここでランチできるかも、と思ったら『準備中』でした(結局、ランチ難民)
『国土交通省』の標識、『横浜国際事務所 小田原出張所』とあって、なんかややこしいです。横にお城と松の絵が描いてあるのも謎でした
上の写真の坂道を上ると歩道橋になっているようです。なぜ、こんな場所にあるのかは謎でした(疲れていたので、戻って追求しませんでした^^;)
『日本橋まで78Km』の標識を過ぎて、すぐに本日の目的地「国府津駅入口交差点」に到着。本日のセーブポイント(次回はここから歩き始めます。写真はあまりに暗かったので、標識部分だけレベル調整してみました)
iPhoneヘルスケアアプリによると、21837歩 14.3Kmでした(思ったより歩いていません)。でもランチもランチ休憩もなかったので、結構疲れました
めちゃめちゃ大きな「国府津駅」の駅舎の前には
『国府津駅開業100周年記念』の石碑が置かれていました。蒸気機関車のレリーフが素敵でした
駅そばのコンビニ(NewDays)で買った『いがめんち風ドック』を食べながら、帰りの電車を待ち、そのまま帰宅しました
今回の旧東海道を歩くはこれにて完了です。長い記事にお付き合いくださり、本当にありがとうございました
既に歩き終わっているのですが、次の旧東海道を歩くは「箱根湯本」を目指して歩きます(まだ写真の整理さえしていないので、しばらくお待ちください)
[2016/12/01追記]
先の記事を投稿し始めました
に続いていきます
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