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路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

旧東海道を歩く37(小田原[板橋の地蔵尊~風祭の一里塚])

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記事としては旧東海道を歩き続けています。「小田原宿」を離れ、箱根町を目指して移動しています

前の記事「旧東海道を歩く36(小田原[片岡本陣~板橋(上方)口])」

から続いています

 

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小田原市板橋の付近を歩いています。大きな樹が二本そびえ立っているお寺が見えたので、立ち寄ってみることにしました

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『板橋の地蔵尊』と書かれた説明には

 この地蔵尊は「板橋のお地蔵さま」と呼ばれ、古くからこの地方に名高く知られわたっている。
 永禄12年(1569)、香林寺九世の文察和尚は、身丈一丈(約330cm)の大坐像を造り、箱根湯本の宿古堂に祭られていた弘法大師彫造の御真体を胎内に安置したといわれている。
 毎年1月と8月の23日・24日の両日が縁日で、当日は境内及び参道に市が立ち参拝者で賑わう。この地方では、新ホトケが出た時、その家族及び縁者が3年間つづけてこの地蔵尊へ参拝する習俗があり、この日に参拝すると故人に似たひとに必ず合えるといわれている

と書かれていました

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中に安置されていると思い、お詣りさせていただきました。御堂の天井のカラフルで素敵です

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御堂の右横には『福興大黒尊天』様がいらっしゃいました(いろいろな大黒天様の像がありますが、お顔が大きい^^)

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御堂の前に置かれている香炉(だと思うのですが)、狛犬様のような飾りがついていて、可愛いので撮影してしまいました

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お詣りを済ませて、先へ進むと、箱根登山鉄道の高架が見えてきました(単線だから細いです)

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国道1号線に戻り、先へ進むと

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『小田原用水(早川上水)取込口』と書かれた説明がありました

 小田原用水(早川上水)はこの地で早川の川水を取り入れ、板橋村は旧東海道の人家の北側を通水し、板橋見附から旧東海道を東に流水して古新宿を通り、江戸口見付門外蓮池に流れ出たもので、途中の所々で分水されて小田原城下領民の飲料水に供されていたものである。
 この古水道は小田原北條氏時代に施設されたものと思考され、我が国の水道施設の中では初期の頃の水道と思われる。江戸時代になっても利用され、城下17町の飲料水として利用されていた。
 その後上水道から下水道へと姿をかえ、昭和31年市内電車の軌道撤去による国道の大改修によって面目を新たにした。
 なお、近年道路工事中に、江戸時代のものと思われる分水木管が発見され、その一部が市立郷土文化館に保管されている

と書かれています。昔の小田原はここから水を得ていたようです

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少し川側へ降りてみると、こんな場所がありました(昔の名残なのか、最近整備されたものなのかは不明です)

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すぐ横には取込口ようなものがありましたが、これはさすがに近年のもののように感じます

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国道1号線に戻り、早川沿いを箱根を目指して歩いて行きます

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早川沿いの気持ちよい道を歩いて行くと、『小田原厚木道路』の高架のところに出てきました。ここで道路の反対側に移り、踏切を渡っていくようなのですが、付近に横断歩道が見当たりません

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日本橋から87Km』の標識を過ぎ、少し歩いたところで、ようやく横断歩道を発見

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国道1号線』を反対側に渡り、先ほど通過した『小田原厚木道路』高架近くの『箱根登山鉄道』の踏切まで戻って来ました

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踏切を渡ってすぐのところにある『日蓮聖人霊跡』、漢字が難しく、今一つ判読できていません(『日蓮聖人が病即消滅をこの地で祈願されたこと、ここに昔はお寺(妙福寺)があったこと』などが書かれているようです)

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少し先へ進んだところで、右奥に鳥居を発見したので、お詣りさせていただくことにしました

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『村社 八幡神社』と書かれていました。石段を上り、お詣りさせていただきました

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おそらく溶岩だと思うのですが、雰囲気のある岩の上に鎮座している狛犬様が印象的でした

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ウォークマップに従い、先へ歩いて行くと、何か史跡のような場所を見つけました

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『小田原の道祖神』と書かれています(道祖神はたくさんあると思うのですが、名前付きなのは別格ですが、特に説明らしきものは発見できませんでした)

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その奥にあった説明は『東海道 風祭の一里塚』と書かれています。ここが一里塚だったようです。説明には

(途中から)塚は男塚、女塚と、街道の左右に対で置かれ、広さは通常5間(約9メートル)四方であった。塚には榎を植え、旅人の1里ごとの目印とするとともに、夏季における木陰の休憩場所とした。
 風祭の一里塚ついては、天保年中の相模国風土記稿に「東海道側に双候あり、高各一丈、塚上に榎樹あり、囲各八九尺、東方小田原宿、西方湯本茶屋の里候に続けり」とある

と書かれています。一里塚の一般名称だと思うのですが、『男塚』と『女塚』という名前は初めて出てきたような気がします(勉強になります)

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少し寂しい場所を歩いていると、走っているカップルに追い抜かれました(東海道のマップを持っていたので、走って東海道を旅しているのかもしれません)

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路上には『公共測量基準点』なる印を見つけました

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『長興山・紹太寺』と書かれた門を発見。ここをかなり上ったところにお寺があるようです

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すぐ近くには『六地蔵』様が置かれていました。『この六地蔵には、寛永・慶安・寛文などの年銘があり、一時に建立されたものではないことがわかります』と書かれています。徐々に揃えたのか、壊れたものを入れ替えていったのか、謎はありますが、大変珍しい『江戸時代初期の石仏』のようです

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道案内には『入生田駅 260m』と書かれています。かなり駅に近づいてきました

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先に進んでいくと道端には小さな石堂もありました

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入生田駅←』と書かれた案内を発見!(駅に寄っていくつもりだったのですが、すっかり忘れて先に進んでしまいました)

そろそろ小田原市箱根町の境に近づいてきましたが、記事もながくなってきたので、一旦終わります

次の記事

に続きます

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