隅田川七福神めぐり1(三囲神社~長命寺)
本日もブログ訪問ありがとうございます!
※時系列的には前の記事「閑歩:隅田川七福神めぐり、その前に」
から続いています
いよいよ隅田川七福神めぐりを開始します(と言っても2記事ですが^^)
御開帳は元旦から七日までなので、1/3にお詣りさせていただきました
廻り方に順序はないそうですが、今年の躍進を願って、右肩上がりに「三囲神社」から、江戸時代から伝わるという参拝方法に従って、各寺社で御分体を授けていただきながらお詣りさせていただきました
「牛嶋神社」を出て、なぜか国道6号線に来てしまいました(帰宅してから地図を確認したら、もう1つ隅田川寄りの道が正解でした)
やっぱり撮ってしまいます『日本橋から○Km』の標識(既に習慣化)
少し歩いて、確かこの歩道橋のところで曲がるはずと思い、曲がってみます
無事「三囲神社」の鳥居前に到着^^
さすが「三囲神社」、『三越』の名前の入った幟が立ってます(笑)
大きな看板もありました
こちらには『大國神』様と『恵比寿神』様がいらっしゃいます
鳥居をくぐり、まずは本殿でお詣りさせていただきます
普段は閉じている別殿の扉が開いています。奥は暗いので、少し見えづらいのですが、『大國神』様と『恵比寿神』様が祀られています。しっかりお詣りさせていただきました
境内には『隅田川七福神コース案内図』が立っています(実は次の「弘福寺」で気がついて、一度戻って来ました^^; でも後で考えるとこの時間ロスが良かったと思います)
説明によると
三囲神社の別殿には、古くから大國、恵比寿二神の神像が奉安されている。もとは三井の越後屋(今の三越)にまつられていたものである。江戸時代の終わり頃、町人層の好みが世間のさまざまな分野で表面に現れ、多くの人びとによって支持された時代の流れの中で、隅田川七福神が創始されたとき、当社の二神もその中に組み込まれた。
大國神は慈悲円満と富貴の表徴、恵比寿神は豊漁をもたらす神、商家の繁栄を授ける神として、庶民の信仰を集め、その似かよった御神徳から一対の神として崇められることが多い。大國を同じ音の大黒とも書く
とあります。なんと元々は三井家(三越)にあったものなのですね
授与所で『宝船』と『大國神』様、『恵比寿神』様の御分体を授けていただきました
授与所で次の「弘福寺」までの道を教えてもらうと、川沿いの鳥居のところの門が開いているとのことで、隅田川に近い道から行ってみることにします。確かに柵が開いています(実は最初に入った鳥居の横の道を真っ直ぐ行くのが近いです。真っ直ぐ歩けば迷うことなく、「弘福寺」に着きます)
鳥居のところで写真を1枚。背景に「東京スカイツリー」が入るなかなかの撮影ポイントだと私は思います(逆光になってしまったのと、ちょっと自転車が邪魔です^^;)
こちら側から「弘福寺」を目指す人はいないようで、誰も前を歩いていません^^;
狭い路地に入ると直進できなかったため、右曲がって歩いて行くと、「三囲神社」の表鳥居横の道を直進する道に出てきました(ちょっと遠回りしただけになってしまいました)
左に曲がって少し歩くと、すぐに「弘福寺」に到着
本堂にお詣りさせていただくと、本堂の中に『布袋尊』様が安置されていました
ここで初めて『隅田川七福神コース案内図』に気がつきます。説明には
黄檗宗弘福寺は、三百余年の昔、名僧鉄牛禅師によって創建された。黄檗宗は禅宗の中でも中國色の強い宗派として知られ、当寺に布袋尊の御像が安置されたのも、実はその黄檗宗の性格に深くかかわるのである。
布袋尊は、唐時代の実在の禅僧である。常に大きな布の袋を持ち歩き、困窮の人に会えば袋から財物を取り出しては施し、しかも袋の中身は盡きることがなかった。その無欲恬淡として心の広い人柄は、真の幸福とは欲望を満たすことだけではないことを、身をもって諭した有徳として、世人の尊崇を受け、七福神として敬われたのである。
とありました。やっぱり史跡の説明を読むと理解が深まります。七福神の中で唯一実在した人とのことです(初めて知りました)
授与所で『布袋尊』様の御分体を授けていただきました
私はひきませんでしたが、「弘福寺」でおみくじをひき大吉が出ると『福銭』を授与していただけるそうです(ちなみに私は神様のお言葉を欲しい時だけおみくじをひくようにしています。前回は静岡「護国神社」でしたが、『一に健康』と告げられています)
ここで『隅田川七福神コース案内図』の説明を読んでいこうと思い立ったので、「三囲神社」に戻ります
15分ほどで「三囲神社」を往復して戻って来ました。次の「長命寺」に向かいます
「長命寺」、本当にすぐ近くでした^^;
境内にある「言問幼稚園」の横を通り、本堂にお詣りさせていただきました。『弁財天』様は本堂中央にお祀りされていました
授与所で『弁財天』様の御分体を授与していただきました
境内を探しても見つからず、授与所で確認したのですが、「長命寺」には『隅田川七福神コース案内図』はないそうです。隅田川七福神めぐりマップの裏の説明よると
三代将軍家光が、鷹狩りの途中に腹痛を、寺内の井戸水で薬を服用し快癒したことから、長命水の名をいただき、寺号も長命寺とした
弁財天は河(水)の神ということから蛇がお使いとして選ばれ、巳の日に参拝する風習が生まれた
と書かれていました。家光公の名前が出てきて、ちょっと吃驚です
念のため確認しようとインターネット検索していると、こちらのホームページ猫のあしあと「長命寺|隅田川七福神の弁財天、墨田区向島にある天台宗寺院」に『隅田川七福神コース案内図』の写真を発見?! 実はあったようです。またいつか参拝時に確認したいと思います(年初早々宿題ができました^^)
「長命寺」を後にして、どう進もうか悩んだのですが、『墨堤通り』を歩いて行くのがわかりやすそうだったので、左に曲がります
周囲が明るいのに日陰を歩いてきたので、かなり暗い写真になってしまいましたが、快晴でかなり明るかったです。道なりにぐるっと廻って『墨堤通り』に出てきました
なんとここで、『歴史と文化の散歩道』の道標を発見! 『隅田川七福神散歩』というコースがあるようです
しまったぁ、今日はこのコースを歩けば良かったのかも・・・、と思ったんですが、ルートに「桜橋」が含まれています(謎)。やはり少し調べてから挑戦して方が良さそうです
『墨堤通り』をまっすぐに進んで行きます。途中、逆方向に七福神めぐりをされているような方とすれ違いました(同じように宝船を持っているので、わかります)
マップで確認しながら、(お詣りしませんでしたが)「子育地蔵尊」のところで右に入ります
少し進むと『隅田川七福神 参拝順路 →百花園』の看板を発見
(実は最短でわかりやすい道順にこの看板が立っていたようです。ここまで気がつかずに来てしまいました^^;)
「向島百花園」に向かう人達も増えてきました(皆さん、やはり最短経路で歩いている様子。でも、この遠回りも実は必要な時間ロスでした^^)
あともう少しで「向島百花園」に着きますが、記事も長くなってきたので、一旦終わります
次の記事
に続きます(次で完結)
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