閑歩:由比ヶ浜~若宮大路~鶴岡八幡宮は新しい発見がいっぱい
本日もブログ訪問ありがとうございます!
長谷エリア散策の後、もう少し歩いてみようとちょっと無茶をしてしまいました^^
※時系列的には前の記事「鎌倉 長谷エリア散策5(甘縄神明神社~由比ヶ浜駅)」
からの続いていますが、閑歩記事になりますので、詳細なルート等はありません。あらかじめご了承ください
「由比ヶ浜駅」前の通りをまっすぐ進みます
懐かしい感じの遊具があるので、公園名を見てみると
「由比ヶ浜うめ公園」^^
さっきは『たい』だったのに、今度は『うめ』です。この日は2つのみでしたが、他にどんな名前が付いているのか、規則性はあるのか気になってきました
しばらく歩いて、「かまくら海浜公園」横のグランドまでやってきました[Google マップ]。江ノ電の電車と石碑があります
石碑は『ここに鎌倉海濱院 鎌倉海濱ホテル ありき』と書かれています
江ノ電の車両にも乗ってみました^^
子供たちの遊び場になっているようで、おじさんは邪魔なので早々に退去しました(廃車両って遊び場としてはワクワクしますよね)
そのまま海側へまっすぐ進んでみるとなにやら石碑が立っています(もろ逆光です)
横に廻ってみると
鎌倉の海
この鎌倉の海は、明治十七年(一八八四年)に長与専斎博士によって、海水浴に理想的であると世に広く紹介され、以来一世紀にわたって訪れる人たちに親しまれてきました。
これからも四季折々の姿をみせる鎌倉の海が、多くの人びとに愛されることを願ってやみません
と書かれていました。気になったので昔の記事「旧東海道を歩く28(大磯[大磯駅入口~宇賀神社])」を確認してみたら、別の人による紹介でした(大磯が明治23年なのでこちらの方が早いようです)。ちょっと海水浴の歴史がわからなくなってきました^^;
「由比ヶ浜」の眺め、穏やかです。散歩している人もかなりいました
さて気になっていた「かまくら海浜公園」の小高い丘上の部分に上って風景を眺めてみました[Google マップ]。記憶が定かではありませんが、たぶん『シン・ゴジラ』が上陸したのは、ここではないかと思います(DVDが出たら確認してみます)
気になっていたことを確認したので、次は「若宮大路」へ
ローソンの前に大きな石碑があったので、なんだろうと思ったら『交通安全』の碑でした
しばらく歩いて「鶴岡八幡宮」の「一の鳥居」までやってきました。前から気になっていたのですが車道の真ん中にあって人が入れません。ここをくぐってお詣りすることはできるのでしょうか? いつかくぐってみたい鳥居です
せっかく「若宮大路」を歩いているので「本覚寺」をお詣りして『にぎり福』をさずけていただこうといきなり思い始めました
「本覚寺」側に向かうため横断歩道を渡ろうとガソリンスタントのところを見ると何か石碑のようなものがあります
こんなところにも『鎌倉町青年団の史跡説明』が立っています(時々驚かされます)。またもホームページ「鎌倉八十八箇所」から確認させていただくと
その昔、鶴岡八幡宮に参る武人は、この辺りで馬から降りて歩いて詣でた事から下馬の名がつきました。今でもその名が、地名として残っています。ココは鎌倉の重要な地点であり、しばしば戦場になったことが古書に記されています。尚、文永8年(1271)9月12日、日蓮聖人が名越の小庵から龍口ノ刑場に送られる際、鶴岡八幡宮に向い、『八幡大菩薩よ、神ならば仏法の為に霊験を現し給え』、と大声で祈請したのは、この下馬橋付近であると言い伝えられています。
と書かれているそうです。この辺りから馬下りて歩いてお詣りしていたようです(二ノ鳥居のかなり手前なので、かなり距離があります)。ここでも日蓮聖人のお名前が出てきてちょっと驚きました(それにしても神に仏法の加護を願うなんて素晴らしい)
少し歩くと駐車場に向かう専用の橋があるみたいなので名前を確認してみると
『ほんがくじばし』と書かれていました。もしかすると昔は「本覚寺」の参道だったのかもしれません(お詣りする人が車で通るということでは今も参道です)
「本覚寺」山門から境内の中まで提灯がいっぱいです^^ 調べてみると、前日である1/10が『本えびす』だったようです
まず本堂にお詣りさせていただきました(ここの鰐口はとってもいい音がします)
振り返ると授与所を閉め始めているので、急いで向かい、なんとか『にぎり福』を授与していただきました(ぎりぎりセーフです 今回は『愛』と『学』の2つ)
後になってしまいましたが、「えびす」様もしっかりお詣りさせていただきました(それにしても提灯がすごいです)
「本覚寺」を出て「若宮大路」に戻り、少し歩くと『若宮大路』の説明を見つけました(*゚Д゚)
『日本の道100選』であり、
『日本の桜名所一〇〇』でもあるようです(『桜名所一〇〇』は初めて見ました。いろんな100があるのですね、日本には)
近くに地図があったので撮影してきましたが、鎌倉駅からまっすぐ西に向かった付近です(念のため)
「二ノ鳥居」から路の中央を歩き始めて
「三の鳥居」もくぐらせていただき、
今年初めて「鶴岡八幡宮」をお詣りさせていただきました
お詣りを済ませて石段を下りてくると、夕暮れが近くなってきていました
「鶴岡八幡宮」は何回も来ているのですが、今回初めて「旗上辨財天社」へお詣りさせていただきました
振り返ってみると、この日は『鎌倉・江ノ島七福神』8寺社のうち、『大黒天』様、『辨財天』様、『恵比寿』様、『福禄寿』様の4箇所を廻っています
御堂の飾りも『辨財天』様なのですね(美しいお姿)
お正月は混雑するのか、こんなマットが置かれていました^^;
橋の上から「三の鳥居」を眺めています。なかなか美しい景観。時間や天候があえば素敵な写真が撮影できそうです
「三の鳥居」のすぐそばにはこんな公衆電話ボックスがありました。普通の電話ボックスを木で囲っているだけのようですが、なかなか場所にマッチしています
「三の鳥居」を出て、右に曲がり、「小町通り」に向かう角に『鉄の井』を見つけました(ここも何回も歩いているのに初めて気がつきました)。『鉄観音像の首がこの井戸から掘り出された』ので、この名前がついたそうです(水から神仏が発見される系の伝説です)
ここにも『鎌倉市青年団の史跡説明』がありました(今気がついたんですが 町の時代と市の時代があるのですね^^;)。何回も引用させていただいている「鎌倉八十八箇所」によると
鎌倉十井のひとつで水は清んでいて甘味があり、盛夏でも枯れる事がない。昔この井戸から高さが1.5m余りの鉄観音像の首部分が掘出された事より鉄井と名付けられました。正嘉2年(1258)1月17日の午前2時頃、秋田城介康盛の甘縄の屋敷より失火し、折からの南風に煽られ、火は薬師堂の後ろ山を越えて寿福寺にまで及び、一堂も残さず全て焼けてしまいました。火は更に新清水寺、窟堂、若宮宝蔵、別当坊を焼き尽くした事が東鑑に記されています。此の観音像はその火災の時に土中に埋まったものを後に掘り出したものです。鉄観音は新清水寺のものと伝えられ、後にこの井戸の西方の観音堂に安置されましたが、明治初年に、東京に移されたと伝わります。
と書かれているそうです。『鎌倉市青年団の史跡説明』って面白いので、現代文に直して史跡説明として作ってもらえると観光客も楽しめるような気がします>鎌倉市様
かなり暗くなって灯りの点いた「小町通り」を抜けて
「JR鎌倉駅」へ到着^^
前回(8/4)の懸案事項だった駅構内天井部の注連縄を確認しようとしたら、なんと工事中でした^^;(あれ~~、いつ終わるんだろう? 注連縄は戻ってくるのかな?)
天井ばかりでなく、通路脇を見ていると、こんな場所にも鎌倉大仏様がいらっしゃいました^^
最後の最後でちょっと歩きすぎた感じがあり、かなり疲れましたが、これにて今回の鎌倉散策は全て完了
一連の長い記事にお付き合いくださり、ありがとうございました
※御礼
いつも読んでくださり、はてなスターやコメントなどありがとうございます
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