神楽坂には素敵な路地がいっぱい1
引き続き、ブログ訪問ありがとうございます!
※時系列的には今朝の直前の記事「閑歩:東京駅丸ノ内側正面がスッキリしてました、『東京駅』の石碑もバッチリ撮影^^」
から続いています(直前記事もお見逃しなく^^)
有楽町での映画鑑賞を断念したので、1/21のTokyoMXの「週末めとろポリシャン♪」で紹介された「神楽坂」を散策してみようと思います
散策にあたり、参考にさせていただいた
まっぷる 超詳細! 東京 さんぽ地図 mini '17 (まっぷるマガジン)
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から「SANPO COURCE 10 神楽坂」をガイドブックの通りに歩いてみます
どちらかというと東口よりに下りてしまったのですが、最初の目的地「東京大神宮」は西口からになるようです
改札を出てすぐ、チラシなどを置いてある棚に可愛いゆるキャラを発見!
帰宅してから調べたら、飯田橋駅のキャラクター『いいだべえ』でした。地元の小学生との共同制作で、昔は付近でクジラ漁をしていたことから、クジラがモチーフになっているそうです
「JR飯田橋駅」西口の階段を下りてきました
さてどちらに行けばいいのか探していると、なにやら石碑のようなものが見えます
『旗本屋敷跡』と書かれた説明には『この地は、富永権左エ門という旗本の屋敷跡であり、子孫は幕末まで代わることなく居住していた』と書かれています。石碑は『下乗(かじょう)』と読むそうで『道家の第三洞の教。神をいう』と書かれています。しかし石碑建立の動機は不明とのこと
付近をぶらぶらしつつガイドブックと見比べた結果、西口を出て、まずまっすぐ歩くと「牛込橋」のところに出ることがわかりました(それなりに迷いました^^;)
橋の手前を左に曲がります
この後間違って直進してしまい、「東京大神宮」までは遠回りしてしまったので、以降の写真は帰りにもう一度「東京大神宮」まで戻った時のものになります
すぐの角(ラーメン屋があります)で左に入ります。以降は直進
すぐに「東京大神宮」の鳥居が見えてきます
立派な鳥居の先には門がありますが、直進できないようになっています
おそらく東京で初めて見たような気がします(静岡だけじゃなかったんですね)
直進できないようになっているのは『必ず手水舎で身を清めましょう』ということのようです
あれ?手水舎にあるお馴染みのアレがありません(*゚Д゚)
作法も違っていて『両手』を使って口をすすぐように書かれています
御鎮座は明治十三年と予想以上に新しいです。御由緒を読んでみると『東京における伊勢神宮の遙拝殿として創建された』と書かれています(なるほど、いろいろ納得)。御祭神は『天照皇大神』様と『豊受大神』様で「伊勢神宮」の内宮と外宮両方と同じになります。『日本で最初の神前結婚式を執り行ったことで有名』と書かれていたので、これまた吃驚(それまで日本人の結婚式って神前ではなかったんですね)
拝殿にお詣りさせていただきました。1月下旬平日にもかかわらず、この行列
『縁結び』のご利益があるとのことで、若い女性の参拝が多いように感じました
拝殿右側には大きな酉の絵馬がありました(ちょっと目が恐いです)
御神木の付近がパワースポットらしいです(水のせせらぎで心が和みます)
※実はここを撮影し忘れたのでコースを廻り終えた後戻って来ました^^;
門の横に鎮座されています「飯富稲荷神社」もお詣りさせていただきました(ここもお詣り忘れていたので、戻って来て良かったです)
『衣食住と商売繁盛の守護神「稲荷大神」と土地の守護神「大地主大神」をお祀りしている』とのこと。『九代目市川団十郎丈が篤い信仰を寄せていたことから芸能の神様としても崇敬されている』そうです
どうしても目の前に見える拝殿に目がいってしまい、忘れてしまいそうですが、お詣りの際はお忘れなく
「東京大神宮」のお詣りを無事済ませ、道を戻っていくのですが、
ガイドブックを見るとここで右に曲がるようになっています
右に曲がってすぐ左側を向くと狭い路地があります。ガイドブックと付近を見比べたのですが『ここを歩け』とルートが描かれています
なぜこんな道を?と思ったんですが、すぐに納得しました。目の前に小さなお稲荷様が見えてきました
小さいながらも大切にされている立派な「桐生稲荷神社」にお詣りさせていただきました
「桐生稲荷神社」の前を直進して
歩いていた通りに戻り、「牛込橋」の方へ
広場にある大きな建物は「富士見町教会」でした。正面がガラス張りの綺麗な建物で屋根に十字架がなかったら、おしゃれなカフェレストランみたいに見えます(最初はカフェかなと思ってました^^;)
橋の手前にある立派な石垣が『史跡 江戸城外堀跡 牛込見附(牛込御門)跡』です
説明を読むと『江戸城の外郭門は、敵の侵入を発見し、防ぐために「見附」と呼ばれ、ふたつの門を直角に配置しいた「桝形門」という形式をとっています』と書かれています(東京で見る「見附」とはそういう意味だったのかと改めて理解)。『この見附は、江戸城外堀跡の見附の中でも、最も良く当時の面影を残している』そうです
道の反対側にも何か説明があるようなので、行ってみると
1つは「牛込橋」の説明。『現在の外堀になっている一帯は堀が開かれる前は広大な草原で、その両側は「番町方」(千代田区側)と「牛込方(新宿区側)」と呼ばれてたくさんの武家屋敷が建ち並んでいた』そうです。草原と武家屋敷・・・、ちょっとイメージできません^^;
もう1つは「富士見二丁目」の町名由来でした。単に説明板だけでなく桶のようなものがついているはかなり変わっています。なんと『九段坂を上りきったあたりから眺める富士山の姿がじつに素晴らしいことから付けられた名前』だそうです
「牛込橋」の親柱、デザインに気合いが入っていて、史跡説明にあった見附のような形をしています
橋の上からはJRの線路と
外堀が並んでいるのを見ることができる、東京らしい風景の場所でした
これから神楽坂?というところですが、記事も長くなってきましたので、一旦終わります
次の記事
に続きます
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