Bataさんぽ+

路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

「ほの国」豊橋・豊川は魅どころいっぱい7(豊橋市役所・公会堂・ハリストス正教会)

本日もブログ訪問ありがとうございます!

前の記事「「ほの国」豊橋・豊川は魅どころいっぱい6(豊橋鬼祭 赤鬼と天狗のからかい)」

から続いています

※タイトルの『魅どころいっぱい』は『不思議な魅力がある』という意味で『魅』を採用しています


天下の奇祭『鬼祭』を見終えた頃には、すっかり天気も回復し、青空が見えています。「安久美神戸神明社」から「豊橋市役所」まではかなり近いということで徒歩で移動しています

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あっという間に「豊橋市役所」が見えてきました。この近辺では一際高い建物です

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途中『鬼祭』を終えて、帰宅するらしい人達と遭遇。さきほど『儀調場』にいた『笹良児』の子供達に見えます

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ここで「二川宿」で見かけたマンホールの背景が空色バージョンを発見^^

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市役所に向かうと思っていたのですが、ガイドさんは「豊橋公園」に入っていきます(土曜日なので、公園側の入口から入るそうです)

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公園にある『吉田城案内図』を説明してくださいました。下中央の堀近くにある赤い点が現在地です。吉田城はかなり大きなお城だったようです

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現在は『鉄櫓(くろがねやぐら)』だけが残っているそうです


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公園側に開いているドアから中へ入ります

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中に入るとこんな看板がありました。『展望イタリアンレストラン』があるようです

エレベーターで13Fへ。展望ロビーはかなり広かったです(帰宅してから気がつきましたが、ロビー自体の写真撮影を忘れてました^^;)

 

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各場所には、何が見えるかの写真があります。実際に見える風景と少し角度が異なるので、対比するのは少し大変です

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最初は北側の眺め。目の前に見えるのは「豊川」です

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写真中央下で木の陰になってしまっているのが『鉄櫓』。かなり立派です。いつか近くで見てみたいです


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時計回りに移動して行きます。下に見える建物が「豊橋市美術博物館」のようです(上から見ると薄い緑色です)

この先に見える山を越えた先に『姫街道』の「本坂峠」があるみたいです。豊橋から近いと思っていたのですが、はるか彼方です


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これから行く「豊橋ハリストス正教会」も下に見えています

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さらに移動して南側を見ています。ガイドさんが『この方向の先に大きな池があります』と言うので目を懲らしてみましたが、見えません(ここからは見えないそうです^^;)

Googleマップで見ると確かに『大池』と示される、大きな池があります。帰宅してからインターネット検索していたら、豊橋市立向山小学校ホームページに「大池の歴史」を見つけました。少し引用させていただくと

 1654年に吉田藩主小笠原忠知が郡代長谷川太郎左右衛門に命じて作らせたといわれている。
 水源は豊橋東部の水神池といわれている。大池の水は、吉田城下の外堀に入り、町中の下水道や灌漑用として遠く吉田方の水田にまで流されていたといわれている。

とあります。自然に出来たものではなく、人工的に造られた池のようです

 

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次に行く「豊橋市公会堂」も見えます(屋根の上の鷲のオブジェについては後ほど少し触れます)

 

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グルッと廻って、西側に来ています

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ここでガイドさんから『地名は「とよはし」と「とよかわ」、川にかかる橋は「とよばし」、川の名前は「とよがわ」と濁点が付きます』と教えてもらいました(´・∀・`)へぇ~(聞いてみるまで気がついていませんでした)

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豊川を眺めています。手前に見える橋が「吉田大橋」で遠くに見える橋が「豊橋」です

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豊橋」の向こうに見える茶色の建物の辺りは昔港だったそうです(調べてみたら『吉田湊』という名前でした)。ガイドさんの説明では『豊橋からお伊勢参りをすると陸路では3~4日もかかったが、港から船で行けば半日~1日と大幅に短縮になったので、港町として大いに栄えた』そうです。『現在は港の跡すら残っていない』とのことでした(インターネットで検索してみたら、『船参宮』という名称で江戸時代はポピュラーなお詣り方法だったようです。大変勉強になりました)

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「吉田大橋」手前(歩道橋の向こう側)が本日最後に訪れる「吉田神社」です。お社が見えないので神社っぽく見えません^^;

 

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中央部分は最上階まで吹き抜けになっていて、屋根の部分はガラスになっているようです(採光がよく、とても明るいです)


少し前の記事「「ほの国」豊橋・豊川は魅どころいっぱい5(路面電車)」でも触れましたが、ここ展望ロビーの内側の壁が「とよはし物語館」

www.city.toyohashi.lg.jpになっています(路面電車のところで紹介した写真はここで撮影しています)

全部撮影できていないのですが、こんな場所です

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豊橋市のはじまり』

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『調和のとれたまち』(この中に『日本一の急カーブ』があります)

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『高度成長期の到来』

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豊橋大空襲』と

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f:id:bata_sun:20170219144607j:plain『戦災からの復興』と豊橋市に関する歴史が展示されています。時間の関係で路面電車の部分を読んでくるのが精一杯でした。豊橋観光の際に時間があれば立ち寄ることにより、より豊橋を楽しめるようになると思います

なお、ところどころに見える赤いモノは『トヨッキー』でいろいろとコメントを入れています

 

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(時間の関係で音を聞いてないのですが、)『豊橋ふるさと大使松平健』さんの声による『市電おもてなしアナウンス』も設置されてます。よくみると『おでん車』がありますね(聴いておきたかった)

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こんな写真撮影スポットもあります

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入口でみかけた展望レストランですが、営業中でした(土曜もやっているようです)

移動時間となったため、「豊橋市役所」を出て、「豊橋市公会堂」へ向かいます

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公園を出たところの石垣が気になったので撮影しました。ものすごく大きな石が使われています

 

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公会堂の横に立派な彫像が立てられています。説明を読むと『昭和6年公開堂建設当時のもの』だそうです。『元々公会堂の上にあったもので、現在は2代目が置かれている』とガイドさんが説明してくださいました

 

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豊橋市公会堂」です。説明によると『設計者は静岡市庁舎本館や静岡銀行本店などを手がけた、浜松市出身の中村與資平です』と書かれています(静岡県庁も書いてあげてと思ってしまいました^^;→記事「閑歩:新名所!(名称?)「静岡三塔」というのはどうでしょう?」でご確認ください。静岡銀行本店は記事「珍しい公衆電話ボックス 2016コレクション」にある鐘のたくさんついた公衆電話がある建物です)

確かに二つの建物と雰囲気が似ています

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上の方に二代目の鷲の像が見えます(私としては初代がカッコいいと思いますが、どうでしょうか?)

 

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すぐ近くで3つ目のデザインマンホールを見つけました。豊橋市上下水道局ホームページ「マンホールカード/豊橋市」から引用させていただくと

 豊橋市制90周年を記念して1996年に製作したデザインマンホール蓋(3種類)の1つです。国の登録有形文化財である「豊橋市公会堂」を背景に、1925年から市電の愛称で親しまれている「路面電車」と市の花である「ツツジ」をデザインしました豊橋市公会堂は昭和初期の薫りを残す風格豊かな外観を有し、映画やドラマの撮影などにしばしば使われます。また、路面電車は「納涼ビール電車」や「おでんしゃ」など、季節に応じたユニークな企画が実施され、内外から人気を博しています。本マンホール蓋は中心市街地の汚水と雨水を両方流す合流式に使用しています

と書かれています(豊橋市のデザインマンホールはこれで全部)

上のリンクにマンホールカードの入手先、フルカラーバーションの設置場所が書かれていますので興味のある方はご覧下さい(この日は祝日だったので、マンホールカードは入手できませんでした(う~む残念))

 

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入口の柱も素晴らしい造りです(この日は『建国記念奉祝歌謡大会』開催中でホールの中には入りませんでしたが、中を少し見せていただきました

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個人的に気に入ったのはこの階段のカーブ(曲線部が美しい)

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下から見上げるとステンドグラスが見えます

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階段の一番上まで上がってみました(上った先はドアが閉まっていて出れません)
両サイドにステンドグラスがあり、とっても綺麗です

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途中の窓もステンドグラスになっていて、入口の柱の彫刻もばっちり見えます

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外から見ると大鷲の彫像の下辺りにいたようです(出れませんが、やっぱり少し外に出てみたい場所ですね)

 

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少し戻って「豊橋公園」前の道を歩いています。ガイドさんが『この道、変な形にカーブしているでしょう』と言うので、うなづくと『吉田城の堀を埋めた場所で、そのままの形状となっている』そうです。見比べてみると、公園内で見た吉田城の外堀の形と似ています(堀を埋めて、そのまま道になっているとのいうのも珍しいです)

 

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豊橋ハリストス正教会」に到着しました。説明によると

 この聖堂は、豊橋ハリストス正教昇天教会が大正2年に建築したものです。
(中略)
 設計者は河村伊蔵(知多群内海村出身)で聖堂建築のため地元の大工は、京都まで赴き京都正教会を手本にして西洋風のドームを建築したといわれています。
 この聖堂は装飾の少ない簡素な建築ですが、保存状態は良好で、明治大正期の木造形式による代表的なハリストス正教会聖堂として高い評価を受けています

だそうです。木造と聞いて驚きました

通常は信者以外は中に入れないそうですが、本ツアーで特別に中に入らせていただきました(写真撮影はNGだったので、写真はありません<(_ _)>)

中では牧師様?がハリストス正教会や掲げられている絵画の説明をしてくださったのですが、面白いと思ったのは、教会の十字架の話でした

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ロシア正教の十字架は通常の十字架より上に1つ、下に1つ横線が入っています

『上の横線はキリストの罪状=ユダヤの王を表している』そうです。『下の横線は実際の十字架にある足台(これがないと落ちてしまうそうです)』とのこと

『向かって左が上がっていて右が下がっていますが、これはキリストの両側にいた罪人のうち、左側が罪について許しを請うたので天国を、右側は許しを請わなかったので地獄を指すということで傾いている』そうです(聞いたお話をメモした結果をまとめているので少し間違っているかもしれません)

不思議な形だなぁと思っていましたが、ちゃんと意味があるのですね

牧師様が『豊橋大空襲で被害を受けなかったのは偶然だった』ようなお話をされていたのですが、やっぱり神様の御加護があったからではないでしょうか^^


「安久美神戸神明社」から説明してくださったガイドさんともここでお別れになります。お礼を言って、バスに乗り込み、1日目最後、本ツアーのみのスペシャルイベント「吉田神社 手筒花火実演」に向かいますが、長くなってしまったので一旦終わります

次の記事

に続きます

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