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Bataさんぽ

路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

台東区橋めぐり[上流]+ご利益少々3(桜橋[下通過]~今戸橋跡)

からの続きです(せっかくなので、今週のお題特別編「はてなブログ フォトコンテスト 2016夏」にもエントリー。記事全体が散策の想い出だから)

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隅田公園」の一番下側にある入口に到着しました。近くにあった案内図によると、ここからなら隅田川沿いに出れそうです

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公園内を川に向かって進み、階段を上ると、工事中の案内がありました。ここまで通行止めだったようです

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『最大級の地震にも負けない堤防づくり』と書かれています。液状化現象で堤防が沈下するのを防ぐのが目的のようで、地盤強化や壁を厚くするなどの補強を実施中でした

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まわり道の案内も発見(白鬚橋のすぐそばには同じ案内があったのかもしれません)

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階段を下りて川沿いの道へ。「白鬚橋」の方を見てみました。かなり先まで行けそう?と思ったんですが、すぐに行き止まりのようでした

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「桜橋」の方へ向かって歩いて行きます

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壁面にいろいろと絵が描かれています。近くにあった説明によると『隅田川ウォールアートギャラリー』という名称で

このウォールアートギャラリーは、江戸東京博物館所蔵の「錦絵」を利用して、江戸から昭和初期に至るまでの浅草北部地域(主に今戸周辺)の文化や町並みを主に展示しています

と書かれていました。この辺は昭和から明治の絵が描かれていました

この『幸せを招きいれ外に出さないまる〆(じめ)の招き猫』が欲しいです(購入とかできるのかな?)

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川沿いを歩いて行きます。心配だった天気も問題なさそうです

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東京水辺ライン』の水上バス乗り場がありました(調べてみたら、「桜橋のりば」では、ほとんど停まる便がないようです。みうらじゅんさん風に言うと『地獄表』でした)

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近くには纏をかたどった『隅田川距離標』がありました。『河口より7.9Km地点』だそうです(海はまだまだ遠い)


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ようやく「桜橋」にたどり着きました。が、まだ渡りません。最初は下を通過するのみです

横チンさんのこの記事

に触発されてしまったので、今日は下から橋を狙ってみます(笑)

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「桜橋」は二股なので、下から狙うのが難しいです・・・。それに歩行者用の橋なので、下側に鉄骨等もなく、すっきりしている感じがします(少し撮りがいがない・・・)

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川沿いを調子良く、かなり南まで歩いてしまったのですが、上にあがる階段がありません

待乳山聖天」と「今戸神社」に向かうために川沿いを離れるためには、この「桜橋」近くの階段を上がるしかないようなので、戻って来ました(汗;

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階段を上がって、南に向かい歩き始めたら、草の中に小さな石碑を発見しました

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すでにかすれていて読みづらいのですが

台東区古川市姉妹都市宣言
北日本の表玄関である台東区宮城県北の雄都古川市東北新幹線開通を機縁と友情の絆をゆるぎないものにした
ここに両都市は互いに築いてきた信頼と友情を礎とし共に住みよい地域社会と豊かな住民生活を願い議会の議決を得て姉妹都市の提携を行う
よって台東区及び同区民は古川市及び同市民と相互の自主性を尊重しながら教育・文化・経済などの交流をさかんにし信頼と友情を一層深め互いの繁栄と発展をもたらすよう最善の努力を誓う
                  昭和五十九年一月十四日

と書かれているようです(ひらがながかすれて特に読みづらいので少し間違っているかもしれません)。台東区大崎市(旧古川市)が姉妹都市だったというのを初めて知りましたが、その記念碑が何故こんな場所にあるのかは謎です

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右方向に曲がっている道に沿って、公園の方に向かうと、石碑らしきものが見えました

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石碑は『竹屋の渡し跡』、説明によると『隅田川にあった渡し舟のひとつ』で『山谷堀口から向島三囲神社の前あたりを結んでいた』ようで『昭和三年言問橋の架設にともない、廃止された』そうです

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近くにあった感じの良い建物はトイレでした。トイレの前には『災害用トイレ』と書かれた小さなマンホールがたくさん設置されています。災害時に仮設トイレが建てられる場所のようです(ここまで災害用に整備されている公園は初めて見ました。先ほどの堤防耐震工事と合わせて台東区は災害対策が進んでいるように感じます)

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公園の出口にあったのは『平成中村座 発祥の地』と書かれた石碑、

「江戸時代の芝居小屋を現代に復活させ多くの方々に歌舞伎を楽しんでもらいたい」
十八代中村勘三郎丈(当時勘九郎)の抱いてきた夢が「平成中村座」として二千年十一月、ここ山谷堀に実現しました

と書かれていました

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目の前に見えるのが「待乳山聖天」の入口のようです(すぐにわかりますが、本当は少し違います)

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横断歩道を探して、少し北側に移動したところで『今戸橋跡』を見つけました。説明によると

 今戸橋は、山谷堀がまだ堀であった頃に架けられた山谷堀最下流の橋です。
(中略)
 この橋の下を吉原通いの船が通った頃には、その船を親不孝舟などといったといい、「今戸橋上より下を人通る」というほどのにぎわいだったと言われています。
 現存する欄干は、大正15年(1926年)に竣工した橋の欄干で、山谷堀の埋立てに伴い、昭和62年(1987年)現在のような形となりました

と書かれています。『今戸橋上より下を人通る』が気に入ってしまいました。舟遊びも兼ねた粋な感じだったのでしょうか(吉原で遊ぶ若旦那を妄想してしまいます)。それにしても最近(昭和62年、30年前)まで堀が残っていて橋があったようです(橋として完全な状態の「今戸橋」を見てみたかったです)

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横断歩道を渡って、道路の反対側にあった道案内。「待乳山聖天」は『大根』、「今戸神社」は『猫』になっています。可愛い(笑)

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道路の反対側にも『今土橋跡』の親柱が残されていました

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ふと横を見ると素敵な池のような場所があります

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かなり先まで続いている、この公園は『山谷堀公園』で、説明には

 山谷堀がいつ頃掘られたかははっきりしないが江戸の遊里吉原との関係からみてもおそらく江戸初期にできたものであろう。
(中略)
 当時、この堀は吉原への通路の一つであった。山谷堀を通るので吉原通いを別名、山谷通いともいった。猪牙船などを仕立てて、このコースを使う遊興はぜいたくとされ、まさにおだいじん遊びだった
堀の上流の方から日本堤橋、地方橋、地方新橋、紙洗橋、山谷堀橋、正法寺橋、吉野橋、聖天橋、今戸橋と九つの橋がかけられていたが、埋立に伴いすべて取り除かれており、橋台のみが昔の面影を残している

とあります。堀だったところが埋め立てられて公園になっているようです

やっぱり船で吉原に通うのは『おだいじん遊び』だったようです

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さきほど公園側から見た「待乳山聖天」の入口に来て見ました。が、中に入ってみると自動車で来られた方の駐車場のようでした

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中にはこのような小さなモノレールがありましたが、どう見ても足腰に不安のある方用の設備のような気がしたので、あらためて正しい入口を探すことにしました

時刻は既に12時、まだ行程としては半分ぐらいなので、予定した時刻を大幅に超過しています(お腹も空いてきました)

これから「待乳山聖天」と「今戸神社」という二つのご利益スポットを廻るところですが、少し記事が長くなってしまったので、一旦終わります

次の記事

に続きます(まだ写真整理が残っているので、明日以降の投稿になる見込みです)

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