閑歩:カツサンド、そして上野恩賜公園をぶらぶら2(五條天神社~JR上野駅)
閑歩モードですが、
からの続きです(最近、本当に閑歩記事も1記事で納まらないなぁ)
次はどこに行こうか、とGoogleマップを見てみると、近くに2つの神社があるようです。まだお詣りしたことがなかったので、行ってみることにしました
道路を渡ったところで発見した「五條天神社」と「花園稲荷神社」への案内(近辺のお店も一緒に書かれています)
まずは「五條天神社」へお詣り。拝殿のかなり手前に賽銭箱と柵があり、近づけませんでしたが、賽銭箱のところからお詣り
木製の御由緒は読みづらかったので、平易な方(写真下段)を読んでみると
第十二代景行天皇の御代、日本武尊が御東征の際、上野の不忍池で薬祖神二柱の大伸が奇瑞を現し給い難を救われたので、ここに両神をお祀りしたと伝えられ(以下、略)
とあります。日本武尊・・・、かなり昔からある神社のようです
境内には『この七福神社は江戸時代上野に繁栄を願い山内各門に祀られた祠の中の一つと云われています』と書かれたお社(祠?)もありました(よくわかっていませんが、昔の七福神の祠なのでしょうか?)
「花園稲荷神社」へは境内をつなぐ階段で移動(ショートカットです)
おみくじで盛り上がっている女性達の隣で、静かにお詣り。先ほどの「五條天神社」の木製の御由緒の横にあった御由緒によると
創祀不詳承應三年天海の弟子晃海霊?夢に感じ稲荷社廃祀に当社を再興し東叡山擁護の霊社となす
とだけ短く書かれていて、よくわかりませんでしたが、いつ祀られたかはわからないけど、一旦なくなりそうだったが、再興された神社のようです
Find Travelホームページにある「花園稲荷神社が大人気の理由。上野にある縁結びのパワースポットの魅力! - Find Travel」によると縁結びのパワースポットということです。それで女性の皆様が盛り上がっていたんですね^^
たくさん並んだ鳥居を逆にたどって、「五條天神社」と「花園稲荷神社」の参道入口にやってきました。外国人観光客の方が数名写真を撮っていました。こういう雰囲気は珍しいのかな?(私はトンネル状なので大好きです。でも、ここは坂道なので、最後までトンネルっぽく見えないのが少し残念)
ちなみにこの鳥居が並んでいる参道ですが『稲荷坂』という正式名称がありました。説明には
花園稲荷神社は「穴稲荷」「忍岡稲荷」とも呼ばれ、創建年代は諸説あるが、江戸時代初期には創建されていた。これにより江戸時代から「稲荷坂」の名がある。亨保十七年(一七三三)の『江戸砂子』にその名がみえ、明治二十九年(一八九六)の『新撰東京名所図会』には「稲荷坂 忍ヶ岡の西方に在りて、穴稲荷へ出る坂路をいふ」とある
とあり、江戸時代からある、由緒ある?坂道のようです
いろいろと大道芸をしている人達のそばにいたのは、上野恩賜公園のキャラクター『うえのん』(Twitterアカウントもあるようだったのでフォローしてしまいました(笑)。いろいろと上野恩賜公園付近の旬な観光情報をつぶやいてくれています。下は9/4のツイート)
【芸祭三日目です】
— うえのん (@uenon_uenopark) 2016年9月4日
わたし、うえのん♪
「芸際」も三日目最終日ですのん♪
最後はサンバパレードで盛り上げます
ぜひ、見に来てのん♪ pic.twitter.com/4GiiRtpF8y
ここまで来たら、「清水観音堂」もお詣りしようと移動開始!
「清水観音堂」近くにあった水路?には「しのぶ川」という名前が付いていました。やっぱり流れる水を見ると涼しくなります
「清水観音堂」の建物間をつなぐ渡り廊下も下から撮影。板張りで和風です。今まで見たことのない雰囲気^^ 木製の橋を下から撮ってみたくなりました
ぐるっと廻ってきて「清水観音堂」にお詣り。説明によると『寛永寺を開創した天海が京都清水寺を模して寛永八年(一六三一)に創建、元禄七年(一六九四)この地に移築』されたが、『近年老朽化が目立ち、平成二年より全面的な解体・修復工事を実施、平成八年五月に完成。この間移築年代の定説を覆す元禄七年の棟札が発見されて』いるそうです。史実と違う事実が確認されるのは面白いです
「清水観音堂」で御朱印を貰っていたのは外国の学生らしき女性二人でした。御朱印ブームと聞きますが、外国にも広まっているのでしょうか? 日本人より日本のこと知っている人多いですからねぇ
近くにあった『願い玉』を投げ込むところ、やってみませんでしたが、難しそうです
朝から気になっていた、新しい案内板触ってみました。前面がタッチパネルになっていて、いろいろと情報が出てきます(使いこなすと便利かも。でも使いこなすのは難しそう^^;)
電子案内板ではなく、近くにあった普通の案内図を見ていたら、『野口英世像』が『大噴水(噴水池)』の近くにあるようなので、行ってみることにしました
『野口英世像』、説明を読みましたが、結局なぜここにあるのかはわかりませんでした(野口英世氏は有名なので、説明は功績や死亡などは割愛させていただきます)
『大噴水』、午後は水が噴き出ています\(^O^)/
しばらく見ていたら、パターンが変わりました。貰ってきた「上野恩賜公園」のチラシによると『30分毎にパターンが変わる』そうです(でも、このチラシ(地図)、どこで貰ったんだろう? いつの間にかバックに入っていました)
この後、『ボードワン博士像』を見に行きます
ここまで気にも留めていなかったのですが、桜の木には種類を示す石碑と説明が付いています。どこかに『ソメイヨシノ』命名の碑もあるのでしょうか?(いつか探してみたいです)
そろそろ帰ろうと思ったんですが、ふと前の方を見ると立派な銅像が見えます。近づいてみたら『小松宮彰仁親王銅像』でした
今度こそ帰ろうと思ったら、『上野東照宮』の文字が目に入ってしまいました^^;
ちょっと覗いていくことに・・・(疲れ<<好奇心)
石灯籠が立ち並ぶ、長い参道を通って「上野東照宮」へお詣り。時間も遅かったので、中の拝観はしませんでした(また今度)
祭神は『徳川家康公・吉宗公・慶喜公』の三名なのですね(どういう基準で祀られているのでしょうか? 少し気になりました)
境内にあった『広島・長崎の火』モニュメント。近くにあった石碑には『二十世紀からの傳言 ともに平和と人生を語りたい 百年後の人びとよ ここに私たちの手紙を埋蔵します』と書かれていました。タイムカプセルがここに埋められていると思われます。悲劇を繰り返すことがないくらい人類は学んでいると思いたいです
帰り道、「上野動物園」表門付近で「上野こども遊園地」閉園のお知らせを見つけました。動きの止まった遊園地はものすごく寂しげ
『70年間 ありがとうございました』に続いて書かれていた『この度、地主である東京都から「動物園の魅力を高めることを目的とした正門前広場の整備工事」の支障となると許可を取り消されましたので、やむを得ず8月31日(水)をもちまして廃業いたしました』には釈然としない、憤りのようなものを感じました(なんかお役所仕事されたような印象)。楽しんだ記憶のある人もたくさんいるだろうし、なんとかならないのかなぁ、と本当に思いました
切ないですね
「上野動物園」表門から駅の方へ、下を見て歩いていたら、朝歩いた通りにも『うえのん』はいました。朝は気がつかなくてごめんなさい(ちゃんと道案内してくれています)
ようやく「JR上野駅」公園口に戻ってきました。本日の上野散策はこれにて終了!
谷中散策していた方が歩いていないと思うくらい、午後もたくさん歩いてしまいました^^;(間違っても、このブログ記事を追いかけるように歩くことがないようにお願いします。非効率で目に入るものを追いかけるように歩いています)
散策+閑歩の通常パターンで普段は終わりなのですが、(もしかすると気がつかれた方がいるかもしれませんが、)『普段、私が良く撮影していて、ほとんどの公園には存在する、あるモノ』と『上野恩賜公園なら絶対見かける、あるモノ』が今までの記事には一切出てきていません。さて何でしょうか?(正解した方へのコメント返しは2つ先の記事の後で行いますよ)
正解は次と、その次の記事で^^ なので、あともう少し続いてしまいます
※御礼
いつも読んでくださり、はてなスターやコメントなどありがとうございます
ものすごく励みになっております。これからもよろしくお願いします
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