横浜 馬車道散策1(関内駅~馬車道広場)
※上野散策、スカイダック横浜を先行させてしまいましたが、
時系列では未投稿の最初になる、8/31に散策した馬車道の記事を始めます
10日以上前のことですので、予めご了承ください
2016/8 最後の散策はどこに行こうか、悩んだのですが、比較的近い場所にしようと思い、最近よく使っているガイドブック「横浜さんぽ地図mini」
まっぷる 超詳細! 横浜さんぽ地図 mini (まっぷるマガジン)
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から「さんぽコース05 馬車道」を選択してみました。マップを見ていると、コース近辺にいろいろと興味深そうな場所もあるので、
・いくつか史跡を追加
・施設の開館時間を考慮し、関内駅側から歩き始める
・「みなとみらい新港エリア」散策の宿題の解消を兼ねて桜木町駅まで歩く
の3点を追加して、マップをカスタマイズしてみました。カスタマイズ後のコースはこんな感じです
すべてのスポットを地図上に反映していませんので、詳細はブログ記事でご確認いただければと思います。ガス灯も見所なので、こちらのホームページ「ガス灯マップ」も参考にして位置を確認させていただきました
8/31 晴天に恵まれたので、少し暑くなりそうでしたが、予定通り「馬車道」へ
自宅近辺で配送中のトラックの後部ドアで見つけました。朝早くから、こんなモノを見つけられるなんて幸先良いです
勘違いしていたため、「JR横浜駅」で先頭車両に乗ってしまい、「JR関内駅」の南口付近でホームに降り立ちました。「馬車道」は北口からが近いようです
ホームを歩きながら、これから歩く場所の地図を確認したり、『馬車道はじめて物語』でいろいろな発祥の地を確認したりしました(ほとんど今日これから廻ります)
ブルーの下地に関内近辺の全景を描いている絵が格好いいなぁと思い、写真に撮ってしまいました(写真下段)。ぶらぶらしすぎて、北口側の階段にたどり着いた時には、次の電車が来ていました(笑)
いつも通り、散策前には駅のトイレ。入ったら試作品の『消臭タイル』で『消臭効果実験中』でした。いろいろな取り組みをしていますね
ようやく駅改札を出て、馬車道の散策開始です(時刻は9:35過ぎです)
ちょっとトンネルっぽい、「馬車道」側の出口を出ると近辺の案内があります。「馬車道」までは210mです
「JR関内駅」を外側から撮ってみました。赤レンガ調で格好良いですね
お約束です。すぐ横の『JR根岸線』の高架下からも1枚頂きました。少し光が漏れている感じが美しい
線路沿い(高架下近く)の道を北西へ進んでいきます。途中にあった「関内地下街 マリナード」への入口、ここも赤レンガ調です(ここには入りませんでした)
「馬車道」に入るところですが、先に「吉田橋関門跡」を見に行くので、左に曲がって「イセザキモール」の方へ
『首都高速神奈川1号横羽線』の上に、『吉田橋関門跡』の石碑と説明がありました。説明には
安政六年(一八五九)六月二日、横浜が開港となって交易場、貿易港として栄えるにしたがい、幕府は、開港場の施設の充実にあたり、陸路である東海道からの横浜路を開設するとともに、当時、伊勢山下から都橋付近まで入海であったことから木橋を架け、その後、本橋が吉田新田から架橋されたことにより「吉田橋」と呼ばれました。
吉田橋が設置されてからは、当地は交通の中心の中心地となり、その治安を図るため橋のたもとに関門を設け、武士や町人の出入りを取り締まりました
関門は、当初港町側に設けられましたが、文久四年(一八六四)二月に吉田町側に移設されました。
関内、関外という呼び名はこのとき以来で関内は馬車道側、関外は伊勢崎町側を指し、その関門は明治四年に廃止されました
と書かれています。説明にはありませんが、やはり外国人警護の関門だったのではないでしょうか。関門の吉田町側への移設も横浜近辺の見張番所強化の時期と一致しているように感じるので『生麦事件』(文久二年)の影響だったのではないかと考えています(憶測です)
今は残っていない(と思いますが)ですが、昔は「伊勢崎町」=「関外」だったんですね(「関内」という地名が理解できました。そのまま残っていたら「関外モール」だったかも)
橋の反対側に渡りたかったのですが、橋の真ん中には横断歩道もないので、一旦「イセザキモール」の入口へタッチダウンしてから、引き返します
JR根岸線の高架の手前ぐらいに2つの碑が立っています
一つ目は『鉄の橋』、説明には
明治2年(1869年)、英国人土木技師R・H・ブラントン(RICHARD HENRY BRUNTON 1841~1901)により架け替えられた吉田橋は、橋長24m、幅員6mの日本最初のトラス鉄橋であり、「鉄の橋」として市民に親しまれるとともに、文明開化のシンボルとして錦絵に描かれるなど大変人気を集めました。現在の高欄は「鉄の橋」をイメージして復元したものです
とあるので、関門が廃止される直前に建てられた「吉田橋」の話ですね、きっと。文中にある『現在の高欄』ですが、(戻って橋を撮影しなかったので、)先ほどの写真を拡大してみると
このクロスしているデザインのことを指していると思います
もう1つは『プラトンと横浜』、説明には
明治元年(1868年)政府の招聘により来日したブラントンは、開国にともない、日本沿岸各地に灯台を建設する一方、8年間にわたり活動の拠点としていた横浜では、日本大通りや横浜公園の設計を行うなど、近代的なまちづくりに大きな足跡をのこしました。
横浜居留地測量 1867~70
電信敷設 1869
新橋・横浜間の鉄道意見書 1869
吉田橋(鉄の橋)架設 1869
居留地、下水道整備・マカダム式道路舗装
街路照明計画 1869~71
水道計画 1870
築港計画 1870、73、74
新埋立居留地造成設計・施工 1871
中村川拡幅等設計・施工 1871
日本大通り設計・施工 1871
修技校解説 1871
横浜公園設計・施工 1871、72
とあるので、かなり横浜の発展に貢献してくださった方のようです(もしかしなくても今の横浜があるのは、この方のおかげ?)
ガイドブック本来のコースに戻り、「馬車道」散策に入ります
「馬車道」最初のブロックで一番最初に目に入ったのは、このマップ。ガイドブックにも書いてない、いろいろな観光スポットが記載されています
このマップ、「馬車道」のいろいろな場所にあるので、その都度確認するとスポットの見逃しはかなり防げました。通りに面していないオブジェなども通りにあるように書かれているのは少し難点ですが・・・
ここから、このマップも参考にして歩いて行きます
最初にあるのは『新風』、街灯のように見えるのですが、実際に灯るのかは不明です(まだ朝ですし・・・^^;)
4つある『イギリスからやってきたガス灯たち』の1つ、『トラファルガー広場のガス灯』(と同じものだそうです。説明は『トラファルガー広場』のことなので割愛します)
近くの下段にも『馬車』のマーク(これからたくさん出てきます、いろんなところにあります)
『横浜ベイスターズ』のマンホール(斜めが格好いいかなと思ったのでナナメです)
ここ「馬車道広場」にあるチェック模様、よく見ると(写真だと少しわかりづらいかもしれませんが)、
『近代街路樹 1867』、『和英辞典 1867』、
『写真館 1868』、『アイスクリーム 1869』、
『鐵(かね)の橋 1869』、『乗合馬車 1869』、
『日刊新聞 1871』、『ガス灯 1872』と横浜発祥のモノが年代順に並べられているようです(「JR関内駅」の『馬車道はじめて物語』にはありませんでしたが、『和英辞典』も横浜発祥なんですね)
すぐ近くに『1867 近代街路樹発祥之地』の碑が立っていました。裏側には
馬車道の街路樹
街路樹は、近代に入ってから、人口過密な都市の景観的魅力を向上させる為に発達したものであり、参道並木、街道並木など、いわゆる地方並木とは区別されている。日本における街路樹は、明治以後、欧米都市の影響を受け、樹種の選択、植栽手入法の改良などによって、著しく進歩、普及した。
一八六七年(慶応三年)、開港場横浜の馬車道では、各々の商店が競って柳と松を植栽した。是が日本での近代的な街路樹の先駆となった。一八七二年(明治五年)になって、馬車道に日本最初のガス灯が点火されると、その街路樹はさらに美しく映え、夜の涼を楽しむ人々で賑わった
と書かれています。『街路樹』は並木道ではないのですね、なんか違いがわからない
マップに示されているオブジェ『海辺の少女』は通り沿いではなく、少し離れて「カフェ・ド・クリエ」の奥にありました
通りを先に進む前に前方を眺めると、
アーチ状のガス灯5つが見えます(1つ目、事前に参考にした「ガス灯マップ」によると『アーチ状のガス灯は世界的にも珍しく、ギネスに載る価値のあるもののようです』と書かれています)
横断歩道を渡って先に進むと、
ビルの至る所に『馬車』のマークが・・・(さっきの「カフェ・ド・クリエ」のところにもあったし・・・)。通り全体で『ここは馬車道だよ』を訴えている感じです(笑)
路上にも『乗合馬車』と『ガス灯』のデザインタイルを見つけました
路上観察ビギナーにとって、予想以上に「馬車道」は刺激的な場所です
「馬車道」は、まだまだこれからですが、記事も長くなってきたので一旦終わります
次の記事
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