横浜 馬車道散策2(牛馬飲水槽~旧川崎銀行横浜支店)
からの続きです(念のため、8/31に行った散策です)
「馬車道」を進んで行き、最初の角で左に曲がります
「勝烈庵」さんの前にあったのは『ハマの街灯点火の地』と書かれた石碑。横には
ハマの街灯点火の地(常盤町)
明治二十三年十月一日、初めて横浜市内七百の電灯と街灯が一斉につきました。
この街灯は山下公園の門灯でした。同公園に埋もれていたのを、電力の産みの親、横浜共同電灯株式会社跡の常盤町に復活させました。古きよき時代をしのんで頂けたら・・・・・・・・と存じます。
勝烈庵主
とあり、横浜の街灯に電力供給していた横浜共同電灯株式会社が常盤町にあったことから、「勝烈庵」さんがここに石碑を建てたようです。『この街灯』がどれを指しているのかはわかりませんでした(既に石碑だけ? しかしながら店舗の店先に石碑を建ててしまう「勝烈庵」さんの粋)
店頭には相当古そうなライオンがあるモノを見つけました。いろいろと検索してみたら、横浜市水道局の子供向けページに「横浜市 水道局 近代水道(きんだいすいどう)のはじまり」を見つけました。説明によると(ふりがなを削除して引用させていただくと)、
【獅子頭共用栓】
近代水道ができた当時は、水道を家庭に引く工事の費用や水道料金が高かったため、今のように家の中に水道を引いて使っていた家は、ほんの少しでした。
このため、ほとんどの家では道路の角に作られた共同の蛇口から水をくんで使っていました。この共同の蛇口がライオンの頭の形をしていたことから獅子頭共用栓と呼んでいました。
この獅子頭共用栓は、イギリスから600基輸入され、市内の道路に付けられていました。
とあり、『獅子頭共用栓』と呼ばれる水道の蛇口のようです。年代物です
すぐ先にある『六道の辻通り』の角で右に曲がります。インターネットで検索すると『仏教の六道ではないか』と書いている人がいます。なぜ、ここが『六道の辻』なのか謎のままです
ちょっとだけ歩いた「馬車道十番館」さんの前に
「牛馬飲水槽」が置かれています。説明が花に隠れてしまっているのですが、横浜市中区役所のホームページ「13.牛馬飲水槽」によると、
牛馬飲水槽
神奈川縣動物愛護會 社團法人帝國競馬協会
この牛馬飲水槽は大正六年、当時横浜の陸上交通の主力であった牛馬のために神奈川縣動物愛護協会の前身である日本人道会と横浜荷馬車協会が現在の横浜市磯子区八幡橋に設けたものです。
このほか中区の生糸検査所、西区高島町駅前、久保山のガードそばに設置し牛馬の途中休憩所としました。
また荷馬車協会には三千頭の牛馬がいて夏ともなればしゃれた麦わら帽子をつけ気取った足取りで荷物の運送をしました。
昭和四十五年十月 横浜史料保存会
とあり、元々ここに設置されていたのではなく、磯子区八幡橋から移設されていたようです。三千頭の牛馬に対して、水飲み場は4カ所は少し少ないような気がします。馬だけでなく、昔はこの辺りを牛も闊歩していたのですね(少し牛マークの何かもあっていいような気がします。でも『牛馬車道』だと締まらないかな^^;)
店頭にはレトロな『公衆電話ボックス』がありました。扉を開けて確認しませんでしたが、電話機が置かれていたようなので、今でも現役ではないかと思っています
「馬車道十番館」からすぐのところにある脇道を通って、「馬車道」に戻ります
ふと見ると車止めも馬の形ですね。チェスの駒みたい
少し「関内駅」の方に戻ったところにあるのが、『太陽の母子』像。説明には
横浜沿革史に『明治二年六月馬車道通常盤町五丁目ニ於テ町田房造ナルモノ氷店ヲ開業ス・・・・・・』と誌されています 日本のアイスクリームの誕生です 私たちはこれを記念し このゆかりの地にモニュメントを建て寄贈いたします
昭和五十一年十一月三日 社団法人 日本アイスクリーム協会 同神奈川支部
とあります。さきほども引用させていただいた横浜市中区役所のホームページ「12.アイスクリーム発祥の碑」によると『1869年、町田房三が馬車道に氷水店を出し、「あいすくりん」と名づけて売り出した』と書かれています。きっと今みたいなアイスクリームではなかったと思いますが、当時は驚きだったのではないでしょうか
近くで、『馬車』のマークが入った『散水栓』のマンホールも発見! 徹底していますね
少し先に進み、「関内ホール」までやってきました
『イギリスからやってきたガス灯たち』の2つ目、『英国国会議事堂のガス灯』
近くにあったベンチ、ここにも『馬車』のマーク(笑)
「関内ホール」入口の港側にあるのは『日本で最初のガス灯』。説明には
安政六年(1859年)に開港場となって以来、横浜は西洋文化の玄関口となりました。馬車道を起点にして全国に拡がったものも数多くあります。
ガス灯は、明治5年(1872年)に、高島嘉右衛門の「日本ガス社中」により、馬車道・本町通り等に設置、点灯され、これが日本における最初のガス灯となりました。柱部は英国グラスゴー市から輸入し、灯具は日本人職人により製造されたと言われています。
この度、横浜市市民文化会館〔関内ホール〕新築完成を祝って、当時の型をモデルとしたガス灯を復元設置しました。
壁面レリーフは、横浜開港資料館所蔵の絵葉書を転写したもので、明治末期の馬車道です
とあります。昔のモノではなく復元されたレプリカのようです。昼間なのに明かりが灯っています(たぶん、ここだけ?)。この説明を撮るのに苦労したので、すっかり壁面レリーフ撮影するの忘れてしまいました(>_<) 一番上の写真に少しだけ写っていますが、またいつか確認します
「関内ホール」入口の天井部分が格好良かったので、思わず撮影してしまいました
このオブジェには『平和 Ⅰ』と作品名が付いていました
ガイドブックのコースにはありませんが、確認したいモノがあるので「関内ホール」の廻りをぐるっと一周します
最初に目に入るのは『ニケとニコラ』
ガス灯を見た後だと気になる街灯。この形は電灯ならではですね
最初の角にあるのが『平和 Ⅱ』。メビウスの輪みたいに見えます(平和=表裏がないこと? なのかな)
確認したかったのは、『平和 Ⅱ』の少し先にある『中区役所正面玄関』。説明には
この扉は、この地に昭和59年まで建っていた旧中区役所庁舎の正面玄関に使用されていたものです。
旧中区役所庁舎は、もと横浜興信銀行(横浜銀行の前身)の本店として建てられ、昭和13年(1938)竣工しました。鉄筋コンクリート造り、地上3階建て一部地下1階、コリント式の列柱をもつ西洋古典主義建築の佳品で昭和初期的銀行建築のひとつでした
と書かれています。『歴史的遺産として扉部分を後世に残すために保存した』そうです
ぐるっと廻って、入口側に戻ります
戻ってくると、どこかのお店のランチメニューが風で飛ばされてきたようです(まだまだ風の強い日でしたから^^;)。届けてあげたかったんですが、店名が見当たらず、そのままにしてしまいました(ごめんなさい)
「関内ホール」周辺の確認も終わったので、先に進みます
前を歩いていた人が写真を撮っていたので、おもわず撮ってしまった「平和堂薬局」。かなり存在感のある看板です
ここにもアーチ状のガス灯が並んでいます
少し先にあるのは『浜の時守』、その名の通り、時計にもなっています(関係ないですが、この種の時計は電波時計なんですかね?)
普通のマンホールだなと思っていたら、真ん中には『馬車』マーク^^;
『浜の時守』から1ブロック先にある「日本写真の開祖 写真師・下岡蓮杖 顕彰碑」。説明には
嘉永元年(一八四八)オランダから長崎へダゲレオタイプ一式が渡来した。
弘化二年(一八四五頃)狩野派の青年絵師が、銀板写真に遭遇し、そして絵筆を折り捨て写真術修得の道を歩み出した。この青年こそ、日本に写真師という職業を確立した日本写真の開祖 下岡蓮杖その人である。
蓮杖は、来日の外国人から温板写真の機材を入手し、筆舌に尽くしがたい辛苦の歳月を経て、文久二年(一八六二)野毛に初めての写真場を開業し、その後、弁天通りに進出し、慶応三年(一八六七)太田町五丁目角地に「富士山」と「全楽堂」「相影楼」の看板を掲げた写真館を開き大繁盛をした。
数多くの門下生を育て、我が国に於ける写真技術の先覚者として近代文化の発展に貢献した。その業績に敬意を表し、文明開化の地、馬車道通りに写真師発祥一二五周年、日本写真の開祖 写真師 下岡蓮杖 顕彰碑を昭和六十二年(一九八七)建立をみたのである
と書かれています。『写真師』、カメラマンよりも断然格好いい感じがします。1845年頃から写真場開場1862年まで15年以上も修行されたようです(相当難しかったんだろうなぁと思います)
響きが格好いいので真似てみて『路上観察師』はどうでしょう?(ブログ説明で使ってみました。でも、まだ見習い^^;)
「日本写真の開祖 写真師・下岡蓮杖 顕彰碑」の反対側にある「旧川崎銀行横浜支店」。説明には
設計者の矢部又吉は横浜生まれでドイツに学んだ建築家で、隣の旧横浜正金銀行本店の設計者妻木頼黄の弟子。ファサード2面を残して機能更新を図った今の建物は、歴史的建造物の保存・再生の一手法を示した先駆的作品である
とあり、よくわかりませんでしたが、先駆的な歴史的建造物の保存・再生法を使った建物のようです。威厳があって、格好いいです(ちなみに「旧横浜正金銀行本店」=「神奈川県立歴史博物館」です。次の記事で出てきます)
歩き始めて1時間ほど経過していますが、まだまだ「馬車道」は続きます。やはり見るモノが多くて、時間がかかってしまいます(馬車マーク、オブジェ、碑、歴史的建造物、予想以上に盛りだくさん)
記事も少し長くなってしまったので、一旦終わります
次の記事
に続きます
※御礼
いつも読んでくださり、はてなスターやコメントなどありがとうございます
ものすごく励みになっております。これからもよろしくお願いします
ブックマークでいただいたコメントへの返信も通常のコメント欄で
させていただくかもしれません
(ブックマークにスターが5つ付いたらコメントしましたの合図)