龍神様に逢いに江島神社へ3(奥津宮~龍宮)
「龍神様に逢いに江島神社へ2(八坂神社~山二つ)」
からの続きです
「山二つ」を過ぎて、さらに進んで行きます(まだ下ります)
少し歩くと『木食上人行場窟』と書かれた説明がありました。昔の修行場のようです。現在は行けないようなので、そのまま先へ行くことにしました(木食とは『木の実で生活する』という意味だそうです)
少し歩くと『群猿奉賽庚申塔』がありました。これは凄いです。三猿が彫られているものはよく見かけますが、これは全部で36匹の神猿が彫られているそうです。裏側も見たかったのですが、残念ながら後ろには廻れませんでした。誰も見向きもしていませんでしたが、これは必見です
さらに歩いて行くと「奥津宮」近辺の地図がありました。かなりすっきりしていて、わかりやすいです
「奥津宮」の鳥居のところまでやってきました。いつも通り、礼をしながらくぐろうとすると
『伝源頼朝寄進の鳥居』と書かれた説明があります。説明を読んでみると
吾妻鏡によれば「頼朝は養和2年(1182年)奥州平泉の藤原秀衡を調伏するため、京都高尾神護寺の文覚上人に命じて弁才天を岩屋に勧請し、参詣の際には鳥居を寄進しましたとあります
現在の鳥居は平成16年(2004年)の台風で破損し、補修されたものですが、源頼朝寄進の鳥居は、これに似たものが建てられたと伝えられています(設置の場所も形も特定できません)
と書かれています。これが『源頼朝寄進の鳥居』ではないようです(あれれ^^;)
「奥津宮」にお詣りさせていただきました。賽銭箱のある場所から、かなり先に本殿があるようです
天井には『八方睨みの亀』が描かれているので、参拝の際はお忘れなく
他にも「奥津宮」の境内(近く)には
おおきな銀杏の木の根元に安置されているのが「亀石」です
近くには「力石」もあります
少し奥には『山田検校像』も置かれています
「奥津宮」の隣にあるのが「龍宮」です。『龍神様』をお祀りしている社です。しっかりお詣りさせていただきました
実際にはこの上の空を飛んでいらっしゃるのではないかと考えて、空を写真に撮ってみました(そう思ってみると何か特別なものが見えるような気がしないでもないです)
近くにある恋人達の聖地? 「龍恋の鐘」も見に行きました(一人で行くと、単なる変な人です^^;)
近くには『天女と五頭龍』という伝説が書かれていました
昔むかし、鎌倉の深沢山中の底なし沼に五つの頭をもつ悪龍が住みつき、村人を苦しめていました。
子供をいけにえに取られることから、この地を子死越と呼んで恐れられていました。
(中略)
天女の美しさに魅せられた五頭龍は、結婚を申し込むのですが、悪行が止むまではと断られてしまいました。
その後、心を改め結婚することができたと言われています。
この伝説の天女が、江の島に祀られている弁財天といわれ、五頭龍が瀧口明神社として鎌倉市腰越に祀られている
と書かれています。御夫婦なんだから、別居にせず、一緒の場所にお祀りしてあげてほしいと思ってしまいました
最終目的地「岩屋」を目指して、さらに下っていきます
途中、たくさんの石碑が置かれている場所に出ましたが、どれがどれか確認しませんでした^^; 外国人観光客の方が多く、記念撮影をしていました
かなり海が近くなってきました。潮風も感じ、眺めが良い場所です
さらに進むと渦潮ができている場所もあります
『かながわ景勝50選 江の島稚児ヶ淵』と書かれた石碑が立っています
遠くに街が見えます。広大な海が広がっています(夕日とか朝日とかはめちゃめちゃ綺麗ではないかと思います)
近くにあった灯籠がいい感じだったので、太陽と写真に撮ってみましたが、もろ逆光になってしまいました^^;
先へ進んでいくと『地震→津波→避難』と書かれた注意があります。すぐに高いところへとありますが、狭く急な石段で人が多いので、この辺りで地震があったら逃げきれるか少し不安ですね。龍神様のお力にすがるしかありません^^
大きく岩がえぐれている場所がありました。自然の力を感じてしまいます(実はこの写真帰りに撮りました。上で休んでいる外国人の方が1名、中で写真を撮り続けている外国人カップルが一組いて、行きはすっきりした形で写真を撮れませんでした)
まもなく「岩屋」に到着です。が、少し記事が長くなってしまったので、一旦終わります
次の記事
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