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路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

閑歩:静岡 史跡と神社、たまに脱線1

本日もブログ訪問ありがとうございます!

今回の静岡編も大詰め、いろいろ見つけた史跡と神社を記事にしてゆきます(たまに別のものに興味が移り、脱線してしまいますが、それはご容赦ください)

 

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御幸通りを西に向かって歩いて行くと石柱が立っています[Google マップ
東京駅近くにある「一石橋迷子しらせ石標」に似ています(→こちらの記事「東京駅周辺 文化財[+α]巡り1(東京駅~貨幣博物館)」参照)

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『教導石』と書かれている説明によると『明治十九年七月に建立されたもので、右側面「尋ネ方」に相談事や知りたいこと、苦情を貼っておくと、左側の「教ル方」に知っている人や心ある人が答えを寄せる』ためのものだったそうです。インターネットの質問箱の先駆けです

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左右に何かを貼り付けるための窪みのようなものがあります(両サイドは別の日に撮影したので、雨が降っています)

 

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たまたま浅間通りを歩いていたら、ガードに何か書かれているのを見つけました

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山田長政 その一』と書かれており、山田長政氏の略歴と横の絵が浅間神社に奉納された絵馬であると描かれています

その二やその三をちょっと探してみたのですが、見つかりませんでした(また今度時間のある時に探してみます)


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浅間通りの古本屋さんの前で不思議なオブジェを発見! 奇妙なものが置かれています


用事を済ませて、帰り道 西側から呉服町通りに入ってみると

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こんな通り名表示がありました。荷物を開けている様子でしょうか

 

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さらに進むと『静岡市オマハ市の姉妹都市』の碑が立っています[Google マップ
両市の説明はありましたが、なぜ、どういう姉妹都市なのかは書かれていないようでした。いつも思いますが、姉妹都市関連の碑は意外な場所にひっそりと立っています

 

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呉服町と青葉シンボルロードの交差点(記事「閑歩:静岡 『青葉シンボルロードイルミネーション』がとっても綺麗♪」でスケートリンクがあった場所の隣)に『呉服町』の史跡があります[Google マップ](他の町名史跡と別格です)

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説明によると『「呉服町」の町名は、家康公の「呉服所」(家康公の衣服などを用意する呉服屋)があったことに由来する』と書かれています。『昔の呉服町の四丁目から六丁目を東海道が通っていて城下町の中心として賑わっていた』そうです

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府中宿全体図も書かれており、駿府城との位置関係もばっちりわかります


この後時系列的には「下を向いて歩こう~路上のアート静岡特別編1(静岡駅前)」、「下を向いて歩こう~路上のアート静岡特別編2(府中宿 横田町)」、「閑歩:静岡 富士山がよく見える場所を探しながら(見れる時にはとことん見よう)」と続きます

 

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お墓参りの後、「長沼駅」に向かう途中、『八剣神社』と書かれた道案内を発見しました(子供の頃から何回も歩いている道なのに、初めて見つけました。最近、路上観察力があがっているおかげかも^^)

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路地を入っていくと、小さいながらも立派なお社があります。しっかりお詣りさせていただきました

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『祭神は日本武尊』で『大正の末頃、本多家の初代本多幸七が、南長沼の或る田園を手に入れた。その後、或るとき夢を見た。夢の中で幸七に、その土地の隅に祠があるから、探して祀るようにとのお告げがあった。早速幸七が探したところ、小さな祠を見つけた』とファンタジーな由来が書かれています

 

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長沼駅から電車で帰ろうと思ったのですが、先ほど国道1号線沿いを歩いている時に、この写真の案内があったのを思い出したので、「静岡縣護國神社」にお詣りしていくことにしました(また線路沿いを歩いて戻ります)

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表参道ではないのですが、線路沿いに鳥居を見つけたので、こちらから入ります

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『平和の道標』と書かれた説明には

 ここは平和の杜です。
 このお社は護国神社といいます。日本の平和と美しい山河や家族を護るために戦争で亡くなられた静岡県出身の約七万六千人の方々を、神様としてお祀りしてあります。
 私達が豊かな生活ができるのは護国神社の神様のおかげです。神様は仲良しの子供が大好きです。
「ありがとうございます」と感謝の心をもってお参りしましょう

と書かれています。『神様は仲良しの子供が大好きです』というフレーズにほっこりしました^^

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石灯籠が立ち並ぶ参道を進んで行くと、

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橋の向こうに鳥居が見えてきました

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鳥居前には広大な敷地が広がっています。子供の頃、お参りした、おぼろげな記憶があるのですが、こんなに広い場所だったのかな?(お正月とか人の多いときだったので、広さを感じなかったのかもしれません)

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上の鳥居の写真だとわかりづらいのですが、鳥居をくぐった後もかなり広い場所になっており、まっすぐな参道が拝殿に続いています

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ここでもしっかりお詣りさせていただきました

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お詣りの後、境内を廻っていると『あゝ拓魂』と書かれた碑を見つけました。満州開拓で亡くなられた方々をお祀りしているそうです

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帰りはまっすぐ参道を戻り、(たぶんこちらが)表鳥居のところに出てきました

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そばにはレリーフで作られた境内の地図が置かれていました(格好いいですね)

 

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柚木駅」への行こうとすると電柱に何か可愛いキャラが見えます

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可愛いミカンの自衛官です^^
検索してみたら、自衛隊静岡地方協力本部のホームページによると『しずぽん』という名前でした(プロフィールはこちら→「しずぽんプロフィール」)。『体重:ひ・み・つ』『趣味:静岡県内の散策&食べ歩き』だそうで、親しみを感じます

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駅前の自衛官募集のポスターにもいました

この後、静岡鉄道「柚木駅」から電車に乗って帰りました(かなり歩いたので、疲れましたから^^;)

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新静岡駅」では『ちびまる子ちゃん』がお出迎え^^(改札出てから気がついたので、改札の外から撮影しました)

切りが良いので、一旦終わります。静岡編最後となる次の記事「閑歩:静岡 史跡と神社、たまに脱線2」に続きます

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