Bataさんぽ+

路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

旧東海道を歩く18(戸塚[諏訪神社]~藤沢[遊行寺])

旧東海道を歩く17(戸塚[かまくら道道標~天王山不動尊])」からの続きです

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食事を済ませ、水分補給もたっぷり行い、残りの行程を急ぎます

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大きな看板を発見! まだまだ寒川町は遠いと思っていたんですが、調べたら車で30~40分の距離でした。でも、こんなところにも看板があるなんて、さすがです「寒川神社

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看板を過ぎて、すぐに「諏訪神社」となりました。説明板には『地名の由来となった影取池はこの神社の奥にあった』と書かれていましたが、『影取』や『鉄砲宿』については、もう少し先で判明します

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これまた狭い路側帯です(一応グリーンベルトになっていますけど・・・)。今日は狭いところが多いような気がします

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「藤沢バイパス出口交差点」で国道1号線とはお別れ、左方向 県道30号線を進みます

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歩道に緑地帯が始まるところを入れば、すぐに『道祖神』が見つかります。屋根もあり、大切にされているようです

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ウォークマップでは『道祖神』と同じ位置になっていますが、少し歩いた先に『横浜旧東海道戸塚宿周辺散策案内図』があります。改めて見てみると、史蹟の位置にかかわらず街道の左側に案内板が偏っているようです(いくつか見損ねました)

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すぐ先には『鉄砲宿』の説明板があります。『十分な食料がなく、人の影を食べていた大蛇が猟師に鉄砲で撃たれる』、ちょっと悲しい物語がかかれています。それで「影取」と猟師の住んでいたところが「鉄砲宿」と呼ばれるようになったようです

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ここまでが横浜市戸塚区、ここから藤沢市に入ります

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街道の右側に移動し、大きな松の木があるバス停のところに『旧東海道松並木跡の石碑』がありました。『松並木は昭和35年の松喰虫の被害でなくなってしまった』と書かれています

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遊行寺坂上交差点」を過ぎて、『遊行寺坂』に入りました

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数分歩くと『一里塚跡』の説明板が見つかりました。元々は両側の崖の上の高さまであったとのこと。昔はかなりきつい坂道だったような気がします

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ふと道路の反対側を見ると、向こう側にも何か説明板があるようです。でも道路を横断できる場所がありません

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この3枚の写真は約25分後、「遊行寺」の史蹟を見てまわり、「遊行寺交差点」で横断歩道を渡ってから、坂道を登って撮影しました(ちょっと大変でした)

江戸から12里目の一里塚で両側に榎が植えられていたとのこと。『両側の崖上 現在は何も残っていません』と但し書きがあるのは、階段を上がってしまう人がいるのだと思います

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遊行寺」の入口の手前に『江戸見附』の説明板がありました。ここから藤沢宿が始まります

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遊行寺」の入口を入って、すぐ左側にある『藤沢敵御方供養塔』がありました。『上杉禅秀の乱で戦死した敵・味方を一緒に供養した』と書かれています(人だけでなく家畜も対象)。南無阿弥陀仏を唱えてくるのを忘れてしまいました

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先へ急ごうと「遊行寺」を出ようとしたのですが、目の前に『小栗判官墓所入口』と書かれた石碑を見つけたので、時間もまだまだ余裕なので行ってみることにしました(段々寄り道が多くなっていきます)

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坂道を登って(ウォークマップで見ると一里塚近くまで距離があります)、「長生院」にお詣りした後、本堂の左横を見ると『小栗判官墓所入口→』と書かれた案内板があります(わかりにくい場所なのでかなり親切です)

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小栗判官と十勇士の墓所』は本堂をぐるっと廻ったところにありました。墓所に手を合わせてから拝観。説明書きには『毒殺から逃れ九死に一生を得た小栗助重(小栗判官)が逃げのびた先は熊野本宮・・・』と書かれています(また何かがつながった感じがします)

 

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せっかくのなので「ひぎり地蔵」様と「遊行寺」本堂をお詣りさせていただきました。説明板を読んでもよくわからなかったので、帰ってから調べたら『ひぎり=日限』とは願いをかなえて欲しい日を決めて祈願するとかなうとことでした。いろいろと勉強になります

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入口付近には『文化財ハイキングコース』の案内が・・・。また興味が出てしまいました(検索してみたら『藤沢市文化財ハイキングコース 一覧』があるようです。また歩きたいコースが増えてしまいました・・・)

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遊行寺」を出て、「遊行寺交差点」にやってきました。ようやく街道を左側に渡ることができます(ここから坂を登り、一里塚跡まで戻りました。「長生院」と合わせると約2往復分追加になっています)

寄り道もふえてきたせいか、時刻は14時10分過ぎ・・・

記事も長くなってきたので、一旦終わります

次の記事「旧東海道を歩く19(藤沢[諏訪神社~京見附跡])」に続きます!

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