東京駅周辺 文化財[+α]巡り3(名水白木屋の井戸の碑~銀座通り)
「東京駅周辺 文化財[+α]巡り2(日本銀行本店本館~日本橋)」からの続きです
次は「名水白木屋の井戸の碑」を見るために、「COREDO日本橋」の裏側?(アネックス)に向かいます
間違えて1つ手前の路地に入ってしまいました
「日本橋西川」のウィンドウの中に『日本橋西川のあゆみ』と書かれた、初代の誕生からの変遷を綴った歴史が書かれています。小さいですが、昔の日本橋の写真(西川周辺のみ)があります
一度来ているので、すぐに見つかりました『名水白木屋の井戸の碑』
説明には『たまたま井戸の中から一体の観音像が出たのを機に、こんこんと清水が湧き出したと伝えられています』と書かれています。こんな伝説があったんですね。「名水白木屋の井戸 | 八重洲散策コース | 東京都文化財めぐり」の説明にあるように、『白木屋を継いだ東急百貨店日本橋店が平成11年(1999)に閉店し、白木名水は消失しました。観音像は浅草寺に安置され、「名水白木屋の井戸」の碑はCOREDO日本橋アネックス前の広場脇に移設』されて、現在ここにあるようです(インターネット検索の結果をまとめると、観音像は浅草寺の淡島堂に「白木観音」様として安置されているようです)
隣には『漱石名作の舞台』の石碑があります。この辺りの路地が作品に描かれているそうです
ちなみに『日本橋西川のあゆみ』を見ずに直行する場合は、ここを真っ直ぐ進むと着きます
「COREDO日本橋」の前にも、やっぱり大きな提灯がありました
次は「八重洲散策コース」の最後になる「高島屋東京本店」に向かいます。「日本橋交差点」の目の前は工事中、6/4に旧東海道を歩いた時に比べると、だいぶ進んだように見えます(記事「旧東海道を歩く1(日本橋~京橋)」参照)
Google マップを見ていて気がついたのですが、ここまでが国道1号線で横断した先は国道15号線なんですね(日本橋からずっと国道15号線だと思っていました)
「高島屋」に着きました。文化財としての説明は「髙島屋東京店 | 八重洲散策コース | 東京都文化財めぐり」に譲るとして、説明に書かれている『現在でも残っている屋上の小象をモチーフにした塔屋』を見に行きたいと思います
エレベーターも立派ですが、案内係が操作しているレバーが回転式でレトロ感満載でした(ほとんど隠れて見えないので、他のお客様もおり、写真に撮るのは無理でした・・・)。最近は自動が多いので、案内係が操作するエレベーターに乗ったのは本当に久しぶりです
いろいろなものがあり、なかなか楽しい雰囲気の屋上です
お堂の正面には「大黒天」と書かれていました。お詣りしてきましたが、帰宅してから調べたら『七福堂』という名前らしく、七角形のお堂に七福神が祀られているそうです(周囲をぐるっと回れるようです)
1周半ほど屋上を探しましたが、『小象をモチーフにした塔屋』が見つかりません。掃除をしていたスタッフの方に訊ねてみたら、見える場所まで案内してくれました
屋上で工事していたエリアの先に見えるフタコブの建物が象の形をしているそうです。工事の柵で近づけませんでしたが、下まで見えると鼻の形があるそうです。また工事が終わった頃に観に来たいと思います。スタッフの方に御礼をして、屋上を後にしました
1F入口にあった人形が可愛いので写真に撮ってしました(笑)
ひとまず、これで「八重洲散策コース」はゴールです。ここから先は+αの部分に入ります
「高島屋東京本店」の向かい側にある「スターツ日本橋ビル」のディスプレイ。動きがあって、とっても綺麗でした(写真だと今ひとつです。人は残像も見ているからかもしれません)
「日本橋三丁目交差点」にやってきました
『ヤン・ヨーステン記念碑』が安全地帯にあります。三浦按針とともに日本に流れ着いた人で、この方の日本名「耶楊子」(やようす)が「八重洲」の地名の由来になったそうです。前回通った時はここにホームレスの方が陣取っていて、説明は写真に撮れませんでした(記事「旧東海道を歩く1(日本橋~京橋)」参照)。道を歩いているといろんなことに遭遇します
同じ場所にある『平和の鐘』、説明によると『中央区の平和都市宣言を記念して設置、オランダ製』とのこと。だから、日蘭友好の『ヤン・ヨーステン記念碑』の場所にあるのでしょうか?
時刻は14時30分頃、銀座の「煉瓦亭」で食事しようと思っていたんですが、昼の営業時間は過ぎてしまったようなので、近くにあった「吉野屋」で牛丼ランチになってしまいました(ちょっと残念)
腹ごしらえも済んだので、銀座を目指して進みます。『東京高速道路』の高架が見えてきました。この付近にはいくつか史跡があります
高架の手前、道路の右側には『江戸歌舞伎発祥之地』(前回トラックが止まっていて正面から写真に撮れなかったので、再撮影)
すぐ近くに『京橋大根河岸青物市場蹟』
道路の左側には『京橋跡』がありますが、今回は写真撮り忘れました(記事「旧東海道を歩く1(日本橋~京橋)」で確認ください)
高架をくぐった先には『煉瓦銀座之碑』、説明には『明治五年に銀座は全焼したため、銀座全域に不燃性建築を企画建策し、國費を以て煉瓦二階建アーケード式洋風建築を完成』と書いてあります。そう言えば「江戸東京博物館」にも発掘された煉瓦が展示されていました。煉瓦造りのアーケードを見てみたかったです
銀座に入りました。「Tiffany & Co」前には『銀座発祥の地 銀座役所跡』があります。『正式に町名が銀座になったのは明治二年』のことだそうです
歩いて行くと『日本の道100選 銀座通』『西暦2000年を迎えるにあたり之を創る』(西暦2000年の碑?)が建っています。前回も道の左側を歩いたので、右側にも何かあるかもしれません(次に銀座に行ったら右側を歩いてみようと思います)
少し長くなってしまったので、一旦終わります
次の記事「東京駅周辺 文化財[+α]巡り4(銀座出世地蔵~南町奉行所跡)」に続きます