「ほの国」奥三河に行ってきました7(道の駅 豊根グリーンポート宮嶋)
連日、たくさんの訪問ありがとうございます(感謝です)
長々と書いてきました、奥三河モニターツアーの記事も残り2つとなりました
写真整理の関係で今回は少し短めです では本編をご覧ください
奥三河モニターツアー記事「「ほの国」奥三河に行ってきました6(大嵐駅)」
から続いています
「大嵐駅」を出て、マイクロバスは狭い山道を進んでいきます
外の景色はこんな感じでした
写真とは関係ないですが、「豊根村富山」には信号機が1つだけあるそうです。子供達が信号機を覚えるための教材としての信号機だそうです。昔テレビで見た、離島と同じような場所です(やっぱり、離れ里のようです)
さらに道が狭くなってきました(ここを通るので大型バスは無理だったみたい)
途中、うまく写真が撮れていないので、かなり少なめですが、約1時間山道を走って、次の目的地「道の駅 豊根グリーンポート宮嶋」へ
推測ではありますが、見た景色とGoogleストリートビューを比較した結果、上のようなルートを通ったと思います(山を3~4つ超えたような感じがしました)
車で来られる方はガソリン満タンで、とのことです(携帯も通じないエリアがあるそうですよ)
お世話になったマイクロバスを降り
「道の駅 豊根グリーンポート宮嶋」の中へ
2Fの昼食会場からは、素敵な川の景色が見えました(事務局の方から、川には降りないでくださいとの注意が・・・。あちゃ~^^; 心を読まれている)
前日「2日目のお昼はお弁当で少なめなので、朝食をたっぷり食べてください」と言われていたのですが、こんな豪勢なお弁当で吃驚(*゚Д゚) (朝食をしっかり食べ、「まつや」さんの特大『五平餅』をいただいたお腹にはちょっとヘビーな量!)
でも、どれも美味しく、全てお腹の中に消えていきました
食後は「道の駅 豊根グリーンポート宮嶋」を見学?
店舗と同じくらい、立派なトイレに吃驚(中も広かったです)。道の駅ということで、トイレは大事です
トイレの前にあった、謎の木彫り猿。観光地によくあるスタンプが置かれていそうな台なのですが、何もありませんでした
豊根村のマスコットキャラクター『ポンタ』くんと(『愛知のてっぺん』は素敵なフレーズ)、
『ベリーちゃん』、可愛いですね(豊根村ホームページのプロフィールはこちら→「
とよね村 Toyone Village Official Site | 豊根村マスコットキャラクター」)
www.youtube.comこんなYouTube画像もある(笑)
画像にある『東三河県庁』、気になったので調べてみました^^
ホームページ「東三河県庁 | 東三河県庁のポータルサイト | 穂っとネット東三河」によると、『 東三河県庁は、担当副知事の下、東三河総局を核として、地域の県の機関が一体となって東三河振興に取り組むネットワーク型の推進体制』とのこと
このようなきちんとした推進体制がある、東三河、素晴らしいです(県庁という名前から気合いが感じられます。今まで参照してきたホームページは東三河県庁のものだったんですね、ここまで気がつきませんでした^^;)
この貼り紙にも感動! ゲームもいいけど、自然の中で虫や魚をゲットするのは、良い体験になります(それを『リアルポケットモンスター』と書くのはキャッチーですね)
すぐ横に「八幡神社」を見つけましたが、大きく迂回していかないといけないようなので、出発時間には間に合いそうもなく、お詣りを断念。上から気持ちだけ、お詣りさせていただきました
ふと道路の反対側を見ると史跡のようなものがあります(史跡好きな方は是非)
『田邊秀世翁頌徳碑』、先ほどの穂っとネット東三河ホームページ「神楽林(田邊秀世翁頌徳碑) | 東三河県庁のポータルサイト | 穂っとネット東三河」によると
道の駅 豊根グリーンポート宮嶋の前にある神楽林。
昭和40年に建立された戦前から戦後にかけて、豊根村と奥三河に発展に尽くした郷土の偉人で豊根村の名誉村民第一号 田邊秀世翁頌徳碑がある。その隣には弘化2年(1845)の建立された金毘羅大権現と秋葉大権現の碑と、大正13年に皇太子(のちの昭和天皇)の御成婚記念碑がある。
と書かれています。豊根村と奥三河の発展に尽くした方の碑でした(こういう場所もツアーで村の歴史と共に紹介してくれると実は嬉しいです>事務局の皆様)
説明にある『神楽林』について書かれた説明板
神楽林(かぐらばやし)
神楽はみるめ、きるめの両神を中心に八百萬の神々を勧請して行われたが、神楽終了後もこのみるめ様が神楽開催地に祭られている。神楽の開催には、米六、七十俵、金四、五十両、酒六、七斗等の多額の経費を要するために地域共同で神楽林を造成し、次の神楽の開催に供えた。
みるめ様の祠のあたり数本の過ぎの大木にその名ごりをとどめている。坂場での神楽は、天保五年(一八三四年)村松義明家を宿として、平瀬地内の畑で、行われた
昭和六十年十一月 豊根村教育委員会
と書かれていました。ざっと読むと、『昔、神楽が行うための資金源としての林』ということのようです。神社で見る神楽舞ではなく、大々的な神楽って、どのようなものだったのでしょうか、かなり興味あります
豊根村ホームページの「とよね村 Toyone Village Official Site | 祭」に書かれている『富山地区 熊野神社の御神楽祭り』と関連があるのかな? それとも『花祭り』(次の記事で紹介します)のことなのでしょうか?(ご存じの方がいたら、コメントお願いします)
もの凄いお金がかかっているように思うし、林を造って資金にすることから、開催にかなりの間隔があるようですし、もっと大がかりな神楽だったような気がします(単なる推測、いや憶測)
『花祭り』『御神楽祭り』いずれとも違うなら、現代に再現するのは難しいのでしょうか? 再現できたら、ものすごい観光イベントになるかも・・・(東三河県庁さんに期待)
近くにあった石版。『田邊秀世翁頌徳碑』を建てた時の説明のようですが、かなり古く判読はできませんでした
上の説明にもある『金毘羅大権現と秋葉大権現の碑』。『皇太子(のちの昭和天皇)の御成婚記念碑』はどこにあったのかな?
他にも『聖徳太子尊』と書かれた石碑や石造物がたくさんありました
史跡も見て、満足したので再び「道の駅 豊根グリーンポート宮嶋」へ
五平餅も売っていたのですが、お腹がいっぱいで入りそうもないのです。ぶらぶらしていると『新作 ピーナッツ餅』、『あいちお菓子総選挙 準優勝』の文字が目に入りました
このくらいなら別腹に入るかな、と思い買ってきてしまいました^^
食べた感じですが、外側は(たぶん)きなこと砕いたピーナッツ、中はなんとピーナッツバタークリーム(*゚Д゚) なかなかねっとりと濃厚な美味しい食べ物(さすが2位)、でも「和スイーツ」と言われるとちょっと疑問ではあります。「道の駅 豊根グリーンポート宮嶋」に行くことがあれば、是非食べてみてください
さて満腹で少し苦しいまま、バスは次の目的地「のき山学校」へ向かいます
少し短いですが、記事的にも区切りがいいので、一旦終わります
次の記事「「ほの国」奥三河に行ってきました8(のき山学校[和太鼓体験])」に続きます(奥三河モニターツアー記事も次が最後となります)
【僭越ながらお願い】
最初の記事に書きましたが、本モニターツアー参加の条件として、ツアー参加後SNSなどで情報発信を行うことが含まれています
「ここが良さそう」とか「ここに行ってみたい」などありましたら、ブックマーク、ブログのコメント欄コメント、Twiterなどでコメントなど頂ける大変嬉しいです
きっとモニターツアー事務局の方も読んでくれて、コメントなどしてくださるのではないかと勝手に期待しています(もしかしたらしてくれないかも、ですが・・・。難しい質問にはお答えできないかもしれないので予めお詫びしておきます)
皆様、何卒ご協力お願い致します<(_ _)>