Bataさんぽ

路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

旧東海道を歩く36(小田原[片岡本陣~板橋(上方)口])

本日もブログ訪問ありがとうございます!

記事としては旧東海道を歩き続けています。ようやく「小田原宿」に入り、次は箱根湯本を目指して移動中です

前の記事「旧東海道を歩く35(小田原[薮原稲荷~なりわい交流館])」

から続いています

「小田原宿なりわい交流館」で少し休憩した後、次は箱根湯本を目指して歩いていきます

 

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よくわからないまま写真を撮影してしまった「えこ座」(看板は寄席みたいです)

検索してみたら、えこ座のサイト(http://www.shinyou.com/ecozaindex.htm)によると『太陽光発電システムとオール電化の体験型展示場』だそうです

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『静岡96Km』の標識、残り100Kmを切りました(でも、まだまだ遠い)

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「片岡本陣」、場所がわからなくて、この付近を行ったり来たりしたのですが、この駐車場のところを左に入ると、

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遠くに木が茂っている場所があり、そこに

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明治天皇聖蹟』の石碑があり、

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そこにある『明治天皇本町行在所跡』の説明に

 明治天皇本町行在所跡は、明治天皇が宿泊した片岡本陣のあった場所です。
(中略)
 明治天皇がこの場所に宿泊したのは、明治一一年、北陸・東海御巡幸の際、一一月七日のことでした

と書かれているので、初めて本陣跡とわかります(考えてみると明治天皇が宿泊されていない本陣は史跡として何も残っていないのかな? 小田原宿^^;)

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バス停のところにあったのは『本町』の石柱

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ウォークマップにも載っている「小西薬局」、『創業寛永十年』と書かれているので、かなりの老舗薬屋のようです

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すぐ近くには『中宿町』の石柱が立っています

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通りの反対側に見える、お城のような建物は「ういろう」という名前のお店(『ういろう』を売っているお店です)

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少し歩くと『欄干橋町』の石柱(『この町から城内にかけられていた橋の名前からつけられている』そうです)

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ここで街道の右側に移動してみると『筋違橋町』の石柱を発見(『橋の名前がついていいるが橋があった史料はない』そうです)。面白い町名が続きます

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先へ進み、『山角町』の石柱を過ぎた後、この交差点で右に入ると

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「山角天神社」の鳥居があります

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鳥居の横にひっそりと『天満宮境内に芭蕉翁句碑、瓜生海軍大将胸』と書かれています(あまりにも目立たない案内)

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まずは本殿にお詣りすると、

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『賽銭箱盗難』と書かれています(誰でしょうか? 罰があたりますよ)。記載の通り、堂内にお賽銭を入れてお詣りさせていただきました

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『山角天神社』の説明の横には『瓜生外吉海軍大将ノ像』の説明。『小田原に別荘を設け小田原の生活を愛した』人のようです

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境内内を探したのですが、石段の右側に少し下に降りる道があり、その先に像が置かれていました

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境内にあった、もう1つのお社には『夜叉神社』と書かれていました(こちらでもお詣りさせていただきましたが、初めて聞く神社の名前です)

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なぜか境内には『通りゃんせ』の歌詞が書かれた石碑もありました(謎です)

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何か書いているかわかりませんでしたが、これが『芭蕉区碑』だと思われます

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もう1つ、このような碑も置かれていました

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お詣りも済んだので街道に戻り、先に進みます

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次の史跡は通りの反対側にあるようなので歩道橋を使って、反対側に移動すると

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歩道橋を降りたところに『人車鉄道 軽便鉄道 小田原駅跡』の石柱がありました(今まで見てきた町名の石柱とそっくり同じなので、逆に吃驚しました^^;)

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説明には

明治二十九年三月 熱海方面への陸上輸送路として豆相人車鉄道が開設され、早川口が小田原駅となった。明治四十一年に軽便鉄道とし、小田原電鉄からの乗換駅として、この地方の交通に恩恵を与えた。大正十一年十二月国鉄熱海線が真鶴まで開通したことによって、その任務を全うした

と書かれていました。どんな規模だったかはわかりませんが、ここには交通の要所である駅が存在していたようです(人車鉄道って、どんな感じだったのでしょうか。見てみたいです)

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ウォークマップに沿って、先に進みます。JR東海道線の高架「小田原架道橋」をくぐりますが、見覚えのある場所です。以前、「小田原七福神巡り」の時に反対側から通っていました(興味のある方は記事「小田原七福神巡り4(居神神社~報身寺)」を見てください)

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途中、『御組長屋』と書かれた石柱横を通過し、先に進みます

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一旦、まっすぐ行って東海道新幹線の高架をくぐってしまったのですが、ウォークマップを見ると、右に曲がってから東海道新幹線の高架をくぐるルートのようなので戻って来ました。道の反対側に何か説明板のようなものが見えます

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説明板は『板橋(上方)口』と書かれています。説明と図を見ると『ここが小田原城外郭の西側の出入り口で見附が設けられていた』ようです(東海道としての見附より、小田原城の出入り口の方が史跡として正しいので、表題に見附がついていないと思われます(推測))

小田原宿もここまでです

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ここで改めて、東海道新幹線の高架をくぐります

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小田原の市街地を離れ、住宅地に入ってきたような感じがします

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左側に鳥居が見えたのでお詣りしていくことにしました

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神社の説明には『午頭天王』と書かれていました。説明後半には『地元の古老の記憶では、明治43年(1910)に、流行病をなくすため板橋のこの地におまつりしたということです』と書かれていました

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お社には立派な鶴の彫物があったので、撮影してしまいました

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少し先にあったのは「下田豆腐店」、『創業百年』と書かれているので、かなりの老舗です

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さらに歩くと、かなり古い住宅がありました

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近づいてみると『内野邸』とあり、説明には『この建物は、板橋の地で3代100年近くに渡って醤油製造業を営んでいた内野家の店舗兼住宅として明治36年(1903)に建てられました。当時流行していた土蔵造り風の町家で、「なまこ壁」や「石造りアーチ」など、和洋折衷的な特徴ある意匠が取り入れられた貴重な歴史的建造物です』と書かれています。ちょっと面白そうです。が、『第2・第4日曜とその前日』のみの公開のようです(残念)

小田原宿を過ぎ、箱根町を目指していますが、まだ少し先です。記事も少し長くなってきたので、一旦終わります

次の記事

に続きます

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