Bataさんぽ

路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

浦賀散策2(陸軍桟橋~燈明堂)

浦賀散策1(浦賀駅~西叶神社)」からの続きです

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ぐるっと廻って「浦賀の渡し」のところまで戻って来ました

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消防署との間にある『関東大震災の慰霊塔』、『浦賀でも被害があり202名の方がなくなった』そうです。各地に残る慰霊碑、大きな地震だったんだと改めて感じます(最近関東でも地震が多いので気になっています)

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緑の歩道を歩き、しばらく進むと「よこすか浦賀病院」の前に到着

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港側にあった『船番所跡』の説明板

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道路をはさんで反対側、横断歩道の前、病院側にある『船番所跡』の説明

港沿いにあった『浦賀奉行所の出先機関で、「入鉄砲に出女」を取り締まっていた』とのこと。関所のようです。この『船改め業務は奉行所から廻船問屋に委託』されていたとのこと(アウトソースだ)。『奉行所がなくなってからも明治5年まで続いていた』と書かれています。『積み荷を管理することで江戸の物価の安定を図っていた』とも書かれているので、経済的にも浦賀は重要な拠点だったようです(勉強になるなぁ)

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近くにあった『案内図』を見ると、この場所が「陸軍桟橋」でした

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桟橋の途中まで歩いて、海側を1枚(写真中段)、浦賀ドック側を1枚(写真下段)撮ってみました。写真だと小さくて見えないですが、海側にはまたまた『天然ガス・タンカー』が運航中。遠くにうっすら見えるのが房総半島のようです

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「陸軍桟橋」のすぐ近くにある『浦賀港引揚記念の碑』、『太平洋戦争終結後、中部太平洋、南方諸地域、中国大陸などからの引揚者 56万余人を受け入れた』そうです。『多くの人が日本を前にコレラで亡くなった』とも書かれています。合掌してしまいました

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次の「燈明堂」を目指して歩いて行きます。マンションが建ち並んでいたり、ヤシが植えられていたりします

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「シティマリーナヴェラシス」の前にあった巨大な碇、思わず撮ってしまいました(笑)

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「燈明堂」へは、この場所を左に入っていくようです。壁にヨットなどの絵が描かれています

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でも、その前に目の前にあったトンネルまで。途中まで歩いてみました「川間隧道(トンネル)」(延長304m)、先の方は少しカーブしているようです(単なるトンネル好きでした^^;)

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延々と道を歩いて行きます(両側の柵が変わっていきます)。歩道もないですし、それなりに車が通るので、注意が必要です

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ようやく石碑がみえてきました。なんとか「燈明堂」に到着。雨も完全に上がったので傘をたたみました

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説明がたくさんあります。『燈明堂辺りは浦賀奉行所の処刑場』だったという物騒な話も書かれています

写真中段にありますが、ここからの景色は『灯台(燈明堂)の帰帆(港に帰る漁船)』として平成13年に『三浦半島八景』の1つになったようです。インターネット検索していたら、こんなもの見つけてしまいました(『猿島晴嵐(朝もやに煙る松林)』も八景の1つでした)


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緑の中を通って「燈明堂」へ。『今で言う灯台で、明治5年の廃止まで220年間休まず海上安全のために稼働した』とのこと。『明治時代に風雨で崩壊してしまったので今あるのは平成元年に復元された』ものだそうです(基礎の石垣は昔からあったもののようです)

※追記
特に説明書きはありませんでしたが、観音崎灯台の点灯が明治2年元旦なので、並行運用期間をある程度設けた後、観音崎灯台にその役目を譲ったのではないかと推測しています

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眺めは確かに良いです。でも漁船はいませんでした・・・。南側は砂浜があり、犬を散歩させている方もいらっしゃいました

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入口にある『題目碑』、『南無妙法蓮華経』と刻まれているそうです(最後の方は判読できません)

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地蔵菩薩像供養塔』、『死者を供養する碑』だそうです

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Google マップで見て気になっていた「千代ヶ崎砲台跡」、坂道を上って行ってみましたが、入口らしき場所には『止まれ』の標識。予想していましたが、やっぱり入れなかたです・・・

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もう1カ所、Google マップで「燈明堂跡」で検索すると示される辺りにも行ってみました。ここも行き止まり。私有地になるようです

眺めが良さそうなので、柵のところから写真だけでもと近づいていくと、車が入ってきて『ここから先は私有地だよ』と言われたので『眺めが良いので柵のところで写真だけでも』とお願いしたら、柵を開けて少しだけ中に入れてもらえました

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「房総半島もよく見えるし、敷地内には昔の砲台跡もある」とおっしゃっていました(いつか史跡として一般開放してほしい)。写真中央に見えるのは「千代ヶ崎」だそうです

御礼を言って、元来た道を戻りました。やっぱり付近には何もなさそうです(なので、こっちに歩いてくる必要性は全くありません)

坂道がきつかっただけにちょっと骨折り損だったかも・・・。でも普段見れない場所から景色が見れたから超ラッキーではありました

時刻は10:10過ぎ(歩き始めてから約1時間40分)、雨のせいで湿度も高くなり、かなり暑くなってきました

少し記事が長くなってしまったので、この辺で一旦終わります

次の記事「浦賀散策3(為朝神社~浦賀の渡し)」に続きます

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