東京駅周辺 文化財[+α]巡り1(東京駅~貨幣博物館)
※記事としては「閑歩:東京駅周辺 文化財めぐり、その前に・・・」から続いています
用事も済んだので、東京都教育委員会ホームページにある『東京都文化財めぐり|八重洲散策コース』を歩いてみようと思います(最近暑いので、クールダウンが可能な街歩きを考えています)
リンク先を見ていただくとわかるのですが、地図がアバウトすぎて、東京駅周辺をこのレベルでは歩けないので、まず事前にGoogleマップに登録し直しました(この地図で歩いたら、脇道にある史跡を探す時にきっと迷子になります)
さらに本コース、文化財として「北町奉行所跡」が入っているのに「南町奉行所跡」がないのは片手落ちのような気がしましたので、コースを拡張し、旧東海道を歩いた時のフォローも含め、『銀座通り』を歩いて「南町奉行所跡」まで歩く、ちょっと趣味のスポットも追加したコースに拡張してみました(なので+αが付いています)
※追記
整理が終わったので、こちらにも地図を貼付します。実際に歩いたコースはこんな感じです(最後の記事にも同じものを貼り付けています)
前置きが長くなりましたが、そろそろ始めます
地下街から地上に出てきたところで、「丸の内南口」をまず撮影(まだ用事前 朝です)
何か説明らしきものはないかなと探してみると、いろんなところに『東京駅は免震工法を採用』と書かれています。『地震の時は最大30cm程度ゆっくり動く』そうです
「東京駅丸の内駅前広場」は全面的に工事中。移動も制限されていますし、なかなかうまく東京が見える場所がみつかりません
個人的にここがよいかなと思ったのが「丸の内ビルディング」に向かう歩道の途中(写真の場所)
「東京駅」も前面をとらえることができました
「丸の内ビルディング」(写真上段)、「JPタワー KITTE」(写真下段)もバッチリ(^-^)
ちなみに『東京駅』と書かれた石碑は柵の向こう、近づくこともできませんでした
※この後「三菱一号館美術館」を見に行き、用事を済ませました(前の記事)
時刻は12時を少し過ぎたところ。用事も済み、次のポイント「北町奉行所跡」を探しに、「丸の内南口」から『八重洲側への自由通路』を通って移動します
事前にインターネットで検索したのですが、『八重洲側への自由通路』を真っ直ぐ進んで、「大丸」の横から「丸の内トラストタワー」へ出る小さな通用口のところに「北町奉行所跡」があるはずなのに、見つかりません(初っ端から難航の気配・・・)
仕方がないので、「八重洲北口」から真っ直ぐ伸びる通路を通って(なぜ先ほどの通用口から出なかったかは自分でも謎)、「グラントウキョウノースタワー」の前まで来てみると、なにやら史跡のようなものが見えます。なんと、これが「北町奉行所跡」でした(やっぱり何かに導かれているような気がします。急がば回れです)
『その職掌は江戸府内の行政司法警察の一切にわたっていた』と書かれています。時代劇だと警察みたいなイメージしかないですが、すごい機関だったようです。『「いれずみ奉行」として名高い遠山左衛門尉景元(遠山金四郎)は天保十一年(1840)三月から三年の間北町奉行の職にあった』そうです(八重洲散策コースの説明「北町奉行所跡 | 八重洲散策コース | 東京都文化財めぐり」によると、『その後南町奉行に返り咲いた異例の人物』だったようです)
やっぱり『グラントウキョウの整備』でこの場所に移設されたそうです(見つかって本当に良かった)
次は「丸の内トラストタワー」の東側歩道に設置された、もう一つの「北町奉行所跡」を見に行きます(八重洲散策コースに載っているのはこちら側のみ)
ありがたいことに『歴史散策マップ』が置かれています
おそらくこれが『江戸城外堀の石垣の再現』
そしてこれが『玉川上水をイメージした親水空間』
『北町奉行所跡の石組溝』=『下水溝の一部を再現したもの』だそうです
説明によると『平成12年の発掘調査で発見された。本来は3~4段の石積みだったと思われるが、発見されたのは最下段のみ』で『溝の角石が切り取ってあるのは鬼門(丑寅)の方角を防護するための呪術的な意味を示すものとされている』とことです。奉行所みたいな施設が呪術的に造られていたというのは、かなり驚きでした
そのまま「丸の内トラストタワー」の東側歩道(なぜかGoogleマップでは歩道と認識されない)を抜けて、「呉服橋交差点」を経由して「一石橋迷子しらせ石標」に向かいます
「一石橋迷子しらせ石標」、『左側面の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、それを見て心当たりがあれば、右側の窪みに貼って知らせる』という告知板だったとのこと。他の場所にもあったそうですが、戦災などで破壊され現存するのはここだけだそうです(「江戸東京博物館」で見たのはレプリカだったのかな? また今度確認してみます)
隣にももう1つ説明板があるので、覗いてみたら『一石橋の親柱』の説明でした。『関東大震災にも落橋しなかった』そうですが、『平成九年に橋自体は全て撤去され、この親柱一基だけが残された』とのこと。確かに遠くから見ても、威風堂々として存在感があります
まだ工事中だと知っていますが、様子見に「常盤橋公園」に行ってみます
『この先常盤橋工事中』、ご忠告ありがとうございます
「常盤橋」に到着、遠くを見れば、まだまだ修復作業真っ最中という感じです。「千代田区観光協会のHP」を見ると『【国指定史跡】常盤橋門跡・常磐橋解体修理工事 現場見学会』(直近は7/1~2)もあるようなので、機会あれば参加してみたいと思います
せっかくなので公園だけでも、と思ったら閉鎖中でした(道路工事の影響、別の看板に平成29年3月末までの予定と書かれていました)
なぜか『渋沢栄一翁像』のところだけは公園が残っていて、入ることができました。説明よると『第二次世界大戦中金属供出のため撤去されたが、再び建てられ東京都に寄附された』と書かれています。浦賀散策時もお名前を見かけましたが、やはり明治時代の大実業家、凄いです
「常盤橋交差点」まで戻ってくると目の前に、次のポイント「貨幣博物館」が見えました(想像していた以上に近い場所にありました)
道路を横断してみると『江戸橋通り』と書かれた道標が・・・。なぜここが『江戸橋通り』なのかは謎のままです
「貨幣博物館」は八重洲散策コースには含まれていませんが、行ってみたかったので追加しました。入口には警備員さんがいて受付しています(傘とカバンは入口にあるロッカーに預けさせていただきました)
2Fのロビーまで写真可とのことだったので、写真はここまで
それほど広くない展示室でしたが、貨幣の歴史に関する展示や説明がぎっしりで、とても予定していた時間では無理でした(また別の日にじっくり観に来たいと思います)。お子さんが小学生ぐらいの親子連れも多く、展示も子供向けになっている説明もあり、親子で楽しめる展示にもなっています
2Fロビーには『模擬紙幣1万枚で作った1億円のパック』が置かれています。ぜひ持ってみてください(思っていたより軽かったです)。この半分でも自分のお金として持ってみたい・・・
最後にトイレをお借りしたのですが、マークがちょっと変わっていました(こういう遊びが粋です。でも女性用トイレのマークを撮るのはちょっとドキドキしました)
少し記事が長くなってきたので、一旦終わります
次の記事「東京駅周辺 文化財[+α]巡り2(日本銀行本店本館~日本橋)」に続きます