日本大通り散策1(日本大通り駅~横浜開港資料館)
本記事で200記事目となりました\(^O^)/
皆様のおかげでここまで続けることができました
これからもよろしくお願いします <(_ _)>
※記事としては「日本大通り駅」までを書いた「閑歩:散策の前に横浜駅近辺で腹ごしらえ」から続いています(念のため、9/14の散策記録です。もう10日以上前です)
本日選択したコースはガイドブック「横浜さんぽ地図mini」
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から「さんぽコース06 日本大通り」です。先日散策した「馬車道」とセットになっており、横浜三塔を廻ります。コース中に『煉瓦造り下水道マンホール』があると書かれていたのも理由の1つです(後述しますが見れませんでした、残念)
みなとみらい線「日本大通り駅」改札を出ました(考えてみると、ガイドブック通りの起点からスタートするのは久しぶりのような気がします)
改札前の地下道の壁です。赤レンガ調でいい感じです
地下道の案内図に従った『1 県庁口』に出てきました。「横浜市開港記念会館」(ジャックの塔)が目の前に見えます
出口から右に曲がり、横断歩道を渡ろうとすると
目の前に赤レンガのアーチが見えます。『開通合名会社(日本人商社)の煉瓦遺構』と書かれています
この遺構は、明治時代に建てられたと推定される開通合名会社の社屋の一部であると考えられています。建物は、大正12年(1923年)9月1日に起きた関東大震災で大部分が倒壊しましたが、その一部が震災後の復興建築の内部に奇跡的に残されていました。
平成26年(2014年)、建物の解体時に発掘されたこの遺構は、所有者の意向により、横浜関内地域の日本人商社建築の記録と、関東大震災の記憶を現在に伝える貴重な歴史的遺産として現地に保存されることになりました
と書かれており、関東大震災で倒壊しなかった建物の一部のようです。アーチ部分に要石があり、頑丈そうに見えます
「横浜税関」の方へ少し先に進むと、石垣の跡?が残っていました。全体がどんな感じか気になるので、工事が終わったら、また来てみたいです
すぐに「横浜税関(クイーンの塔)」に着きました(そう言えば、ここは『スカイダック横浜』でも通りました)
少しコースから離れますが、「横浜税関」の門が素敵だったので、撮ってきました^^
横断歩道を渡った先に見えたのは「横浜税関資料展示室」の窓。入館してから名前を知った、大小の『カスタム君』がお出迎え
「横浜税関 資料展示室」へ入ります。入口でも『カスタム君』がお出迎え(胸には大きなCのマーク)
写真撮影可だったので、何枚か撮影させていただきました
うまく撮影できませんでしたが、横浜港近辺の埋立地を示しています(ブルーでとっても綺麗でした)
全部、輸入品だそうです(食品はサンプルですが・・・)。鏡餅や提灯なんかも現在は輸入されているんですね
なかなか衝撃的な密輸取り締まりのコーナー
足下には白い粉が積まれています(模造品なんですが、インパクトがあります)
ビールの空き缶を利用した密輸の仕方のディスプレイ。うまく重ねると2つの空き缶を重ねているって見つかりにくいですね。これも見つけてしまうなんて、税関は凄いです
こっちは足下に武器が置かれています。なかなか素敵な展示の仕方です
子ども向けコーナーにあった『カスタム君』のスタンプ(押せる紙がなかったので、サンプルを撮影してきました(そろそろスタンプ帳も作ってみたくなりました)
塗り絵コーナーにあった『カスタム君敬礼』、他にもたくさん種類がありました。なぜか外人の若いカップルが一生懸命塗り絵をしていました(たくさんあると無理みたいですが、翌月1ヵ月間展示してくれるそうです)
昔の税関『運上所』だそうです(この奥に最初に窓の向こうに見た『カスタム君』がいます)
少し道を戻ると、交差点の反対側に「神奈川県庁(キングの塔)」が見えます
「神奈川県庁」の横を『日本大通り』方面へ歩いて行きます。ここからタイルをたくさん発見するのですが、あまりに多いので別の記事で改めて紹介します
『日本大通り』、建物ではなく通りの説明が立っています。『旧外国人居留地と日本人街を区分する街路で、慶応2年(1866)の大火災後に防火帯を兼ねて計画・整備された日本における近代街路の発祥地である』と書かれており、ここも『イギリス人技術者ブラントン氏』の設計のようです
『手づくり郷土賞』や『横浜市 景観重要樹木 日本大通りのイチョウ』もあり、実はすごい通りでした(初めて知った)
横断歩道を渡った先にあるのは「横浜開港資料館」。『旧英国総領事館』と書かれた説明には
この建物は昭和6年(1931)に英国総領事館として建てられ、昭和56年(1981)から横浜開港資料館として使われている。英国工務局によって設計され、18世紀のジョージアン・スタイルの都市邸宅を思わせるデザインである。(中略)敷地はかつて日米和親条約が結ばれた由緒ある土地である
と書かれています
10/23までの企画展は『横浜芝山漆器の世界』
中に入ってみると廊下には素敵なレリーフが飾られています(何が書かれているのかはわかりませんでした)
ここは休憩室として利用できる場所でした(飲食はできないので純粋に休むだけです)
中央の庭にあるのは『玉楠の木』、
中庭にある玉楠の木は、江戸時代から同地にあり、日米和親条約の締結(安政元年、1854)は、この玉楠の木の近くで行われたといわれている。この玉楠の木は、大正12年の関東大震災によって幹の部分を焼失したが、残った根から新たに芽が出て現在のものとなった。いわば横浜の歴史をみつめた生き証人ともいえる
と書かれています。どこに行っても植物のたくましさには感心します(人間なんて、これらの樹木に比べれば短い時間を生きる存在です)
馬車道の「勝烈庵」の前でも見た『獅子頭共用栓』が置かれていました(記事「横浜 馬車道散策2(牛馬飲水槽~旧川崎銀行横浜支店)」参照)
中には『玉楠の木』を囲んで、このような説明も7つありました(横浜の歴史が書かれています)
『展示室』は写真撮影禁止とのことだったので写真はありません
個人的な感想ですが、黒船来航の扱いは浦賀、久里浜、横浜で大きく違いますね(いろいろと廻って見ると面白いです)。2Fには昔の「吉田橋」や「横浜駅」の模型などが展示されており、なかなか興味深かったです
企画展の『横浜芝山漆器』、立体的で繊細なとても綺麗な漆器でした(見応えがありました)
中庭にはこんな石碑もひっそりと立っていました
館を出る前に少し横に廻って写真を撮ってみました。英国設計のせいか風格があります
「横浜開港資料館」を出ると、こちら側にも『日本大通り』の説明がありました
先ほどの説明にはなかった『慶応2年10月20日(1866.11.26)に運上所・改所、官舎など日本人街の3分の2、英一番館など居留地の4分の1を焼失した豚屋火事が契機』となった区画整理で作られたと書かれています
「横浜開港資料館」の横を歩き、本日の目的の1つ『煉瓦造り下水道マンホール』がある場所、「開港広場」までやってきました。でも工事中です
『日米和親條約調印の地』の碑は見つかりましたが、説明は傷がつかないように覆われています。仕方ないのでインターネット検索してみたところ、横浜市中区ホームページ「29.日米和親条約締結の地、玉楠、レンガ造りのマンホールと下水道ほか」によると
日米和親条約締結の地
安政元年(1854年)2月から3月にかけて、 日米代表が横浜村の海岸で会見、和親条約を結んだ。これは神奈川条約ともいわれ、日本の開国を促し、本市の誕生の速因ともなった。 歴史的舞台となった応接所のあとは、現在の神奈川県庁の付近である
と書かれているようです。このページによると『煉瓦造り下水道マンホール』はガラスで覆われた展示になっているようです。付近を探してみたのですが、解体されているようで見当たりませんでした(超残念)
工事エリアをぐるっと廻ってみると「横浜開港資料館」のカフェ入口がありました(こちらからも入れるようです)
『旧居留地90番地の大砲』や
大桟橋付近に設置されていたポールをデザインした『時計塔』も置かれていました
かなり空が暗くなってきましたが、ようやく全体の1/3を歩いたぐらいです。まだまだ散策はこれからですが、少し記事が長くなってしまったので、一旦終わります
次の記事
に続きます
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