Bataさんぽ+

路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

旧東海道を歩く13(横浜西区~保土ヶ谷)

旧東海道を歩く12(仲木戸~上台橋)」からの続きです

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ウォークマップではコースが2つに分かれるポイントにやってきました。車の多いところよりも歩きやすそうなので、右側の道(写真では正面)に向かうことにします。その前に、

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ビルの前にある『旧東海道道標』を確認。横浜市西区に入ったので、また形が変わりました(同じ横浜市でも各区で取り組み方が様々で面白いです)

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首都高速の高架の下を進んで行きます

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高架をくぐって、すぐ右側に「観行寺」を発見! ガイドブックにある『近藤先生之墓』ですが、結局どれなのかわかりませんでした(ちょっと残念)

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住宅街を歩いて行くと、県道13号線が下りてくるところにぶつかりました

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コースから少し外れますが、「浅間下交差点」のところに案内が立っているとのことだったので、見に行ってみました。旧東海道だけでなく、この間少し歩いた横浜道、保土ヶ谷道など西区の街道の関連がよくわかる案内になっています

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少し戻って、横断歩道を渡り、コンビニ(ローソン)の前を左に移動して、最初の角(花屋さんがある)を曲がっていきます(Google マップで見ると『旧東海道』と書かれています)

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浅間神社の手前で『浅間神社と富士の人穴』の説明がありました

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浅間神社」でお詣りを済ませた後、『富士の人穴』がどの辺だったのか探してみようとしましたが、それらしい場所はやっぱり見つけることができませんでした。これも富士信仰だったのかな?

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保土ヶ谷を目指して進んで行きます。ふと道路を見ると『旧東海道』と書かれたモノが埋め込まれています。先日の桜木町周辺で横浜道を少し歩いた時にもありましたので、西区では各街道を示す方法となっているようです

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松原商店街」のゲートが見える手前で『追分』の説明を発見(ガイドブックだと「大山道道標跡」と書かれているようです)。『横浜開港に伴って絹が運ばれたので絹の道と呼ばれた』とのこと。神奈川宿でのいろいろな説明も含めて、横浜開港でいろいろなことが起こったんですね

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ウォークマップだと近くに「庚申塔」と書かれていたので、近くにあった坂を登ってみました。「庚申塔」としてはかなり大きすぎるので、きっと違うと思います。結局、付近に「庚申塔」らしきものは発見できませんでした

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松原商店街」、やはり人気の商店街のようで、すごい混雑でした。「日本橋」からここまで歩いてきた中で一番の賑わいではないでしょうか。「松原商店街」の入口付近から保土ケ谷区に入っています

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松原商店街入口交差点」を渡って、少し歩くと駐車場のところに「江戸方見附跡」を見つけました。ここから保土ヶ谷宿となるようです

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右に曲がると「天王町商店街」のようですが、まっすぐ進みます

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天王町商店街」のところから既に見えている「橘樹神社

大祓(6月30日)にはまだ早いような気がするのですが、既に『茅の輪』が置かれていました。せっかくなので茅の輪くぐってお詣りさせていただきました(確か左から八の字に3回廻るのではないかと記憶していましたが正しかったのかな?)

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「帷子橋」を渡り、「相鉄天王町」駅の前(相鉄線の高架の下)を通り抜けると

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「旧帷子橋跡」に到着。橋を形取っている駅前公園になっています。元々は「帷子川」はこの辺りを流れていたということなので、かなり位置が変わっています

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大きな通り?に出て、少し歩き、「大門通り交差点」を超えたところに「香象院」があります(もう少し駅に近いと思っていたので、途中写真も撮らずに、ここまで来てしまいました)

入口にあった足形はなんなのかな? ちょっと気になっています

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さらに歩いて「交番(反則センター横)」の向かい側に「旧中橋跡」の説明を発見。「今井川」は現在歩いてきた道と並行に少し南側を通っていますので、大工事だったのではないでしょうか。
河川工事で発生した土砂を品川台場の埋め立てように幕府に献上するとは、名主苅部清兵衛さんはやり手だったようです

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「JR保土ヶ谷駅」のところまでやってきました。旧東海道はこのまま真っ直ぐですが、駅前の案内を見に行ってみることにしました

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説明板は駅前の自転車置き場の間に置かれていました。保土ケ谷区にある旧東海道沿いの史跡についての総合案内のようです。できれば「追分」の辺り(松原商店街)において欲しいかも・・・。

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旧東海道に戻って先に進みます。ここからウォークマップは「第2集」を使い始めました(次の「助郷会所跡」の位置はMAP No.5が正しいと思います)

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助郷会所跡」、先に「問屋場跡」を見つけてしまい、かなり戻ってきて発見しました。駐車場横にある自動販売機の横にあります。帰宅してから気がついたのですが、自動販売機に『東海道 保土ヶ谷宿』って書かれていますね

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問屋場跡」の説明板、大きいので見つけやすかったです。

助郷』に関する説明では、保土ヶ谷宿助郷村は40カ所、現在の保土ケ谷区以外の広域に及んだとのこと。農村にとってかなりの負担だったのではないかと思います

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郵便局が近いので、「高札場跡」もすぐに見つかりました

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通りでかなり存在感のある「金沢横丁道標四基」。1カ所に4つも建っているのはすごいというか、ここが有名な分岐点だった証拠かもしれません(憶測)

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JR線との踏切、横にある焼き鳥屋さんの煙がすごかったのを覚えています

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国道1号線までやってきました。上の写真の中央に見えるのが「本陣跡」の説明。渡る手前には『旧東海道』の案内板があります。
下にある地図によると、この案内板の近くに「脇本陣跡」が1つあるのですが、付近を探しても見つかりませんでした

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横断歩道を渡って「本陣跡」へ。説明を読んでみると保土ヶ谷宿は本陣が1つ、脇本陣が3つで構成されていたようです
1601年 家康公からの『伝馬朱印状』で保土ヶ谷宿が成立したと書かれています。それまでは機能的に整備されていなかったのでしょうか? 成り立ちはちょっと気になります

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脇本陣(藤屋)跡」、広さが書かれています。ちょっと面白い情報

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消防署横にある「脇本陣(水屋)跡」と『保土ヶ谷宿の宿泊と休憩施設』の説明。
旅籠って、当初は自炊のみができる施設だったんです。昔の人は食料も持ちながら歩いていたのでしょうか? 食事や酒を出す旅籠ができるのは元禄(1690年頃)からだったみたいです。保土ヶ谷宿では1842年には旅籠が69軒もあったとのこと。東海道を歩く人はかなりいたんですね

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「旅籠屋(本金子屋)跡」、実際に建物が残っているようです。中は非公開みたいなのでちょっと残念

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街道を右側に移って進んで行きます。国道1号線 車の量がかなり多いです。歩行者用信号が変わるまでかなり待たされました

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「茶屋本陣跡」、さきほどの説明によると『正式な本陣に匹敵する規模と格式を持つ茶屋』ということで正式な本陣ではなかったようですが、参勤交代の大名のお出迎えもしていたとのことです

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街道の右側に松並木が見えてきたので、横断歩道を渡ってみると「一里塚跡(八里目)」と「上方見附跡」の説明があります

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少し歩道を歩いて、「仙人橋」(今井川)を渡って

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外川神社」にお詣り。2つ御堂があったので両方にお詣りしましたが、こちらが外川神社ではないかと思います。日本武尊をお祭りしているようです

先ほどの「上方見附跡」の説明では、「外川神社」前にあったとのことなので、この辺りまでが保土ヶ谷宿だったのではないかと思います

保土ヶ谷宿も終わり、記事もかなり長くなってきたので、一旦終わることにします

次の記事「旧東海道を歩く14(保土ヶ谷~東戸塚)」に続きます!

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