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路上観察師による撮影した写真で振り返るウォーキング録です。歩いた気分になってもらえた嬉しいです

川崎 大師道1(東海道かわさき宿交流館~医王寺)

川崎で用事の後は、この間旧東海道川崎宿を歩いた時[旧東海道を歩く8(多摩川~川崎)参照]に気になっていた『大師道(だいしみち)』を歩いてみることしました

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まずは旧東海道を歩き、「砂子交差点」で、前回も見た『東海道と大師道』案内板を再確認

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道路を横断した目の前にある工事中のビルのところで、前回は気がつかなかった『川崎宿明治維新』の案内板を発見(あとで確認したら、これも今回のコース内でした)

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前回と逆方向に歩いていると、可愛い飛脚さんの道案内がありました

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東海道かわさき宿交流館」に立ち寄り、『大師道』に関する情報がないか尋ねてみると

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『川崎歴史ガイド 東海道と大師道』を教えてもらいました(一部100円)。裏にマップも付いているので、早速購入

実は帰宅するまで気がついていませんでしたが、中にはもっと細かい地図が鋏んでありました。この地図を見ていれば、あまり迷わなかったかもしれません

東海道かわさき宿交流館」の前からウォーキングカウント開始

さらにもう1点、「砂子交差点」のところで、案内板を見て『新宿という町』から始まると勘違いしてしまったので、次の『宝暦十一年の大火』の案内板(交流館と郵便局の間で通りの反対側にあるらしい)の確認をすっかり忘れてしまいました。次に川崎に行った時に確認したいと思います(7/21追記:無事発見しました→記事「閑歩:川崎駅近辺をぶらぶら歩き3」)

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まずは「本町交差点」のところにある案内板『新宿という町』。前回歩いた時に東海道は最初から現在の宿場数があったわけではなく、後から追加された宿もあることを初めて知りました

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次は第一京浜の手前にある、大きな説明板『六郷の渡しと旅籠街』。やっぱり万年屋さんの奈良茶飯が気になります

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ガード下を通って、多摩川のところへ。「明治天皇六郷渡御碑」の先に案内板『長十郎梨のふるさと』があります。長十郎梨は川崎が発祥だったと書かれています

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前回は気がつかなかったですが、かなり錆びている案内板『六郷の渡し』も新たに発見しました。渡船収入が川崎宿の財政を支えたと書かれています

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ガード下を抜けた辺りまで戻ってくると、『万年横丁・大師道』の石碑が建っています。この道から『大師道』になるようです

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案内板『万年横丁から大師へ』はどこにあるのか数分探してしまったのですが、なんと石碑の向かい側にありました(灯台もと暗し)。明治22年に新道が完成するまで、ここを通って川崎大師様までお詣りしたとのこと。縁日には沿道に果物を売る農家も出て、賑やかだったみたいです

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次の案内板『富士紡績と競馬場』は思っていたより先にありました。付近を7~8分行ったり来たりした後で「旭町一丁目交差点」=旭町歩道橋の手前(写真中段の右手前)でようやく発見しました

競馬場跡地に紡績工場、そして戦後には再び競馬場と変遷したとのこと。沖縄芸能が川崎に根付いたと書いてあります(川崎の文化財 沖縄民俗芸能)

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次の案内板『レコード製造の始まり』は「港町駅入口交差点」で道路が合流するところにありました。明治42年 日本で最初のレコード製造が始まったのも川崎だったようです

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案内板『消えた地名 久根崎』は「久根崎交差点」の歩道橋の少し手前にありました。工場が建ち並び、町が変わり、久根崎という町名が消えたとのこと。確かにGoogle マップで確認すると、ここは「旭町」「港町」「富士見」という町で囲まれています

でも今は交差点名に残っているので、忘れないかな

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歩道橋を渡って、降りきったところに案内板『医王寺と2つの伝説』があります。気になるので「医王寺(醫王寺)」に立ち寄ってみることにしました

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すぐのところにある「医王寺(醫王寺)

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鐘楼(写真忘れました)のところにある本のような説明板。火事でお寺が燃えたときにカニが鐘楼を守り切ったという伝説

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もう1つは『塩どけ地蔵』の伝説。昔瘡(できもの)が流行ったとき、お地蔵様に塩をこすりつけると瘡が治ったそうです。村から瘡がなくなるころにはお地蔵様も塩でとけてしまったとのこと

今も祠の中には塩がお供えされていました

少し長くなってきたので、一旦終わります


次の記事「川崎 大師道2(港町~天蔵寺)」に続きます!

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