旧東海道を歩く30(大磯[座問答の石]~二宮[一里塚])
「旧東海道を歩く29(大磯[滄浪閣跡~国府本郷の一里塚])」
からの続きです
「国府本郷の一里塚」から先に歩いて行きます
ちょっと歩くと『道祖神』が置かれていました。花が生けられていて、とっても大切にされているようです
少し歩いたら、また『道祖神』が置かれていました
『国道1号線』の合流地点の交差点で、ふと右を見ると石がたくさん置かれています
立て札が全て車道側を向いているので、車に注意しながら撮影(なぜ歩行者向けではないのかが疑問)。これが『座問答の石』のようです。ガイドブックも読んだのですが、何を表しているのかは私には理解できませんでした
しばらく歩いて行くと、街道に面したところに大きな「六所神社」の鳥居が見えました
「六所神社」はJR東海道線の高架の下をくぐっていくのですが、この道幅が狭い。グリーンゾーンはついていますが、狭いせいかはみ出して運転してくる車とすれ違い、かなり危ない道です(しかもこの狭さで双方向です)
神社の入口の車止めの上には「スズメ」がいました(ちょっと可愛い)
まず「六所龍神大神社」の拝殿にお詣りさせていただきました
大きく『湯津爪櫛御守の御神徳』と書かれた説明を見つけました。読んでみると女性向けの御守りのようです(今のところ贈る女性もいないので・・・)
続いて、境内に入って左側にある「龍神大神社」にお詣り(赤い小さな橋を渡ります)
御由来と御神徳の説明の『次の龍神祭の日付』がちょっと可哀想な感じです(もう少し字体など揃えた方がよいと思うのですが・・・)
向かい側(境内入って右側)にある「六所ひぐるま弁天社」もお詣りさせていただきました
境内を出て、すぐのところにある欅の木です。『この「樹」の「気」を授かって下さい』と書かれていました。下から見上げて「気」を頂きました
無事お詣りもすんだので街道に戻って歩き続けます
「国府新宿福祉館」の手前で小さなお稲荷様を見つけました。がっしりと狐様がガードしている感じがします
その後ろに『道祖神』が置かれていました。この配置は珍しいです
少し歩くと『日本橋まで72Km』の道標がありました。しばらく『国道1号線』を離れていたので、71Kmは通り過ぎてしまったようです
少し歩くと大きな松の木があり、その少し先に『二宮町』の標識がありました。かなり長かった「大磯町」ともここでお別れ、「二宮町」に入ります
『国道1号線』に沿って歩いていきます。町が変わっても景色はあまり変わりません
「塩梅橋」の手前に『塩梅の名残り』と書かれた案内が立っています。『塩梅』って、ここでは何を表しているのでしょうね? 説明もなく、よくわかりませんでした
「塩梅橋」の上から川を撮ってみました。緑が多く、いい雰囲気です
少し歩くと歩道橋があります。先に行くにはここを渡ります。スペースの問題なのか階段がらせん状で、素敵なデザインになっています
『静岡 107Km』の標識。静岡が書かれている標識を見るのは久しぶり。それにしても「府中宿」はまだまだ先です
小田原の『万葉の湯』の看板も近くにありました。『↑この先12Km』って、まだまだ先ですね(車ならそれほど遠くない距離なのかな?)
「二宮駅前歩道橋」に到着、時刻も12:40過ぎなので、この辺でランチにしようと思い、「二宮駅」へ
駅のところから「国府津」方面を撮ってみました。まだまだ「国府津」は遠い
付近を探したのですが、気に入ったお店がなく、とりあえず歩き続けることにします(この発想がランチ難民になる原因なのかも・・・)
『国道1号線』に戻って、先に進みます。ここにも大きな松の木がありました。昔の樹がそのまま残っているのでしょうか
『日本橋まで74Km』の標識を見つけました。あれ? 73Kmはどこにあったのかな? 見過ごしたようです
電器屋さんの前にあったソーラーパネルの展示。面白いので撮影してしまいました^^;
道が分岐しているので、右側に進み、『国道1号線』を離れます
すぐにある「吾妻神社」の鳥居。「吾妻神社」ははるか遠く山の上なので、お詣りしませんでした(ちょと遠すぎる)
少し歩くと『梅澤橋』と書かれた石柱が立っていましたが、完全に普通の道で、どの部分が橋なのか(橋だったのか)は私にはわかりませんでした。交差点になっていますが、ここもまっすぐ進みます
住宅地の中を進み、『国道1号線』と合流するところにたくさんの石造物が置かれていました。元々ここにあったのではなく、何かの都合で集められてここにあるように見えます
『国道1号線』沿いを歩いていきます。『日本橋まで75Km』の標識を見つけました。この標識を見ると歩いてきたなぁという感じがします(ウォークマップにも距離表示はあるのですが・・・)
まっすぐ『国道1号線』を歩いてしまいそうだったのですが、ウォークマップをよく見ると、この場所(横断歩道)で左側に入って進むようです
分岐点には『旧東海道の名残り』と書かれた案内が立っています
すぐ近くに『史跡 東海道一里塚の跡』があります。説明によると『二宮の一里塚』で『大磯宿と小田原宿の中間に位置して』おり、『周辺には茶屋や商店が並び「梅沢の立場」と呼ばれていた』そうです
ここで大磯宿と小田原宿の中間なのか、まだまだ「小田原」は遠いです
少し記事も長くなってきたので、一旦終わります
次の記事
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